2018.08.01

典礼秘跡省長官ロバート・サラ枢機卿様
「キリストの御体を謙遜に、跪いて舌で受けましょう」

Robert Cardinal Sarah

「聖母奉献のアーカイブ」さんが伝えてくださった、典礼秘跡省長官のサラ枢機卿様が「手による聖体拝領は教会に対する『悪魔的攻撃』の一つである」とおっしゃったことについて。

先ず、サラ枢機卿様はそれをどこでおっしゃったか。
再び「聖母奉献のアーカイブ」さんから引用させてもらいます。〔 〕と中略記号(…)は私による付加。

サラ枢機卿「手による聖体拝領は教会に対する『悪魔的攻撃』の一つ」(英The Tablet誌より) | 聖母奉献のアーカイブ

〔The Tablet 誌の文章〕

(…)と、72歳のギニア人の高位聖職者〔管理人注: サラ枢機卿のこと〕はFederico Bortoli 神父による書籍 『La Distribuzione della Comunione sulla Mano: Profili Storici, Giuridici e Pastorali』(1)(手への聖体の授与: 歴史的な、法的な、そして司牧的な概要)の前書きに寄せて書いています。

サイト管理人による備考

(1) 2018年2月26日にイタリアで出版された書籍。

つまり、サラ枢機卿様はそのようなことをインタビューとかでおっしゃったのではなく、この本に寄せた序文の中で「書いて」おられるということです。

これは全く、かつてカザフスタンのアタナシウス・シュナイダー司教様がお著しになった『Dominus Est(それは主である)』に、やはり時の典礼秘跡省長官であられたマルコム・ランジス枢機卿様(当時は大司教)が序文を寄せられたことを思い出させます。

さて、サラ枢機卿様のその序文を、私の低劣な語学力にもかかわらず、試訳してみます。基本、英訳に基づきながら、しかし少しイタリア語原文も参照しながら(もちろん、機械翻訳に頼りながら)。

あくまで素人の訳です。「サラ枢機卿様は “だいたい” こういうことを言っている」程度にお受け取りください。

この試訳は抜粋です。抜粋箇所は、参照した抜粋記事と一致していません。それらが省略しているところをイタリア語の全文から試訳したところもあるからです。

文中、サラ枢機卿様の言葉が私に連想させる色々の事にリンクを貼らさせてもらいました。読者にとっては煩わしいかも知れないけれど。
〔 〕は私による付加。強調も私による付加。

伊語・全文

伊語・抜粋

英訳・抜粋

序文

ロバート・サラ枢機卿
典礼秘跡省長官

物事の全てを巧みに配置し給う神は、私たちがファチマの御出現の100周年を祝った直後、フェデリコ・ボルトリ神父の本『手への聖体の授与』を与えてくださいました。1916年の春、聖母の御出現に先立ち、ルチア、ヤシンタ、フランシスコの前に平和の天使が現われ、「怖がらないで。私は平和の天使です。私と一緒に祈ってください」と言いました。天使は地面に額がつくほどひれ伏しました。子供たちは超自然的な力に促されて天使の真似をし、天使に続いて次の祈りを復唱しました:「わたしの神よ、わたしはあなたを信じ、あなたを礼拝し、あなたに希望し、あなたを愛します。あなたを信じず、あなたを礼拝せず、あなたに希望せず、あなたを愛さない全ての人々のため、赦しをお願い致します」。そして天使は消えました。〔同じ〕1916年の春、天使の三度目の出現の時、子供たちは、天使が(それはいつも同じ天使でしたが)カリスを左手に持ち、その上にホスチアが浮かんでいることに気づきました。ホスチアからカリスの中に御血がしたたり落ちていました。天使はカリスとホスチアを空中に浮かせておいて、子供たちに近づき、地面にひれ伏して次の祈りを三度繰り返しました:「至聖三位一体の御父、御子、聖霊、わたしはあなたを心から礼拝し、御子が嫌われる侮辱、冒涜、無関心の償いのために、地上の全ての御聖櫃におられるイエズス・キリストの尊い御体、御血、御霊魂、御神性をあなたにお捧げいたします。そして、至聖なる聖心の御功徳とマリアの汚れなき御心の執り成しを通じて、哀れな罪人たちの回心のためにお恵みをお願い致します」。そして天使は起き上がり、カリスとホスチアを手に取り、聖なるホスチアをルチアに、カリスの御血をヤシンタとフランシスコに与えました(その間、三人の子供たちは跪いたままでした)。天使はその時、「恩知らずの人たちからひどく侮辱されているイエズス・キリストの御体と御血を受けなさい。彼らの罪のために償いをして、あなたたちの神を慰めて差し上げなさい」と言いました。天使は再び地面にひれ伏して、同じ祈りをルチア、ヤシンタ、フランシスコと共に唱えました。つまり、平和の天使は私たちに、私たちがどのようにイエズス・キリストの御体と御血を受けねばならないかを示したのです管理人注1

