次回から「フランス革命下の殉教」を少し見てみようと思います(まあ、エネルギーが続けば、ですが)。
しかし、その前にちょっと言ってみたい事があります。
私たちが歴史上の人物を見る時、その人の「写真」があるかどうかがかなり影響すると思いませんか?
つまり、その人の「写真」が残っている場合、私たちはわりあいその人に「近しさ」を感じ、対して「肖像画」しか残っていないような場合には、何となく「遠さ」を感じてしまうというような。
オランジュの殉教
或いは、信仰的な「御絵」にしても、やや神秘的に描かれているが故に、下手をすれば半ば「伝説的」に見えてしまうというような。(御絵が悪いというのでは決してないけれど)
何か、そんなふうな「心理」が、私たちの内に働いていると思いませんか?
さて、フランス革命のバスティーユ襲撃は1789年、九月虐殺は1792年。そして、写真の実用は1800年代の半ばぐらいからボチボチ、といった感じです(参照)。
つまり、もし写真技術の発達がもう少し早ければ、私たちはフランス革命の様々な騒動や暴虐を写真で見ていたかも知れません。
リジューのカルメル会の公式サイトは、聖テレーズに関係する写真として、1894年あたりからの写真を公開しています。参照
一枚頂きましょう。下の写真は1895年撮影とのことです。
私が言いたいのは、要するにこういうことです。
もしこの修道女たちが、正にここに見る修道女たちが──ここには聖テレーズの顔もセリーヌの顔もありますから縁起でもないですが──「ギロチンに処された」としたら、あなたはどう感じますか?
変なことを言うなって? いや、しかし、そういうことなのです、私たちが汲むべき「リアリティ(現実味)」としては。
上の写真より僅か100年前(100年なんて「僅か」だと思います)には、正にこのようなシスターたちが、ひとりひとり名と顔を持ったシスターたちが、血肉を持ったシスターたちが、いわれのない理由で以って次々と断頭台に送られたのです。
これは少しも「伝説的」でない、ただただ「現実」であるところのものです。
無感動になっている現代人たち、「理屈家」になっている現代人たち、少しは驚きませんか。
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」