2017.03.16

脱同性愛者たちの証言 メリッサ・フライリーア(1)

With God nothing is impossible.
或る必要から、脱同性愛者たちの証言を集めます。Index

拙訳、試訳。強調と〔 〕は私による付加。

Christian Broadcasting Network

メリッサ・フライリーア: ついに自由を獲得する

Melissa Fryrear: Free at Last

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2009年7月23日

〔記事には日付が表示されていないが、HTMLソースの中に
「article:published_time」としてこの日付がある〕

CBN.com - メリッサ・フライリーア(Melissa Fryrear)は学校の他の10代の女子たちには馴染めなかった。

CBN.com Melissa Fryrear didn’t fit in with the other teenage girls at school.

「私は若い男性には惹かれませんでした」と彼女は 700 Club に語った。「私は、自分は女子に惹かれている、と自覚していました」

“I was not having the crushes on the other young men,” she tells The 700 Club. “I realized I was having crushes on the girls instead.”

メリッサは、彼女の人生に起こった或る衝撃的な出来事が、彼女のセクシュアリティについて彼女自身を混乱させることになった、と言う。

Melissa says a traumatic event in her life left her confused about her sexuality.  

「子供の頃、私は、私の家族ではない或る男性から性的虐待を受けました。そのことが私の性的アイデンティティに影響を及ぼしました。女性であることは悪いことだ、と思うようになったのです。それは理想的なことではないと。女性であることは不利であると。何故なら、女性であることは即ち傷つけられる恐れがあるということを意味するから、と」

“I had been sexually violated as a child by a man outside of my family. That affected my gender identity in that I thought it was bad to be a woman. It was second best. It was a liability to be a woman, because it meant that I could be hurt.”

16歳の時、メリッサは最初のレズビアン関係を持った。そして、カレッジに通っている頃には、レズビアンのライフスタイルに深く関わるようになった。10年の間、一つの関係に失敗しては次の関係に行くという生活を送った。彼女の人生は崩壊しようとしていた。

At 16 years old, she had her first lesbian relationship, and by the time she was in college, Melissa had embraced a lesbian lifestyle. For 10 years Melissa went from one failed relationship to the next. Her life was disintegrating.

彼女は回想する。「私は同性愛者として生きていました。しかし、成功した関係を持っていませんでした。私はほとんど毎日、悪い仕方で飲酒していました。そして週末にはドラッグも。私は感情的なカッターでした。太り過ぎでもありました。私は健康ではなく、私の人生はますます御し難いものになって行きました」管理人注1

She recalls, “I was involved homosexually. I was not having successful relationships. I was abusing alcohol almost on a daily basis and the drugs on the weekend. I was an emotional cutter. I was overweight. I was not healthy, and life was becoming more and more unmanageable.” 

彼女と同居していた彼女のパートナーは、メリッサの感情の爆発を恐れた。メリッサは叫び、壁を叩き、物を投げた。とうとう、そのパートナーはそれ以上メリッサに付き合いきれなくなった。メリッサは教会に助けを求めることを考えたが、自分がそこで歓迎されるとは思えなかった。

Her live-in partner was fearful of Melissa’s outbursts where Melissa would scream, hit walls and throw things. Finally, she could take no more and confronted her. Melissa thought about going to church to get help, but she didn’t think she’d be welcome there.

「私は、クリスチャンがゲイとレズビアンについてどのように考えているか、自分は知っていると思っていました。テレビで見た幾つかの場面や友人から聞いた話から、全てのクリスチャンはゲイとレズビアンを憎んでいると、てっきり思い込んでいたのです」

“I presumed to know what Christians thought about gays and lesbians. From a few snapshots through television or stories from some of my friends about their Christian families, I just presumed that all Christians hated gays and lesbians.”

メリッサの思い込みは日々検討の下に置かれることになった。と云うのは、彼女の上司だったクリスチャン男性が、彼女の先入観に反した仕方で彼女に対したからである。

Melissa’s presumptions were tested on a daily basis. Her boss, a Christian man, treated her in a way that was contrary to her preconceptions.

「ビルは私に対してとても礼儀正しく振る舞ってくれました。親切で、敬意を持った態度で。私たちは何年も、その専門職の職場で一緒に働いていましたが、彼はその間、ずっとそうでした。私はとうとう、彼は本物だ、彼は安全だ、彼は信頼に値する、彼は本心から一人の人間としての私のことを心配してくれている、と思うようになりました」

“Bill was so gracious toward me, kind and respectful, and as we worked together for years in this professional environment. Eventually I knew he was genuine, safe, trustworthy and that he genuinely cared for me as a person.”

その上司と霊的な会話を沢山した後、メリッサは彼女のパートナーに教会に行くことを頼んだ。パートナーは同意した。

After many spiritual conversations with her boss, Melissa asked her partner to go to church. She said yes.

「その教会に一組の70代のカップルが居ました。ドリスと LJ です。彼らはその教会の柱でした。そして彼らは、私を一目見るなり、どういうことが進行中かを正確に把握しました。そして、彼らは本当に . .〔涙がこみ上げ、しばし沈黙〕. . 私にとってキリストのようなものでした。私の人生に入って来て、彼らの腕の中に私を囲い、彼らの心の中に私のことをしっかりと置いてくれたのです」管理人注2

“There was a couple in their 70s, Doris and LJ, who were pillars in this church, and of course one look at me, they knew exactly what was going on. And they just . . . they were like Christ to me -- stepped right into my life, scooped me into their arms and knit me into their hearts.”

