2018.10.18

「初期の教会では人々は聖体を手で受けていました」?
Part 2

次に試訳するは、アメリカの哲学博士にして、かつては米国聖公会の司祭、しかし今はカトリックに改宗しているテイラー・マーシャル(Taylor Marshall)という人の文章。彼は「自分は教父学の専門家ではない」と認めているが、私は、彼の判断は順当だと思う。彼のサイトの副題は「友よ、塩気を保て(stay salty my friends)」である。

Taylor Marshall - stay salty my friends

初期教会教父たちは御聖体を手に授けていた?
(必ずしもそう言い切れるものではない)

by テイラー・マーシャル博士

私が最近アップした「御聖体を舌で受けるための五つの助言」と題した記事に、それをアップした当日だけで9,000以上のアクセスがあり、その後さらに多くのアクセスがありました。私は、この話題がインターネットの世界でこれほど多くの関心を集めるとは想像もしていませんでした。

記事に対する読者コメントの中で、初期の教会の書き物の中に「手で受ける聖体拝領」の証拠がある、と指摘されました。そのような主張はいつも、初期の教会におけるそのような場合の状況について触れていないので、私をウンザリさせます。「手で受ける聖体拝領」が実際にされたのは事実です。しかし、私たちが初期教会教父の文章をその前後関係を含めて読む時、御聖体を手で受けることが大目に見られた場合の「理由」を発見します。それは教会に対する迫害の時にのみ許されました。

まず最初に、大教皇聖レオと大教皇聖グレゴリウス1世が規準としての「舌で受ける聖体拝領」の初期の証言者であることに注意してください。しかし聖バジリオは「手で受ける聖体拝領」がされたことを認めています。聖バジリオは、「手で受ける聖体拝領」は特定の状況でのみ許される、とはっきりと説明しています。{ }で囲った部分は私による注意書きです(Fr Z もそうしているように)。

人は、もし{「もし」は条件節を意味します}自分は迫害の時代にあると感じ、司祭も助祭も居ないならば、聖体を自分の手で受けよ。そのような場合は確かにどのような種類の重大な行き過ぎともならない、ということを公示する必要はない{それは相当に深刻な事ではあるから}。長い間の慣習が、そのような場合にそれを許している{彼がどういう意味で「そのような場合」と言っているかに注意。ここがポイントです}。実際、砂漠の隠修士たちは全て、一人の司祭も居ない其処で、彼らの住居の中に聖体を保存しておき、それを自分の手で受けている。

“If {“if” denotes a conditional clause} one feels he should in times of persecution, in the absence of a priest or deacon, receive Communion by his own hand, there should be no need to point out that this certainly shows no grave immoderation {that’s pretty serious}; for long custom allows this in such cases {notices how he writes “in such cases” – that’s the key}. In fact, all solitaries in the desert, where there is no priest, reserving Communion in their dwellings, receive It from their own hands.”

つまり、聖バジリオは、次のような場合には御聖体を手で受けることが許される、と言っているのです。

1)司祭が居ない迫害の時
2)司祭を持たない荒野の隠修士と苦行者のために

彼は、そのような状況以外では御聖体を手で受けることは「重大な行き過ぎ」である、と言っているのです。一般信徒は、「例外的な場合」に、自分の手で御聖体を持ったり御聖体に触れたりすることが許されていました。しかし聖バジリオは、それは規範(norm)というものでもない、と言っているのです。

さて、ここで、「手で受ける聖体拝領」に関して最も論議を呼んでいる引用について見てみましょう。それは A.D.350年頃の、エルサレムの聖キュリロス管理人注1に帰されている秘跡に関する五つの教話(復活祭後に持たれた)に関するものです。私たちは現在、復活祭での受洗のために準備している洗礼志願者たちに聖キュリロスが与えた十八個の疑いのない教話を持っています。しかし、それと共に、その同じグループの人たちに聖キュリロスが与えたとされる秘跡に関する付加的な五つの教話も持っているのです。その聴衆たちは今や既に受洗済みであり、堅信も受け、初聖体も済ましています。結局、聖キュリロスの教話を写したものとされている写本は次のような構成になります。

  • キリスト者になる準備のための十八の教理教話
    (洗礼志願者のための復活祭に向けての入門講義)

