2018.10.29

「初期の教会では人々は聖体を手で受けていました」?
Part 9

痕跡

前回まで、「エルサレムの聖キュリロスの『秘義教話』」なるものの資料的信頼性の頼りなさを見て来た。しかしそれでも、私たちは「聖体拝領のキュリロス方式」を証言した歴史資料を、ほかにも幾つか持つのだそうである。マイケル・デイヴィス氏は次のように書いている。

フマネ・ヴィテ』研究会

『典礼革命』シリーズ第三巻『パウロ六世の新しいミサ』

Liturgical Revolution, Vol. 3: Pope Paul's New Mass

1980年

手で受ける聖体拝領

Communion in the Hand

マイケル・デイヴィス

Michael Davies

(…)

この奇異な風習が地理的に広まっていたもう一つの証拠があります。5世紀前半、シリアにあるキリュスのテオドレ司教が、ホスチアに接吻する行き過ぎが広まっていたことに言及しています。

聖なる神秘の最中に私たちが配偶者の御体を受けて、それに接吻し、抱きしめ、目に当てることを思うべきです。9

これはたまたま見いだされた行き過ぎではありません。ダマスコの聖ヨハネ(675-749)の証言によれば、手で受けることによって可能になり、ゆがめられた現存の神学を導入することになったホスチアに接吻する習慣は、少なくとも八世紀の終わりまでは続いていました。

十字架に掛けられたお方の御体をいただき、それを私たちの目、口、額に当てましょう。神から来る燃える炭火を受けましょう。10

(…)

9

Theodoret of Cyrrhus in Canticum Canticorum, interpretation I, p.1.

10

De fide orthodoxa IV, 13. PG, col. 1149b.

マイケル・デイヴィス氏は二つの自著『典礼革命』と『手で受ける聖体拝領及びそれと類似した他の諸々のペテン』の間で自分の英文をかなり転用している。今度は後者(『諸々のペテン』)の方で見てみよう。
一応、私による試訳。「一応」と言うのは、ほとんど英文が同じであるだろう『典礼革命』の『フマネ・ヴィテ』研究会訳を多分に拝借したからである。

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手で受ける聖体拝領及びそれと類似した他の諸々のペテン

Communion in the Hand and Other Similiar Frauds

古代の実践はどうだったか

What Was the Ancient Practice?

マイケル・デイヴィス

Michael Davies

(…)

この奇妙な実践が地理的に広い範囲に広がっていたことを示す更なる証拠が、5世紀前半のもう一人の司教によって提供されています。シリアのキリュスの司教テオドレ。彼は、ホスチアに接吻するという行き過ぎが当時既に行なわれていたことを確証しています。

Further evidence of the wide geographical extension of this strange practice is provided by another bishop of the first half of the fifth century. Theodoret, bishop of Cyrrhus in Syria, who confirms that the excess of kissing the Host was already in use:

私たちは、聖なる神秘の最中にどのように配偶者の御体を受け、それに接吻し、それを抱きしめ、それを目に当てるべきかを考えるべきです。14

"One should consider how during the sacred mysteries we take the limbs of the Spouse, kiss them, embrace them and apply them to our eyes." 14

これはたまたま見出された行き過ぎではありません。手で受けることによって可能になり、歪められた現存の神学をもたらすことにつながったホスチアに接吻する実践は、少なくとも8世紀の終わりまで続いていました。その証言者はダマスコの聖ヨハネ(675-749)です。

This was no isolated extravagance. The practice of kissing the Host, made possible by its reception in the hand and leading to a distorted theology of the Real Presence, persisted at least down to the end of the 8th century. Our witness is St. John of Damascus [675-749]:

十字架に掛けられたお方の御体をいただき、それを私たちの目、口、額に当てましょう。神の燃える木炭を受けましょう。15

"Let us receive the Body of the crucified, and applying it to our eyes, our lips, and forehead, let us partake of the Divine burning coal." 15

(…)

14)

Theodoret of Cyrrhus In Canticum Canticorum interpretatio I, 1, ed. Schultze-Noesselt, Theodoreti Cyrrhensis opera (Halle, 1769-1774), vol 2, pp. 1 ff; reproduced in Migne PG 81, col. 27 ff.

15)

De fide orthodoxa IV, 13, Migne PG 94, col. 1149B.

「Migne」とは Jacques-Paul Migne(1800 - 1875)というフランス人司祭を、あるいはその人が興した出版事業を意味でもするのか。

さて、私は物事を確かめたかった。しかし、上の注 14)の書物をネットの中に見つけることはできなかった。しかし、15)の英訳版を見つけることができた。そこにはダマスコの聖ヨハネの言葉として次のように書かれている。
私による試訳。曖昧にしか訳せなかったところがある。誤訳もあるかも知れない。しかし「だいたいのところ」は合っていると思う。〔 〕は私による付加。

Documenta Catholica Omnia

ダマスコの聖ヨハネ

St. John of Damascus

650 - 754 AD

正統信仰:
正統信仰の正確な説明

DE FIDE ORTHODOXA:
AN EXACT EXPOSITION OF THE ORTHODOX FAITH

第四巻

BOOK IV

第13章
神の聖なる秘義について

CHAPTER XIII.
Concerning the holy and immaculate Mysteries of the Lord.