天使が言った償いの祈りの言葉遣いは、残念ながら、今や古めかしいものになっています。しかし、イエズスが聖なるホスチアにおいてお受けになっている侮辱、私たちがそのために償いをしなければならない侮辱とは何でしょう? それは第一には、幾人かの改心した元サタニストたちが打ち明け、身の毛もよだつような説明をしているところのものです。成聖の状態にないまま受ける冒涜的な聖体拝領、またカトリック信仰を宣言しないまま受ける聖体拝領(私は、いわゆる「相互陪餐(intercommunion)」の或る種の形態もこれに含まれると考えますが)は、共に侮辱です。そして第二には、秘跡からの豊かな実りを妨害する全てのもの、特に、その影響によって信者がもはや御聖体を信じなくなるような、信者の心に撒かれた諸々の誤謬も、天主に対する侮辱です。いわゆる「黒ミサ」の中で行なわれる恐ろしい冒涜は、ホスチアにおいて侮辱されている御者を直接には傷つけません。それはパンとブドウ酒の偶有(accident、属性)において起こるだけです管理人注2。もちろんイエズスは、彼を冒涜する人々の霊魂のために苦しまれます。また、イエズスが彼らのために流した御血を大変哀れにも、また残酷にも軽蔑してしまっている人たちのためにも苦しまれます。しかしイエズスは、彼の神性も人性も含まれている御聖体における彼の現存という途方もない贈り物が信者の霊魂にその潜在的効果を発揮することができない時、もっと苦しまれます。それで、私たちは、最も狡猾な悪魔的な攻撃は、誤謬を撒き、御聖体を受ける不適切な方法を促進することによって御聖体に対する信仰を消滅させようとする試みの中にある、と理解することができるのです。確かに、一方には聖ミカエルと彼の軍勢、他方にはルシファーとその軍勢という、この二つの間の闘いが、信者たちの心の間にも続いているのです。サタンは、ミサの御犠牲と奉献されたホスチアにおけるイエズスの「まことの現存」を標的としているのです管理人注3

この強盗の試みは、次の二つの行路を取ります。第一には、「まことの現存」の概念を後退させることです。多くの神学者たちが「全実体変化」という言葉を、それが教導権によって常に言及されて来たにもかかわらず、馬鹿にし、軽く鼻であしらっています。(…)

