2017.04.19

「LGBT カトリック・ジャパン」 のウェブサイトにそこはかとなく漂う
狂気(善意の部分はいい。しかし、狂気を孕んでいちゃ駄目だろ)3

彼らの blogspot を初めてパラパラと見た時、私が真っ先に感じたのは彼らの「言葉の曖昧さ」だったが、次に目に入ったのは、彼らが掲げる幾つかの画像であった。それらは彼らの或る種の「異常」を示すものである。今回と次回で扱う。

LGBT問題とか何とか言う以前に
 彼らのカトリック信者としての感覚がおかしい(1)

性愛に対する意識が「ゆるい」らしい

「海外記事の紹介」という形でだが、彼らはこんな表示をしている。(私は写真に黒い帯を入れずにはいられなかった)

LGBTCJ blogspot

2016年10月12日水曜日

10月11日は,カミングアウトの日

(…)

USA の雑誌 Advocate の記事で「カムアウトする13の理由」が論ぜられています.紹介しましょう.

(…)

4. Dating gets way easier.
デートしやすくなる.

(…)

神の愛のうちに

ルカ小笠原晋也

最後に署名があるように、筆者は小笠原氏である。

これが「海外記事の紹介」であるというのは分かる。しかしそれでも、このような写真を表示できるということ自体、性愛に対する意識がカトリック信者としては相当「ゆるい」ことを物語っている。

何故なら、私はこれまで、カトリックのウェブサイトに、男女がキスする写真さえ見たことがないように思うからである。結婚式とそれに伴うパーティ等の写真に於いてさえ、カトリックの新郎新婦がキスしている写真を見た覚えがない。ひょっとしたらどこかにはあるのかも知れない。しかしとにかく、見た覚えがない。それほど、その種の写真は、あったとしても「少ない」と言える。と云うのは、それが性愛に対するカトリックの一般的な意識だからである。現代のカトリック教会に於いてさえ。*

* カトリックはモルモン教ではないからである。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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