2017.06.02

脱同性愛者たちの証言 ジェシカ・ニューサム(3)

With God nothing is impossible.
或る必要から、脱同性愛者たちの証言を集めます。Index

再び YouTube の字幕自動生成機能に頼りながらの翻訳。
英語の書き起こしはしない。カンマやピリオドを打ち間違えても話者には迷惑だろうから。

拙訳、試訳。強調と〔 〕は私による付加。

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同性愛から解放されるためには何が必要か

What it takes to be delivered from homosexuality #1

by ジェシカ・ニューサム

by Jessica from Loveatthecross.com's

多くの人は「同性愛から解放されるためには何が必要なのだろう?」と疑問に思っています。結局のところ、一般的に言えば、必要なのは、人を同性愛から解放することのできる唯一のお方のところに行くことです。そして、それはイエス・キリストです。キリスト教の教えに従うことです。神の御言葉に従うことです。それだけです。オーケー?

そのようにしていながら効果がない、ということがあったとして、それはどういうことかと云うと──私たちは「オーケー、分かった。キリストに従うことが必要なんだ」と合点するわけですが、でも日々の行ないはどうなのか、日々どんなことをしているのか、という問題があります。LGBTコミュニティから来た人の幾らかは、実際にはまだ、日々を二心[ふたごころ]で生きているようです。だとしたら、どうしてそれを捨てることができるでしょう? これに関して二つの事をごく短く言いたいと思います。

まず第一。あなたは一つにまとまって(be all in)いなければなりません〔二心でなく〕そういうことです。あなたは一つにまとまっていなければならない。そして、あなたは聖霊に従わなければならない。「一つにまとまっていなければならない」と云う意味は、この事〔聖霊に従うこと〕を心から望んでいなければならないということです。あなたの心は一つにまとまってこの事の中になければなりません。

私たちはしばしば、神に救ってもらいたい、同性愛から、アルコール依存から、肉欲の問題から、ギャンブルから、その他何であれ、私たちが抱えている問題から救ってもらいたい、と言うのですが、しかし私たちの別の部分はこんなふうに言うのです、「う~ん、でも、私はまだ、それをちょっと残しておきたいな」。そんな感じで私たちは、それを神に渡してしまいたいと思いながら、そうしたくない気もしているのです。それが問題だとは分かっているし、それを神に渡してしまいたいと思ってはいるのですが、同時に、それをまだ楽しみたいのです。それがまだ好きなのです。本当は、心の奥では、それを諦めたくないのです。だから、私たちは一つにまとまっていなければならない〔二心でなく〕と言うのです。

私たちはこのように言う地点まで来なければなりません、「ご覧ください。私は病気です。私はこれから自由になりたいのです。私は神様の御前に二心はありません。もう十分なのです。私に迷いはありません。どうすればいいでしょうか」と。

オーケー、学ぶことと成長することが必要です。私たちは「イエスに従います」と言う時、救いのための祈りを言います、「私は私の心の中に神を受け入れます」と。そして、しばし沈黙し、私たちの頬を涙が流れます。その時、私たちはこんな感じです、「神が私を助けて下さいました。私はまったく神と共にあります」。そして、全てがオーケーと感じます。そうですよね? しかし、翌日には何が起こるのですか。私たちは再び元の行動パターンに戻ります。神は前に進まれ、あなたがすべきことのために働こうとなさっています。しかし、私たちの魂は、つまり私たちは内側はどうですか。私たちは「私に迷いはありません。私は神を受け入れています。私は救いを受け入れています」と言います。そうですよね? そして、それによって聖霊が自動的にやって来て、私たちの中に住まわれる、そう考えていますよね? しかし、私たちは自分を空っぽにし、全てのガラクタを捨てた後、その空白を神でいっぱいにしなければならないのですしかし多くの人は、あまりにしばしば、そうしていません。人々は、あまりにしばしば神を、あれやこれやの都合の悪いものを取り去ってくれる精霊か何かのように受け取っています。もちろん、彼にそのようなことはできるし、また現にそうなさっています。非常に多くの人が、色々な罪の束縛から救われ、癒され、解放されています。しかし、これについて少し言わせて下さい。

同性愛、これは一つの生活です。これは心の問題です。これは一つの生き方です。私たちは私たちの生活の中にある全てを変えなければなりません。つまり、もし私たちが二心なく「神よ、私はあなたに、私の中のこれらを変えて下さるようお願いします」と言うならば、私たちはどうしなければならないですか? 聖書を読み始めなければなりません。教会に通い始めなければなりません。神がどんなお方かを理解しなければなりません。もしあなたが、物事はどのように進むものであるか、神はあなたに何を期待しておられるかさえ知らないなら、あなたはどうして神があなたのために何かしてくれると期待することができるでしょう? 確かに、彼は素晴らしい神です。彼はただただあなたを愛したいと思い、あなたの中に新しい心を作りたいと思い、そして、あなたにとって最善のことを何でもしてあげたいと思っておられます。しかし、あなたは学ばなければなりません。聖書があの事この事について何と言っているかを、イエス様が私たちにどう生きて欲しいと思っておられるかを、そして私たちの物の考え方、私たちの心は、どのようにすれば変わるかを。私たちは自分自身を教育しなければなりません。オーケー?