  • 受洗を済ませて新しいキリスト者となった同じ人々に続けて施された五つの教話

続けて施されたとされる五つの教話については、現在、議論が高まっており、それらは本物ではないかも知れません。別の言葉で言えば、それは聖キュリロスではない誰かによって追加された可能性があります。実際、それらの五つの教話を聖キュリロスに帰していない写本が存在します。ですから、それら最後の五つの教話を真に権威あるものとして引用することは、責任というものを完全に弁えた態度とは言えません。その五つの教話は疑問符が付くものなのです。

しかし、ともかく、聖キュリロスに帰されているその五つの教話が「手で受ける聖体拝領」のクラシック・バージョンについて言っている部分を見てみましょう。

あなたが御聖体を受けるために前に進み出る時、手首を伸ばしたり指の間をひらいたりせず、非常に偉大な王様を迎えるかのように、左手を右手のための玉座のようにし、手のひらに窪みを作り、そこにキリストの御体を受け、アーメンと言いなさい。Catechesis mystagogica V, xxi-xxii, Migne Patrologia Graeca 33)

“When thou goest to receive communion go not with thy wrists extended, nor with thy fingers separated, but placing thy left hand as a throne for thy right, which is to receive so great a King, and in the hollow of the palm receive the body of Christ, saying, Amen.” (Catechesis mystagogica V, xxi-xxii, Migne Patrologia Graeca 33)

これは「手で受ける聖体拝領」についての初期教会教父たちの考えがどうであったかについての分かれ道です。聖キュリロス(の疑わしい「秘義教話」)のものだと主張されている上の引用がある一方、「舌で受ける聖体拝領」を支持し、「舌で受ける聖体拝領」について明確に証言している他の教父たち(大聖レオと大聖グレゴリオという「大教皇」である二人)の言葉の多くの疑えない引用があります。そうである時に、何故、わざわざ疑わしい引用を使うのでしょう?

私は、上のエルサレムの聖キュリロスのものだと主張されている文章に対して、疑義をもう一つ加えたいと思います。「手を玉座のようにし」と言っている箇所は、続けて、信者はキリストの御体を拝領する前に、それを自分の目につけなければならない、と言っています。それからまた、信者はキリストの御血で湿っている自分の唇に触り、御血を目につけなければならない、と言っています。

たとえその文章が本物だったとしても(私はそうは思いませんが)、この「手で受ける聖体拝領」は御体と御血の両方を自分の目につけるということを含んでいるのです。しかし、誰がそのようなやり方に賛成したいでしょう?

私は、そのようなやり方は全てのカトリック信者が嫌うところのものだと思います。それは聖なる伝統からの逸脱です。

以上、すなわち、初期の教会では、迫害の時に司祭が居ない場合を例外として、御聖体は舌の上に授けられたように思われます。司祭が居ない場合は、信者は舌で受ける必要はなかったかも知れません。

私がどのようにも初期教会教父についての専門家ではなく、訂正することにやぶさかでないことを付け加えさせてください。私は、「手で受ける聖体拝領」を規準的なものとして支持する教会教父の文章があるならば、とても関心があります。今のところ、私はそのような文章に遭遇していません。証拠とされているのは、「手を玉座のようにする」と言っている聖キュリロスのものとされている上の言葉からの──上のように主張している、確信を抱かせるものではないものからの引用のみなのです。

マリアを通じてイエズスへ
テイラー・マーシャル

[管理人注1]  エルサレムの聖キュリロス(313頃 – 386)の概要については、Wikipedia あたりを参照のこと。注意: アレクサンドリアのキュリロス(376 – 444)とは別人である。

彼は日本では「キュリロス」のほか、幾つかの呼び方をされる。「キリロス」「キリロ」「キリル」「シリル」「チリロ」など。
呼び方など、さして本質的なものではないが、しかしそれでも、読者が混乱するといけないし、また、資料を案内することにもなるから、ここに幾つか引用しておくと──

新しいやり方を正当化するために、エルサレムの聖キリロがよく引用されますが、(…)

マイケル・デイヴィス氏

この主張を実証するために聖シリルの一節を引用しさえする何人かの人々がいる。

ジョン・ヴェナリ氏

3月18日 聖チリロ(エルサレム)司教教会博士

Laudate | 聖人カレンダー

チリロ(315〜386年)に関してはどうでしょう?

ポール・J・マクドナルド神父

それは A.D.350年頃の、エルサレムの聖キュリロスに帰されている秘跡に関する五つの教話(復活祭後に持たれた)に関するものです。

テイラー・マーシャル博士

イェルサリムの大主教聖キリル全書

明治36年(1903年)の正教会の本

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