2017.06.21

日本は LGBT 問題に関して「後進国」

ここに於ける「後進国」という言葉の意味は、通常の、つまり現在の日本社会で思われがちな意味ではありません。「日本の社会は LGBT の人たちに対する理解がまだまだ足りない。まだ偏見や思い込みを持っている」という意味で「後進国」と言っているのではありません。では、どういう意味か。

1

LGBT CJ に参加している “当事者” の人たちは分かっているのでしょうか? 分かっているなら、余計なことですが──

私も、この問題を調べ出して初めて知ったことですが──
LGBT CJ の小笠原氏の主張の主要なところは、以前ちょっと紹介した日本人クリスチャンの人のブログが「(ゲイ神学として)一般的」と言っているところのものであり、また、これも以前紹介した、日本では貴重とも言える翻訳書が「同性愛擁護派の間でよく聞かれる主張」と言っているところのものです。つまり、少しも新しくありません。むしろ「ありふれた」ものです。

もちろん、「一般的」なものであっても、「よく聞かれる」ものであっても、「新しくない」ものであっても、「ありふれた」ものであっても、正しければ問題ありません。

しかし、正しくありません。良ければ、拙記事「狂気を孕んでいちゃ駄目だろ 8」あたりから読んでみて下さい。

2

海外では、新しい潮流が起こっているようです。

あたかもシャーリン・コトラン ↑ の 呼び声 に応えているかのように、「脱同性愛者」を名乗る人たちの声が、ますます多くなっているようです。

もっとも、「Ex-gay(元同性愛者)movement」自体はそんなに新しいものではありません。そして、途中(2013年)、キリスト教の観点から同性愛問題を専門に扱う諸機関の世界最大のネットワークと言われていた「Exodus(エクソダス)International」が、当時の会長であったアラン・チェンバースという人によって閉鎖されたりしました。しかしそれでも、その後も「ex-gay」を名乗る声は少しも少なくなるようでありません。

日本はこの問題に関して後進国です。例えば、YouTube で「同性愛からの解放」とでも打って検索してみて下さい。一体、どれだけの日本人の証言がヒットしますか? “皆無” ではないでしょうか。

ところが、次に、「ex-gay testimony」とでも打って検索してみて下さい。「数え切れないほど」という形容が必ずしも大袈裟でないほど、非常に多くのものがヒットします。日本の、少なくともクリスチャンは、これを無視してはなりません。無視なんかできるものではありません。

3

Desire of the Everlasting Hills

カトリックにも若干の新しい流れがあります。

私も今回初めて知ったけれども、Courage International は2014年、同性愛生活から貞潔へ移った三人のカトリック信者の証言を記録した映画を発表しました。ネットで全編、公開されています↓

Desire of the Everlasting Hills Movie  / Vimeo  / YouTube

※ タイトルの「Desire of the Everlasting Hills」は、或る記事によると、「イエズスの聖心の連祷」の中の「永遠の丘の希望なるイエズスの聖心、われらをあわれみ給え参照/ Heart of Jesus, desire of the everlasting hills, have mercy on us参照」から、また同時に、創世記の最後にあるヤコブの祝福〔49章26節、英文〕から来ているとのことです。

三人の証言者

ダニエル・マトソン

Daniel Mattson

音楽家・舞台芸術家

ライリーン・シンプソン

Rilene Simpson

実業家

ポール・ダロウ

Paul Darrow

元ファッションモデル

amazon.co.jp

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特に、マトソン氏は一冊の本を書いています。書名は『なぜ私は自分のことを “ゲイ” とは呼ばないか: 私はどのように自分の性的現実を取り戻し、平安を見出したか』。

今まで幾らか見て来たように、自分の同性愛傾向と闘った(or 今も闘っている)人たちの中には、「自分は同性愛から完全に解放された」と言う人たちも居れば、「自分はまだ完全には自由になっていないが、貞潔を守って生きて行こうと決心した(そして既に平安を味わっている)」と言う人たちも居ます。マトソン氏は、「なぜ私は自分のことを “ゲイ” とは呼ばないか」と書いているところからすると、おそらく後者なのでしょう。

左の本を書いた人も居ます。
David Morrison という人。
彼もカトリック教徒です。

このように、カトリック界でも、海外では若干の動きがあるのですが、日本には伝わって来ません。

4

上で既に書きましたが、エクソダスは2013年、アラン・チェンバースによって解体されました。私はよくは調べてないのですが──彼によれば、何でも、エクソダスは多くの人を「傷つけた」とかで、彼はそれについて「アイム・ソーリー」と謝罪し、そして、問題を「改善」するよりはむしろ、エクソダスそのものを「閉鎖」してしまうことを選んだ──ということのようです。
で、以前、スティーブン・ベネットという人を取り上げましたが、彼は、エクソダスが閉鎖された直後、次のように言ったそうです。

Christian Newswire

エクソダスには悪いが、
同性愛者は「完全に」変わることができる

Sorry Exodus, Homosexuals Can COMPLETELY Change

2013年6月19日

HUNTINGTON, Conn., June 19

(…)