まことの現存に対する信仰がどのように私たちが御聖体を受ける時の仕方に影響を及ぼし得るかについて、またその逆のこと〔御聖体を受ける仕方がどのように、まことの現存に対する信仰に影響を及ぼし得るか〕についても考えてみましょう。御聖体を手で受ければ、疑いもなく、御聖体の多くの欠片をあちこちに散らすことになります証言。対して、御聖体の最も小さな欠片にも気を使い、汗で湿っている手でホスチアに触ることをしなければ、それ全体が、奉献されたホスチアの最小の欠片の中にもイエズスのまことの現存を認めるという信仰を宣言することになります。つまり、もし御聖体の実体(substance)がイエズスならば、そして欠片の大きさというものがただパンの偶有(accident、属性)に過ぎないならば、ホスチアの欠片が大きいか小さいかなどということはほとんど問題にならないのです! 実体においては〔大きくても小さくても〕同じです! それは彼です! 対して、欠片に気を使うことがなければ、私たちは教義への視覚を失うことになります。少しずつ、だんだんと、私たちの思いは次のようなものになります:「もし神父様方でさえ御聖体の欠片に気を使わないなら、もし神父様方が御聖体の欠片があちこちに散ることを気にしないような方法で御聖体を扱うなら、それは『イエズスはそこには居られない』ということを意味するか、あるいは『イエズスは或る時点までしかそこに居られない』ということを意味する」。参照

御聖体に対する攻撃の第二の行路は、信者の心から「聖」に対する感覚を取り除こうとすることです。典礼秘跡省は、1980年には既に、指針『イネスティマビレ・ドーヌム』によって、典礼において聖の意識の喪失が進んでいることを嘆きましたが、残念ながらそれからの数十年間においても、その進行は終わることがありませんでした。(…)「全実体変化」という言葉が私たちにその現存の現実味を私たちに印象づけている一方、聖に対する感覚は私たちに、それが全く稀有なことであり神聖なものであるということを垣間見ることを可能にさせます。全くもって、もし最も聖であるもの〔御聖体〕に関して聖に対する感覚を失うとしたら、それはどんなに大きな不幸でしょう? では、どうしてそのようなことになるのですか。特別な食物を普通の食物のように取ることによってです。

(…)

典礼は多くの小さな儀式とジェスチャーから構成されています。そのそれぞれが、神に対する愛、子としての尊敬や崇敬と云ったものに満ちた態度を表現することを可能とするものです。まさしく、だからこそ、教会の長い歴史と伝統の中で育まれて来た美、適切さ、司牧面における価値ある実践などを普及させることが大切なのです。すなわち、それはここでは御聖体を跪いて舌で拝領することです。人間に偉大さと高貴さがあるとするならば、自分の創造主に対する愛を高く表現し、神の御前に跪くというところにあります。イエズス御自身が天の御父の御前に跪かれたのです:「そして彼は、彼らから石を投げて届くほどの所に離れ、跪いてこうお祈りになった。『父よ、み心ならば、この杯をわたくしから取りのけてください。しかし、わたくしの望みではなく、あなたの望みがおこなわれますように』」(ルカ 22:42、マルコ 14:35-36、マタイ 26:38-39)。天国の典礼は、人は屠られた小羊の御前にひれ伏すべきであると主張し、勧めています:「さらにわたしは、四つの生きものに囲まれた玉座と長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。その小羊には、七つの角と七つの目とがあった。目は、全世界に遣わされた、神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座に座っておられるおかたの右の手から巻き物を受け取った。それを受け取ったとき、四つの生きものと二十四人の長老たちは、小羊の前にひれ伏した。この長老たちはおのおの、竪琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持っていた。香は聖なる人々の祈りである」(黙示録 5:6-8)

