2015年6月13日(ミサ説教)
2015年6月13日(講話)
23:13-
この間ですね、わたくしのマリア様の祈りの会に来ておられる、いつも重要なまとめ役をして下さっている方[かた]、九州に居るんですが、この方が亡くなりました。ご夫妻で来ていて、そのご主人が亡くなったんですが、いい方でしたね。この方が、臨終の間際、目をパッチリあいて、或る一点を凝視して、本当にニコニコして、そのまま絶命されました。
33:23-
わたしは、ルルドで、ずいぶん巡礼を致しました。各グループのチャプレンとしてよく招かれて行きました。何回行ったか忘れるほどですが、でも、わたしはそこでの説明がちょっと足りないと思います。わたくしが説明されたのはですね、「ルルドでの一番重要なメッセージは『わたくしは無原罪の御宿りです』ということです」。いや、よく調べてみますと、そうじゃない。もっと前に、『償い、償い、償い』、マリア様は三度続けて叫ばれていたのです。『罪人の回心のためにお祈り下さい』、これを言われていましたね。そう、このルルドから、人間の、世界の平和のために、多くの人の霊魂の救いのために、償いが必要であることと、皆さん方が苦しみという代価を払いながら償いをして下さることを、公のメッセージに載せましたのです。
内山神父様は言うべきことを言って下さる。
しかし、比較するのは悪いけれど、世の司牧者は... 参照
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」