ベネットは話をこう結んだ。「カケラが落ちるままにしておきましょう。“それでもプロ-ファミリーの人たちは立ち続ける” ということを、世界が知るべき時です。私を同性愛の罪から解放してくれたのはイエス・キリストだけです。ex-gay〔元同性愛者〕グループが解放してくれたのではありません。レペラティブ・セラピーが解放してくれたのでもありません。心理学者が解放してくれたのでもありません。私は神の御言葉とキリストが私のためにカルワリオで流して下さった御血によって全体性〔傷のない本来的な状態〕を回復せしめられたのです。私は、死ぬ時が来るまで、その希望を、その自由を、その恵みを、その真理を、その現実を、それらを探す全ての人々のために広め、提供するでしょう。私の兄弟アラン・チェンバースもこの真理を掴むことを祈ります」

Bennett ended, “Let the chips fall where they may. It's time the world knows where those in the pro-family movement stand. It was Jesus Christ alone who set me free from the sin of homosexuality - not an ex-gay group, not reparative therapy and not any psychologist. I was made whole by the Word of God and the blood of Jesus Christ shed for me on Calvary, and I will proclaim and offer that same hope, freedom, grace, truth and reality to all who seek it until the day that I die. I pray my brother Alan Chambers will grasp that same message.”

私は、これが本質だと思います(上の赤文字にした部分)。
「セラピー」ではなく「イエズス・キリスト」なのだと。
あくまで。

また、もう一度言いますが、YouTube で「ex-gay testimony」と検索する時、ベネット氏の「 “それでもプロ-ファミリーの人たちは立ち続ける” ということを、世界が知るべき時です」という言葉も、シャーリン・コトランの証言に続いて、まったく正しかったように思われます。

5

これも以前取り上げたジェシカ・ニューサムさん。私は、彼女はなかなか大したものだと思います。彼女は、自分の体験をもとにして書いた本(私は買いました)の中で、次のように書いています。

2 戦い

2 The War

(…)

私は、人々が私に、私がレズビアンになったのには幾つかの原因がある、と考えさせようとすることに我慢なりませんでした──いえ、それを憎んでいました。実際、私は今でも、自分がそのように生まれついたということを前提として支持しています。なぜ? 私たちは皆、罪のもとに生まれたからです。アダムとイブは、善悪の知識の木の実を食べた時、サタンに地を支配する権威を与えてしまいました。罪が世界に入り込み、その時を境に以降、私たち〔人間〕の中に一つの戦いが──肉と霊の戦いが──起こるようになりました。間違わないで下さい、私たちは単に物理的な世界(私たちの五官で知覚される世界)に住んでいるわけではありません。多くの人は気づいていませんが、私たちは霊的な世界にも住んでいるのです。私たちは第一に、そして何よりも、霊的な存在なのです。(…)霊的な世界に、二つの王国があります。一つは、サタンが支配する暗黒の王国であり、もう一つは、私たちがそこで神と共に生きるよう招かれている光の王国です。選択は私たちにかかっています。私たちの肉はしばしば、私たちの霊にとって害となったり妨げとなったりするものを渇望します。

I couldn't tolerate――no, I hated it when people tried to reason me into thinking there was some root cause to my being a lesbian. I actually still support the premise that I was born that way. Why? We were all born into sin. The moment Adam and Eve ate of the fruit from the forbidden tree of knowledge of good and evil, they gave authority over the earth to Satan. Sin was ushered into the world, and from that day forward, a war wages on the inside of us――a war between flesh and spirit. Make no mistake; we do not simply live in the physical realm (the world as perceived with our five senses). We also live in a spiritual realm, which goes unnoticed by many. We are first and foremost spiritual beings. We aren't simply flesh and bones, but a three-part being (I will explain this later). In the spiritual realm, there are two kingdoms: the kingdom of darkness where Satan rules and the kingdom of light, where we are invited to live with God. The choice is ours. Our flesh often craves and desires things that would harm or hinder us spiritually.

或る人は、こう考えます。

多くの場合、同性愛の「傾向」は “先天的・生得的” なものと考えられる。であれば、従って、そこから出て来る同性愛の「行動」も “自然な” ものであり、基本的に(反社会的な表出の仕方をしない限り)“無罪” なものと考えられなければならない。

しかし、ジェシカさんはそう言わず、こう言うでありましょう。

私は、自分のその「傾向」は “先天的・生得的” なものと言っていいように思う。しかし私は、このことをもって「従って」と言わない。「従って、それは “自然な” ものである」と言わない。「従って、そこから出て来る行動も、基本的に “無罪” である」と言わない。

或る人」の考え方は、ほとんどただ「科学」であるだけです。
対して、ジェシカさんの目には「原罪」というものが入っています。そこからおよそどんなものでも派生する可能性がある、ぐらいのことを考えているのです。当事者にとっては「自然な」と感じるのも “無理もない” 話であるが、その「自然」なるものがどの段階で “歪み” を受けるか知れない、と考えているのです。

そのような考え方は「科学」からは馬鹿にされるでしょう、「単なる宗教的空想話」と。しかし私は、「原罪」というものを全く考慮に入れない「科学」よりは、よほど謙遜だと思います。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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