これに関して、私は、私たちの時代における二人の偉大な聖人を、私たちの模範として紹介したいと思います。それは聖ヨハネ・パウロ2世とカルカッタの聖テレサです。カロル・ヴォイティワの全生涯は御聖体に対する深い尊敬によって彩られています。これについては、私たちは多く語り得るし、また多くの事が既に書かれていますが、彼の教皇職における最後の日々を思い出すだけで十分でしょう。病いを負ったこの男性は、徐々に、そして不可逆的に、ほとんど全く悪化した身体的状況の中に入って行きました。しかし彼は、疲れ果て、衰弱し、病気によって文字通り破壊され、ほとんどキリストと一緒に釘づけられたような状態だったにもかかわらず、御聖体の前に座ろうとはしませんでした。(…)彼は、一人では跪いたり立ち上ったりできませんでした。彼は跪くために、またそこから立ち上がるために、人に助けてもらわねばなりませんでした。彼は、その最後の日々に至るまで、私たちに御聖体に対する畏敬の念の大きな模範を示すことを望んだのです。それなのに、なぜ私たちは、神御自身が私たちの霊的成長のために与えてくださっている秘跡、彼との親密な関係のために与えてくださっている秘跡に対して、こうも誇り高く、且つ鈍感なのでしょうか? なぜ、聖人たちに倣って御聖体を跪いて受けようとしないのでしょうか? 主イエズスの御前に深くへりくだり、跪くことは、本当に卑屈なことなのでしょうか? こうあるではありませんか:「キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして、しもべの身となり、人間と同じようになった。その姿はまさしく人間であり、死にいたるまで、十字架の死にいたるまで、へりくだって従う者となった」(フィリピ 2:6-8)

カルカッタの聖マザー・テレサ。誰も、あえて彼女のことを「伝統主義者」とか「原理主義者」とか「極端な人」とか呼ばないであろうところの、しかし全ての人にその信仰、その聖性、そして神と貧しい人々に自分をすっかり捧げていたことが知れ渡っているこの例外的な修道者は、イエズス・キリストの聖なる御体に対する尊敬と完全な礼拝の心を持っていました。確かに、彼女は、最も貧しい人々の病み苦しむ体において、イエズス・キリストの「体(flesh)」に毎日触っていました。しかしそれでも、彼女はキリストの全実体変化した御体には、驚嘆の念と崇敬の念から、触れようとはしませんでした。彼女は彼を礼拝し、沈黙のうちに彼について黙想し、長時間跪き続け、また御聖体の内なるイエズスの御前にひれ伏しました。更に彼女は、神に養われる子供のようにして、謙遜に、御聖体を口で受けました。この聖人は、キリスト者が御聖体を手で受けているのを見て悲しみ、心を痛めていました。また彼女は「私の知る限り、私の修道女たちは皆、御聖体を舌で受けています」と言いました管理人注4。これは、あたかも神御自身が、私たちに次のように熱心に勧めているようではありませんか? 「あなたの主なる神は、あなたをエジプトの地からつれ出した私である。あなたの口を広くあけよ、私がそれを満たそう」(詩篇 81:11)。なぜ私たちは、御聖体を立って手で受けることに固執しているのでしょうか? なぜ、神のしるしに対して服従の姿勢を欠いた態度を取っているのでしょうか? 司祭の誰も、御聖体を跪いて舌で受けたいと願う人に対して、自分の権威を押し付けて、拒絶したり冷遇したりすることがありませんように(May no priest dare to impose his authority in this matter by refusing or mistreating those who wish to receive Communion kneeling and on the tongue)子供のように進み出て、キリストの御体を謙遜に、跪いて舌で受けましょう(Let us come as children and humbly receive the Body of Christ on our knees and on our tongue)。聖人たちが私たちに模範を示しています。彼らは、神が、それに倣うようにと私たちに与えた模範です!

しかし、それにしても、御聖体を手で受ける方法は何故これほどまでに広まってしまったのでしょうか? 答えは私たちに与えられています。そしてそれは、その内容の質と量においてこれまで例を見なかったような一つの文書によって、ボルトリ神父によって書かれたそれによって支持されています。それは「明白」以外の何物でもない一つのプロセスです。『メモリアーレ・ドミニ』が与えたもの〔特別許可〕から始まり、その実践がこれほどまでに広まってしまった今日に至るまでの物事の流れ。その特別許可は、手による聖体拝領が既に不法に導入されてしまっていた場所の司教協議会に対してのみ、その司教協議会がその方法を続けるための特別許可を求めた時に、そして、御聖体拝領の方法を正しい方法に戻すことがその場所の権威の任務にとってダメージとなるために戻すことができない場合にのみ管理人注5、与えようというものだったのです。残念なことに、ラテン語に関しても、元の儀式と同質のものであるべきだった〔しかし、結果、そうはならなかった〕典礼改革と同様、特別の譲歩だったものが強引にこじ開けるための道具にされ(a special concession has become the picklock to force)、教会の典礼の宝を守る安全の鍵をすっかりなくすための道具とされてしまいました。