(…)

そのパンと葡萄酒はキリストの御体と御血の単なる形見なのではなく(神は〔そう考えることを〕禁じておられます!)、主の神聖な御体そのものなのです: と云うのは、主は「これは私の体である」とおおせられたのであって、「これは私の体の形見である」とおおせられたのではないからです。また、「私の血」とおおせられたのであって、「私の血の形見」とおおせられたのではないからです。そして彼は、そうおおせられる前に、ユダヤ人たちに向かってこうおおせられました。「人の子の肉を食べなければ、あなたがたの内に命はない。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである」。そしてまた、「私を食べる者は生きる」とも。

The bread and the wine are not merely figures of the body and blood of Christ (God forbid!) but the deified body of the Lord itself: for the Lord has said, "This is My body," not, this is a figure of My body: and "My blood," not, a figure of My blood. And on a previous occasion He had said to the Jews, Except ye eat the flesh of the Son of Man and drink His blood, ye have no life in you. For My flesh is meat indeed and My blood is drink indeed. And again, He that eateth Me, shall live.

それゆえ、全ての恐れと純粋な意識、また確固たる信仰をもって、それに近づきましょう。そうすれば、それは確かに私たちにとって、私たちが信じる通りのものに、何の疑いもないものになるでしょう。魂と体の両方における(と云うのは、それは二重のものだからです)全き純心をもって、それに敬意を払いましょう。燃える望みをもって、それに近づきましょう。そして、私たちの手を十字の形にして、磔刑に処せられし御者を受けましょう。そして、私たちの内にある望みの火が、その燃える木炭からの熱によって更に掻き立てられて、私たちの罪を完全に焼き尽くし、私たちの心を照らすようになるために、また、神からのその火に与ることで私たちが燃え立たされ聖化されるために、私たちの目、唇、額に当てて神の燃える木炭を受けましょう。イザヤはその燃える木炭を見たのです〔イザヤ書 6:6〕。しかし、燃える木炭はただの木ではなく、火と結びついた木です。同じように聖体拝領のパンも、ただのパンではなく、神性と結びついたパンです。しかし、神性と結びついたパンは一つの性質を持つのでなく、体に属する性質〔物質的側面〕を持ち、また同時に、それと結びついた神性に属する性質を持つのです。それで、その化合物は一つの性質を持つのでなく二つの性質を持つ、というのです。

Wherefore with all fear and a pure conscience and certain faith let us draw near and it will assuredly be to us as we believe, doubting nothing. Let us pay homage to it in all purity both of soul and body: for it is twofold. Let us draw near to it with an ardent desire, and with our hands held in the form of the cross let us receive the body of the Crucified One: and let us apply our eyes and lips and brows and partake of the divine coal, in order that the fire of the longing, that is in us, with the additional heat derived from the coal may utterly consume our sins and illumine our hearts, and that we may be inflamed and deified by the participation in the divine fire. Isaiah saw the coal. But coal is not plain wood but wood united with fire: in like manner also the bread of the communion is not plain bread but bread united with divinity. But a body which is united with divinity is not one nature, but has one nature belonging to the body and another belonging to the divinity that is united to it, so that the compound is not one nature but two.

(…)

ダマスコの聖ヨハネのこの書は現在も売られている(amazon)。また Internet Archive でも、第一巻から第四巻までをひとまとめにしたものを読むことができる。

なお、Internet Archive の英訳では「let us apply our eyes and lips and brows」となっておらず、「With eyes, lips, and faces turned toward it」となっている。こうなると、御聖体を目や唇や顔に「近づける」が接触はさせない、ということになるのかも知れない。「G・ネラン=川添利秋訳」がそうだったように。

一つの小結論

それゆえ、私自身、

「初期の教会では人々は聖体を手で受けていた」

──その痕跡がある、と認める。
そう、私はここを回避しようとは思わない。

しかし、人間は「言葉」というものでモノを考えるのであるが、「初期の教会では人々は聖体を手で受けていた」というこの言い方は、そもそも少し簡単過ぎではあるまいか。

注)その言い方は私が今シリーズの表題としているものであるが、私自身の言葉ではない。私たちが「司祭」の口から、「典礼学者」の口から、そして「聖座」の口からさえしばしば聞かされるPart 1 参照“簡単口調” という意味で書いたのである。

すなわち、その言葉は果たして次のようなことを意味するのか?

「初期の教会では、当時キリスト教が広まっていた全域で人々は聖体を手で受けていた」

私は、このように「全域で」という言葉を付け加えて言うほど、あるいは「全域で、一様に」という言葉を付け加えて言うほど度胸のある(?)典礼学者を見たことがない。

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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