2018.03.19

今田健美(こんだ たけみ)神父様 3

前回に続き、今田健美神父様著『鳩と蛇の語らい』(中央出版社、1980年、絶版、amazon)から転載する。

p.287~

要理ばなれ

今田健美神父様

(1910-1982)

 カトリック要理ばなれとでもいうか、神父たちがカトリック要理を軽視どころか使わなくなったようだ。しかし、その結果は、信仰の一致ということからも、徐々にはずれていく気配が感じられる。

 わたしの狭い視野の中で、そう感じているだけだから、あるいは取り越し苦労かもしれない、そうであってくれるように祈る。カトリック要理がおろそかにされるほど期せざる結果として、神父たちの威信と言えば、適切でないかとも思うが、失われていくようだ。

 聖書によって教えれば、どういうことになるか、理論上はさておき、実際においては、説く人によって、偏りが大きい。A神父はこう言ったのに、B神父はこう言った。色彩のちがいくらいならよいし、当然だが、信仰そのものまで、別々なものにならないとは限らない。

 そうなると事は重大だ。人物がどうの、私生活がどうのということも重要にはちがいないが、信仰の一致性がはっきりしなくなると事実上もうカトリック教会とは言えなくなってしまう。もうそこまで行っているというのではない。

 しかし、もっとも警戒すべき重大な危険がきざしていることは明らかだ。

 教役者が全般として威信を失墜する原因がそこにある。威信の失墜は、教役者が、ほかのことに心を奪われていて、信仰そのものが一致という点で、弱められている傾向についてはほほかむりでないまでも、必要な声を出さない結果だろうと思う。

 極端に言えば、一致しない神父が多いのは災いで、神父の数が少なかろうが、不足しようが、一致していれば、前途有望だ。数がそろうことがどんなに望ましいとしても一致を犠牲にすることはできない管理人注1。一致こそこの上もない祝福だ。

 わたしもまた宣教者、教役者のはしくれであり、いつの間にか古くなり、それなりの責任もあるから、言いにくいことも言わねばならない。

 教役者だというから、人が傾聴するのに、教役者の一致から離れて、自説ばかり述べるのは不実であり、裏切りだ。そういうのは警告されなければならない。

 危険の種類があまたある中で、ほかのどんなことよりも、信仰の一致を守ることが大切だ。それを放置するから、権威筋の権威が地に落ちる。塩がもし、その味を失えば、もう役に立たない。外に投げ出されて、道行く人々に踏まれるばかりだ。

 知識だの、学問だのよりも、伝統的信仰こそ命なのだ。教会は単なる学歴社会ではない。

 ことしも、何人かの新司祭が叙階されたし、叙階される。思いおこせば、わたしが叙階されたのは二十四歳だった。そんな若者だったのに、神父として迎えられ、説教も、司牧も、自分自身の劣等感にもかかわらず受け入れられ、立派に通用した。司祭団の威信がそうさせたのだと思う。

 それにひき比べて、近年の新司祭はお気の毒なところがある。

 「大丈夫かな?」という目で見られるのはまだいいほうで、「どうせ、変なことを言う人が一人増えただけだろう?」と思われたりするのではないか。まったく、涙がこぼれ、ため息が出る。

 先輩のわれわれが、よい指導を怠ったためにこうなったのか。とすれば、どんなところが怠りなのか、まちがいなのか。

 おそらく、先輩の指導の足らなさが唯一の原因ではなく、むしろ指導を拒否する傾向が強かった年代管理人注2があったことこそ原因だろう。先輩のほうは今も従来のように続けているし、若いほうはバラバラのまま、指導拒否の傾向では一致しているから、やがて、第三の年代が、前車の轍[わだち]を見て、別な態度を選び、それがなんらかの解決となるだろう。

 カトリック要理ばなれが、ひとつの崩壊点になっていると思えてならない。古いのを改訂してからは、なんとなく使いにくくなり、次には、別な新しい着想のものが、何種類も生まれ、そのどれもがカトリック要理にとって代わるほどのものではなかった。今では、カトリック要理が与えたように、つまり、ひととおり学習し身につけさえすれば、自他ともに心強く、一致も感じられた、そういうものがない。聖書は一つでも、解釈が、あまりちがいすぎて、そのために頼りなくなる。

 カトリック要理を捨てる、どうでも捨てるというなら、わたしをも、いっしょに捨ててもらいたい。殉死する。

[管理人注1] しかし、現在の司祭たちはそのようには考えない。何故なら、彼らには「多様性に於ける一致」という言葉があるからだ。言葉というものは悪用もされれば善用もされる、と考えてみることもできる。しかし、この言葉は教会の中では有害に使われることの方が多いだろう。(例えば、教会は「多様性に於ける一致」という考え方によって──それを言い訳のように使いながら──あの本田哲郎神父をさえ放置することが不可能ではないだろう)戻る

[管理人注2] 全共闘世代のことではないか。
その頃のことを幸田補佐司教様はこう振り返っている。

毎日がクリスマス

 聞くところによると、昔の神学校にはいろいろな規則があったそうです。(…)ところが神学校に入ってみたら、規則というものはほとんど何もありませんでした。第二バチカン公会議があり、学園紛争があったりした後の時代で、古い規則ずくめの神学校は崩壊していたのです。もちろん外出は自由。門限は一応夜9時だったと思いますが、ほとんどの神学生は玄関の鍵を持っていて、何時に帰ってきてもOKでした。
 神学院ですからもちろん毎朝ミサがあります。
 あるとき、一人の神学生が「ミサに出るのは義務ですか」と院長に聞きました。(…)

この司教様は「規則ずくめ」と彼が言う状態と「規則というものはほとんど何もない」という状態との間に何も見ないのだろうか。つまり「規則というものはほとんど何もない」という状態は「もう一つの行き過ぎ」ではなかったかと考えるところは少しもないのだろうか。「規則の効用」というものを少しも考えないのだろうか。

そして、今の話に戻れば、神学生の一人が「私たち神学生にとって朝ミサに出るのは義務ですか」と訊いたそうであるが、こういう質問をすること自体が「指導を拒否する傾向が強かった年代」に特徴的なことだろう。否、「拒否する」という言い方は言い過ぎかも知れず、「既成の価値観を何でも一度はひっくりかえして疑問に付してみなければ我慢ならなかった世代」とでも言えばいいか。

しかしそもそも「神学生」の身にして朝ミサに出ることぐらいは「義務」で結構なのであって、そのような質問をした神学生は要するに「未熟者」だったであろう(私がこう言う理由は追々後述)。また、問われた院長も院長で、「義務であるかそうでないかは問うてはならない」などと妙な答え方をするのである。

「より本質的なことを考える」という一見もっともらしい方向性を鼓舞され、神の信者たちは変なことになってしまった。いわゆる「実際」を、「霊的実際」(これも追々後述)を見る視覚を失ってしまった、或いは「学ばずじまい」で来てしまっている。戻る

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックしてください→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system