2019.06.08

つぶやき

ちょっとつぶやいてみたいだけである。

マルセル・ルフェーブル大司教様、私は、彼は「大功労者」だと思っている。もっと言うなら、「世紀の大功労者」。
何に於いて?  特に、伝統的ラテン・ミサの復活に於いて。

あなたはこう言うかも知れない。

伝統的ラテン・ミサの復活? しかし、伝統的ラテン・ミサは今まで一度だって(正式に)「廃止」されたことはありませんでした。なら、「復活」もあり得ないではありませんか。

──と。
しかし、私が言っているのは理屈上のことではなく現実上のことである。もし教会の歴史の中にルフェーブル大司教様が現われなかったら、伝統的ラテン・ミサは「一度も廃止されない」まま、しかし「永久に廃止同然の扱いを受け続け」たかも知れないのである。

それを思えば、いま伝統的ラテン・ミサを捧げることが「できて」いる司祭や修道会は、ルフェーブル大司教様に多大の「恩義」を負っている、と言わねばならない。それなのに、彼らの大部分は(シュナイダー補佐司教様のような勇者を除いて)、ルフェーブル大司教様に対する感謝を口にしない。それどころか反対に、ルフェーブル大司教様に関しては「口にチャック」を決め込んでいるようである。
私は、これは実に情けない、正義に悖る、恩義に悖ることである、と思っている。

私の気持ちを江戸っ子風に表わしてみた。

「特別形式のミサの防衛のために、ルフェーブル大司教のことはまずまず、言うまい」「てやんでー! それの最大の防衛者はルフェーブル大司教様じゃねぇか!」

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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