2018.05.05

エルデル・カマラ大司教 9

カマラ大司教の父親はフリーメイソンだった

(そして、この表情↓である)

エルデルとその父親(Helder e seu pai

ネットの中を少し調べるだけで、カマラ大司教の父親(João Eduardo Torres Câmara Filho)がフリーメイソンだったことが分かる。

英語検索:

Hélder Câmara, father, mason

ポルトガル語検索:

Hélder Câmara, pai, maçom

ポルトガル語検索:

João Eduardo Torres Câmara Filho, maçom

そればかりか、アメリカの『U.S.Catholic』というカトリック誌は、カマラ大司教に焦点を当てるために、自誌の古い記事を掘り起こし、ネット上で復刻しているが、そこにはこう書かれている。

USCatholic.org

この記事は『U.S.Catholic』誌の1979年9月号(Vol. 44, No. 9, pages 49-51)に掲載された。

This article appeared in the September 1979 issue of U.S. Catholic (Vol. 44, No. 9, pages 49-51).

(…)

若干驚くべきことに、私たちは、ドン・エルデルの父親、祖父、そして “おじ” たちがフリーメイソンだったことを知るに至った。

Somewhat surprisingly, we learn that Dom Helder’s father, grandfather, and uncles were freemasons.

(…)

Created: Monday, September 1 2014 12:53 AM

この記事は、別に、カマラ大司教を貶めようという意図は感じられない記事である。基本的にカマラ大司教に好意的な記事である。その記事がこう書いているのである。

母親はカトリック教徒だったようである。しかし私は、それが何だろうと思う。と云うのは、私は上の写真を見て、私の「犬の直感」で、こう思うからである。「フリーメイソンである父親とこのような表情で写真に収まることができたならば、カマラ神父は過去の教皇たちがフリーメイソンに関して発して来た数々の警告を実質的には “少しも” 真剣に受け止めていなかったことだろう」と。

そして、私のこの「犬の直感」の正しさを証明するかのように──

カマラ大司教はフリーメイソンを讃えた

ブラジルに、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールの名を冠した「Montfort - Associação Cultural」という護教的な感じのカトリック・サイトがある。そのサイトは次のような題名の一連の記事をアップしている。

「1917年から1991年までのカトリック教会に対するフリーメイソンと共産主義のアプローチ」

Part I   Part II   Part III-a   Part III-b   Part IV-a   Part IV-b

その最終パート「Part IV-b」の中に、具体的な日付と共に「カマラ大司教はフリーメイソンを讃えた」という話が出て来る。

Montfort

A aproximação da Maçonaria e do Comunismo com a Igreja Católica, no período de 1917 a 1991 – Parte IV-b

Autor: Marcelo Fedeli

(…)

しかし当時──神に感謝──1873年に、私たちはここブラジルで、モンシニョール・Darboy とは反対の例を持っている。すなわち、オリンダの司教、ドン・ヴィタルは、ローマ教皇の教えに忠実だったためにフリーメイソンから迫害された。

Naquela mesma época, porém — e graças a Deus — em 1873, tivemos aqui no Brasil um exemplo oposto ao de Mons. Darboy: D. Vital, Bispo de Olinda, sendo perseguido pela Maçonaria por ser fiel aos ensinamentos do Romano Pontífice.

しかし──聖なる公教会と私たちのブラジルの教会にとって残念なことに──ドン・ヴィタルがオリンダで司牧していた頃からおよそ100年後、第二バチカン公会議の閉会から3年後の1968年7月26日に、ドン・エルデル・カマラ(その時のオリンダ及びレシフェの大司教)は、新しい時代の精神に完全に順応しながら、世界のメディアのすべての触手によって大いに賞賛され、崇拝され、高評価されながら、公然と、かつ恥知らずにも、フリーメイソンを賞讃し、聖なる公教会のすべての文書に完全に逆らいながら、その秘密結社は常に「活発に働いている力であり、宗教や人種による差別をせず、国が抱える諸問題の解決に向けての闘いにおいて役割を担っている」と断言した。

No entanto — e infelizmente para a Santa Igreja e para o nosso caro Brasil — na mesma Olinda de D. Vital e quase 100 anos depois, no dia no 26 de julho de 1968, três anos após o encerramento do Concílio Vaticano II, D. Helder Câmara, então Arcebispo de Olinda e Recife, totalmente adaptado à mentalidade dos novos tempos e, portanto, muito admirado, incensado e exaltado por todos os tentáculos da mídia mundial, enalteceu pública e vergonhosamente a Maçonaria, contrariando absolutamente todos os documentos da Santa Igreja, afirmando que aquela seita secreta é sempre uma força atuante, não faz discriminações entre religiões e raças, toma parte na luta pela estruturação dos problemas nacionais”.

彼はこのように結論した:

E concluiu:

「フリーメイソンは常に、人々の要求にぴったり寄り添い、独裁や圧政と戦って来ました。そのように、それは普遍的な次元を持ち、人間の自由のための闘いから自身を切り離さず、何よりも人々の正当な切望を満たすことを目指しているのです。フリーメイソンは神を信じています。しかし、彼らについての諸々の偽りの、誤った解釈が存在します。それは、過去から続いて来た高度に道徳化された原則のようなものであり、時代の進行と共に更新され続けて来た巨大な力です」

“A Maçonaria sempre lutou contra o despotismo e a tirania, colocando-se ao lado das reivindicações populares. Assim sendo, ela tem dimensões universais, não se insula da luta em prol das liberdades humanas e, acima de tudo, busca atender aos legítimos anseios do povo. Os Maçons crêem em Deus, e sobre eles há falsas e errôneas interpretações. É uma enorme força que, vindo do passado, de princípios altamente moralizantes, se renova com a marcha dos tempos”.

1968年、ドン・エルデル・カマラはフリーメイソンに賛辞を送った

Dom Helder Camara fez declarações elogiosas à Maçonaria em 1968

(…)

彼にとって教皇たちの「フリーメイソン否定」は「故なき圧政」の一つであったことだろう。

フリーメイソンの勢力が強いブラジル

私は、ブラジルのミルトン・ドス・サントス大司教に目をつけたあたりから、「ブラジルという国は何故こうもフリーメイソンの勢力が強いようなのだろう」と首を傾げたものである。何故そうなのかはひとまず措いて、その勢力が強いことは、簡単な観察によってあまりにも明らかである。

そして──これは小さな事だが──私は、ブラジルのおそらくフリーメイソンであるだろう人が一つの象徴的な写真をもってカマラ大司教を讃えていることに気づいた。参照
これは確かに小さな事、取るに足りない例かも知れない。しかしそれでも、私は、この写真が意外と、ブラジルのカトリックの状況をよく象徴していると思うのである。「教会の中にフリーメイソン、普通にフリーメイソン」

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」  - 共産主義の目標 -

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