神は、誤魔化しによってではなく「まっすぐ歩む」(箴言 10:9管理人注6)ことをお求めになります。従って、手による聖体拝領がこれほど広まったのも、上で見た神学的動機のことに加えて言えば管理人注7、神の道に従ったということではなく押し付けられたということだったように思われます。この本が、ベネディクト16世の模範によって心を動かされた司祭と信徒をも励ますものとなりますように。ベネディクト16世は、彼の教皇職の後半に、御聖体を跪いた人の口に授けることを望みました。その方法がその秘跡には遥かに適したものと考え、御聖体をその方法で授け、また受けることを望まれたのです。私は、この方法が持つ美と司牧上の価値が再発見され促進されることを願います。私の意見と判断では、この問題は今日の教会が考えねばならない重要なものです。それは私たちがイエズス・キリストに捧げることのできる崇敬と愛の勝れた方法です。私は、非常に多くの若い人々が主を敬虔に跪いて舌で受けているのを見て、非常に喜んでいます。ボルトリ神父のこの本が、御聖体を授ける方法について再考することを一般的なものとする上において力ありますように。この序文の最初の方で言ったように、私たちはファチマの100周年を祝ったばかりであり、最終的に来るマリアの汚れなき御心の確実な勝利を待つよう勇気づけられたものでしたが、典礼についてもまた、やがて勝利が訪れることでしょう。

管理人注

注)私の文章は突然「ですます調」から「である調」に変わったりしますが、特に意味はありません。お許しを。

[管理人注1]  ファチマの天使については拙稿も参照されたし。戻る

[管理人注2]  サラ枢機卿様のこの言い方が適切かどうか、私は知らない。問題ないような気もするし、危険が潜み得るような気もする戻る

[管理人注3]  アリス・フォン・ヒルデブラント博士の言葉も参照されたし。「真理・真実」は「誰が言った、彼が言った」という問題ではない。しかし、私は彼らに共感する。戻る

[管理人注4]  しかし、公平のために一応言っておけば、マザー・テレサのこんな写真もある。参照(まあ、偽造されたものではないのだろう)
しかし、そういうことを言うなら、ヨハネ・パウロ2世教皇様にもベネディクト16世教皇様にも、御聖体を信者の手に授けている写真が存在する。どんな人にも迷いはある。しかし私は、私が見た範囲では、彼ら自身が御聖体を「手で受けて」いる情景は一度も見たことがないし、またベネディクト教皇様においては、その教皇職の後半に「跪いた人の舌の上に授ける」ことに安定なさったことを知っている(2008年5月からのことだった)。戻る

[管理人注5]  私には「御聖体拝領の方法を正しい方法に戻すことがその場所の権威の任務にとってダメージとなるために戻すことができない」などという場合があり得るとは思えない。「ある」と言うなら、それがどんな場合か「具体的」に言ってみて欲しい。

しかし、教会人(或る種の “文書主義者”?)であるサラ枢機卿様は『メモリアーレ・ドミニ』の文言をなぞっておられるようである。何故なら、『メモリアーレ・ドミニ』には次のようにあるからである。

17 反対の方法、すなわち手に聖体を置く方法が既に普及してしまっている場所に関しては、聖座は、今日その任務を果たすことが実際しばしば困難となっている司教団を助けたいとの望みから、それらの場所に特別な事情があるかどうかを注意深く判断する任務を(…)それらの司教団に託す。

メモリアーレ・ドミニ(拙訳

つまり『メモリアーレ・ドミニ』は、手による聖体拝領を不法に導入した場所の司教たちはそれをそのまま続けなければ彼らの任務に支障をきたすような「特別な事情」を抱えているかも知れない、と言うのである。それはあたかも「御聖体のどのような欠片も失われないように最大限の配慮を払うこと」の重要性を上回る重要性を持った「特別の事情」が司教たちにあり得るかのような口振りである。戻る