ドリスと LJ はメリッサに聖書について教え、彼女に神の愛を示した。或る日、メリッサはそれに反応した。

Doris and LJ taught Melissa about the Bible and showed her God’s love. One day, Melissa responded.

「私が寝室に一人で居た時のことです。私はベッドの端に座り、静かな心で、次のような甘く優しい言葉を言っていました。『イエス様、あなたは来て、私の救い主になって下さいますか? 私の人生の主になって下さいますか?』と。彼は、その日の午後、その祈りに答えて下さいました。彼は私の心の中に新しい種を植え、それまでの私が決して決して想像しなかったことを成長させ始めたのです」

“As I was alone in my bedroom, I was just sitting on the edge of my bed and saying those sweet tender words in the stillness of my heart, ‘Jesus, will You come and be Savior and Lord of my life?’ He answered that prayer that afternoon. He put a new seed down in my heart and began to grow something I would have never, never imagined.”

メリッサのパートナーもキリストへの信仰宣言をしたが、彼らの関係の複雑さを解決するにはなお時間がかかった。

Melissa’s partner also made a commitment to Christ, but it took time to work out the complexities of their relationship.

メリッサは言う。「私たちはとても感情的に絡み合っていて、互いに巻き込み合っていて、共依存していました。私たちが自分の人生を相手から解きほどくこと、また、自分の人生を私たちが参加していたゲイとレズビアンのコミュニティから離すことは、ゆっくりとしたプロセスでした。神が三、四ヶ月の間に私たちが自分たちの性行為について悔い改めるようにして下さったことは驚くべきことでしたが、それでも私たちはまだ寝室とベッドを共有していました。しかし、やがて時が来て、私たちの目に、それは正しくないように思われて来ました。結局、私たちは、私たちは一緒に住むことはできないと理解しました。それは正しくないことでした。私たちは別れる必要がありました。1994年に、神は私たち二人の人生を完全に分けました」

Melissa says, “We were so emotionally entangled, enmeshed and codependent. That was a process of slowly untangling our lives from one another and from the gay and lesbian community that we were a part of. It was amazing how God worked that out from three - or four - month intervals of time where we repented of sexual behavior, yet we still shared a bedroom and a bed together. Then time unfolded, and that didn’t seem right. Then [we] eventually realized we can’t live together. That’s not right. We need to move apart. God fully separated our lives in 1994.”

メリッサは、イエス・キリストの力によって同性愛から自由になることを促進するミニストリー「エクソダス・インターナショナル」にカウンセリングを求めた。そこで彼女は新しい人生に踏み出すよう励まされた。

Melissa sought counseling through Exodus International, a ministry that promotes freedom from homosexuality through the power of Jesus Christ. There, she was encouraged in her new life.

「神は私の心の中のそれらの傷を癒して下さいました。そして、彼は私に、女性であることは良いことであると教え始められました。女性性は良いものであると。女性は力強さに於いて男性と同等であると。そして、男女はその冠を共有していると。つまり、神の創造物としての尊厳を共有していると」

“God healed those wounds in my heart, and He began to teach me [that] woman is good. Femininity is good. She’s equal to man in masculinity, and they both share that crown, that dignity of creation.”

何年もの間、メリッサは Focus on the Family のスタッフを務めている。彼女は国中を回って、同性愛を生きている人々に希望を提供している。

For a number of years, Melissa has been on the staff of Focus on the Family. She travels around the country offering hope to those living in homosexuality. 

「私は、“自分はかつて何であったか” と “自分は現在何であるか” の対照に於いて、参照できる多くの視点を持っています。その両者は非常に異なったものです。『主よ、あなたはそれをどうやってして下さったのでしょう? 一体どうやって? それをして下さったことに感謝いたします』管理人注3

“I have so many points of reference of who I use to be versus who I am now. It is, radically, two different people. ‘How did You do that, Lord? How did You do that? Thank You for doing that.’”

[管理人注1]  ビデオには、ビール片手の、煙草をくわえた、太った、過去の彼女の写真が数枚出て来る。現在の上品で女性的な彼女とはまるで別人のようだ。

[管理人注2]  彼女の別の証し(後ほどそれも翻訳する)を読んだ上で確かに言えるのは、それはケンタッキー州ウッドフォード郡の郡庁所在地バーセイルズにある「バーセイルズ・プレスビテリアン・チャーチ(Versailles Presbyterian Church、バーセイルズ長老教会)」」だということである。Official Site, Facebook

[管理人注3] 「その両者は非常に異なったものです」: 私は「非常に」としておいたが、彼女が言った副詞は「radically」である。その意味を辞書で引けば、「徹底的に、根本的に、完全に」など。つまり彼女の目には、その両者はそれほど違ったものに見えたということだろう。しかし、それにもかかわらず、それに続けて彼女はこう言う──「主よ、あなたはそれをどうやってして下さったのでしょう? 一体どうやって?」と。つまり彼女は「同性愛は精神分析学で変えることができます」とは決して言わないだろう。「それは無理です」と言うだろう。しかし、それに続けて「神だけはそれをお出来にになります」と言うだろう。否、現にそう言っているのである。

「信仰者」であるにかかわらずこの種の証言(複数の異口同音の証言。私たちは今、それを通覧している)を少しも気に留めない「信者」や「司祭」が教会に満ちるならば、教会はオダブツである。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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