そして、第二の事。私たちは聖霊に従わなければならないしかし、それはどういうことでしょうか? 私たちが神について知るにつれ、聖書を読み進めるにつれ、成長するにつれ、聖霊が私たちに干渉し始めます。聖霊は私たちにこう言い始めます、「オーライ、オーケー。さあ、ではこの辺で、あなたはあなたにとっての友人を変え始めなければならない。そう、彼らは素晴らしい人たちかも知れない。魅力的な人たちかも知れない。あなたの親友かも知れない。しかし、彼らは同性愛のライフスタイルを送っているので、あなたはそこから離れようとしなければならない」と。しかし、もしあなたがまだその世界の周りをうろうろしていたなら、変わることは難しいことになります。私が考えているは、次のようなことです。

多くの人が藻掻いています。しかし、もし私たちが私たちの人生の問題の部分について神が私たちに干渉することを許そうとしないなら、私たちは元に戻ってしまいます。つまり、もし聖霊が私たちに、友人を変えるように、ストリップ・クラブにはもう行かないように、外をぶらぶら歩くことはもうやめるように、つまりバーだの何だのという場所に行くことはもうやめるように、或いはゲイ・プライドにはもう行かないように言っているのに、その干渉を受け入れようとしないなら、そうなります。私は、それらの善意の人たちのことを「悪い人たち」だと言っているのではないのです、違います。しかし、もしあなたがそれまで同性愛の生活を送っていたなら──私自身、過去、それを生きていたから分かるのですが、私たちを同性に引きつけるその引力にはなかなか抗い難いものがありますよね? それなのに、そのような環境の中に再び行って、そこの人々がどのように振る舞っているかを見たら、あなたの心はすぐにその世界の中に戻りたくなってしまうでしょう。多くの人がそうなっています。それというのも彼らが、聖霊が彼らの人生をクリーンアップするのに協力しなかったからです。聖霊が彼らの古いガラクタをすっかり掃除し始めるのに協力しなかったからです。そして、この事には時間がかかるのです。時間がかかります。私たちはその間、自分の心を本当に一つにまとめて、聖霊の導きに従わなければならないのです。アルコール依存症の人はバーの辺りをうろうろしてはなりません。駄目です。それは愚かなことです。アルコール依存症の人は、もしそれから自由になりたければ、仲間の家にも行くべきではありません。たとえその人が魅力的な人であってもです。しかし、皆、フットボールを見などして、時を無益に過ごしているのです。そんなことをしている場合ではありません。それじゃ何も変わりません。もし私たちが本当に自由になりたいなら、自分を神でいっぱいにする必要があります。聖書を学ぶ、もっと学ぶ。理解を深める。そして聖霊が私たちの人生をクリーンアップするのに協力する。この他にもあるでしょう。それについてはまた後で、別のビデオで話したいと思います。しかし、以上が基本的な二つの事です。

私たちはこれまで、非常に多くの回数、LGBTコミュニティの人々に会ってきましたが、彼らはこう言うのです、「私は神を試してみた。でも、無駄だった。私を解放して下さいって神に叫んだ。でも、何も起こらなかった。解放されなかった」と。しかし、これはただ、外側を変えることが直ちに内側が変わることなのではない、ということです。もし外側を変えていながら内側が変わっていないとすれば、何かがおかしいということです。何かがおかしい。と云うのは、変化というものは外側から内側へという方向で起こるものではなく、内側から外側へという方向で起こるものだからです。あなたが外面上どのようであるか、どのような服を着ているかなどは問題ではありません。神はまず人間の内面に働きかけ始められ、その内面にふさわしく外面も整い、きれいなものになっていく、という方向で試みておられます。もしあなたが、神が自分の内面に働きかけるのに協力しないなら、外側をきれいにしても、それはただの洗濯です。それは無駄に終わります。

だから、もしあなたが同性愛から解放されることを神に願っているなら、もしあなたが神からの干渉を感じているなら、勇気を出して下さい。私が言いたいのはこうです。神の言葉に堅く立って下さい。神の言葉を学んで下さい。それを知って下さい。できるだけ情報と知識を取り込んで下さい。何故なら、そのような事があなたが歩くために必要だからです。あなたが解放されるために必要だからです。そして神は、あなたの人生の他の色々な面でもあなたが変わり始めるよう言っておられます。あなたは従わなければなりません。あなたは聖霊の導きに従わなければなりません。イエス様は天国に戻られる時、「わたしはあなたがたに助け手〔弁護者〕をつかわす」〔聖ヨハネ 15:26〕と言われました。「助け手」とは聖霊のことです。当時の弟子たちと人々は、三年の間、神の言葉を宣べ伝えるイエス様と共にありました。しかし私たちは、私たちの内側から常に私たちに働きかける聖霊を持っています。私たちは従わなければなりません。そして理解し、学ばなければなりません。そして忍耐強くなければなりません。何故なら、この事には時間がかかるからです。聖徒たち、勇気を出して下さい。愛を送ります。

彼女はネットでは、あまり「書く」ことに盛んでなく、
もっぱら YouTube で「しゃべって」いる。

しかし、彼女は自分の体験をもとに一冊の本を書いた。
An Unconventional Love Letter to the LGBTQ Community: Exposing the True Enemy(LGBTQコミュニティへの型破りのラブレター: 真の敵の暴露)

by Jessica A. Newsome

日本の amazon からでも入手可能。高いが。

Jessica Newsome

The Family Church Mcallen (Mcallen は地名

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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