[管理人注6]  箴言 10:9「まっすぐに歩む者の歩みは安全である。しかし、その道を曲げる者は災いにあう」

確かに、第二バチカン公会議後の「手による聖体拝領」の導入は「まっすぐの道」によってではなく「曲がった道」によって為されました。そのことを私たちに気づかせてくれる一つは、ヨゼフ・マリ-ジャック神父様がお書きになった『弁護』です。

マリ-ジャック神父様のその御文章の意味は、情報の少なかった昔なら、私たちにとってやや捉えづらいものだったかも知れません。否むしろ、「悪魔」とか「サタン」とかいう言葉が多く出て来るゆえに、なにか「オカルトめいた」印象を与えるものだったかも知れません。

しかし、こんなことを言うと自画自賛になりますが、私は使徒座公報などを引きながら、マリ-ジャック神父様が見ていたものをはっきりさせたと思います。「現実的」なものにしたと思います。Part 1Part 5

だから、今私が言いたいのは、こうです。

情報の少なかった昔ならいざ知らず、こうなった今、カトリック信者はいい加減、理解しなければなりません。

理解? 何を? いわゆる「舞台裏」で何が起こっていたかをです。
いまだに理解できないなんて、ちょっと考えられないことです。それは「陰謀論」ではなく、ただ「現実」だったところのものです。それは、主観的には善意でも物の見方が甘かった司教様方によって存在を許された「曲がった道でした。(対して、アルゼンチンのライゼ司教様やアメリカのブランチェット司教様などは「まっすぐ」でした)

サラ枢機卿様の言い方を借りれば、その問題性が「明白」以外の何物でもない一つのプロセスでした。

それがどういう「曲がり具合」だったか、その問題性がどれほど「明白」なものであるかについては、当サイトの他の記事を参照してください。おもに2014年の日記で書いています。例えば──

確かにこれらはショッキングなものですが、もしこれらが「真実」ならば、目を背けてどうするんです? 確かにこれらは信者の目には教会の「信頼性」を低めるかも知れず、未信者の目には教会の「評判」を低めるかも知れず、「躓き」の元となるかも知れませんが、しかしそれでも、もしこれらが「真実」ならば、目を背けていて教会が本当の意味で「良くなりますか?

そして、本当は、バチカン自身にも責任があります。何にせよ、それを「許した」のはバチカンだからです。これが一般社会なら、バチカンは信者に「詫び」の一つも入れるべきところです。混乱の流入を許した責任者、失敗した管理者として。

例えば、漠然と言いますが──日本政府が被害者に、怪しからぬことに何十年も経ってから、しかしそれでも自分たちの責任を認めて詫びることがあります。もちろんその時、政府や省庁においては代が替わっていて、その被害が発生した当時の責任者たちは全て退職していたりします。しかしそれでも、“過去の政府の不足や非” を “現在の政府” が詫びるのです。

しかし、教会という優しくて曖昧な世界では、そういうことはなかなか起こらないようです。ランジス枢機卿様やサラ枢機卿様を責めたくはないけれど、「跪いて舌で受ける御聖体拝領への復帰」を呼びかける時、過去のバチカンの不足について一言あって然るべきです。典礼秘跡省長官の身でバチカンを代表するわけもいかないでしょうが、何か少しは言ったらよさそうなものです。

また保守的な信者にしても、「バチカンは仕方なく譲歩しただけです」と言ったり、更にはその「譲歩」に「寛大な」などという副詞さえ付けて擁護したりするけれど(私には驚きです)、本当はそれこそが、その「譲歩」こそが、過去のバチカンの決して小さくない「失敗」「失策」でした。戻る

[管理人注7] 「上で見た神学的動機」とは? 「跪いて舌で受けるのは卑屈だ」とか?戻る

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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