2019.06.27

サン・ダミアーノは「手による聖体拝領」を否定した

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“マンマ・ローザ” ことローザ・カトリーニ(Rosa Quattrini、1909 - 1981)

サン・ダミアーノの聖母は「手による聖体拝領」を非難なさった。『メモリアーレ・ドミニ』(1969年5月29日)が公布されてから半年後の1969年11月9日のことである。

そのことを或るカトリック・ブログが書いていて、またその中でこう書いている。

2015年07月28日

ところで、このご出現は、その後、カトリック教会権威から、否定されてしまいました。
聖母様がメッセージの中で、手による聖体拝領をやめるように仰ったことが、否定の主な理由だったようです。

2018年03月29日

こういったメッセージは、無視されるか、もしくは、手による聖体拝領を認めないことを理由に、聖母出現自体を否定されたりします。

私は共感した。「そんなところだろう」と。

しかし、「そんなところだろう」というのは、まあ、私の「推測」である。そうでなく、もっと確からしいものはないか。その辺の「事実」について書いたものはないか。

一つ発見した。聖ピオ十世会のスイス管区の記事である。以下に試訳するとする。相手はフランス語なので、いつもより一層、機械翻訳に頼ることになった。しかし、大筋は合っていると思う。
〔  〕と強調は私による付加。

District de Suisse

サン・ダミアーノ - 歴史

San Damiano - historique

教会権威の介入

Interventions des autorités ecclésiastiques

サン・ダミアーノの出来事は非常に早くから「超自然的なものではない」と宣言された。その地〔ピアチェンツァ司教区〕の司教、ウンベルト・マルキオーディは、一回目は1965年9月7日の覚え書きの中で、二回目は1966年8月15日の覚え書きの中で、この出現に超自然性は認められないとし、信者らに、それから離れるよう勧告した。また彼はその後、全ての者を安心させるために、この出現に関する事実、及び、この出現に傾倒している人々について、正式な調査を行なった。1968年2月2日の声明の中で彼は、「当調査から、この出現にまつわる諸事実に関し、超自然性を支持するようなどのようなポジティブな要素も存在しない、と結論された」と宣言した。

Les événements de San Damiano ont été très rapidement déclarés non surnaturels. L’évêque du lieu, Mgr Umberto Malchiodi, dans une note du 7 septembre 1965, puis une seconde fois le 15 août 1966, estimant que le caractère surnaturel des dites apparitions n’était pas prouvé, invitait les fidèles à s’abstenir d’y prêter foi. Pour tranquilliser tout le monde, il fait ensuite exécuter une enquête formelle sur les faits et sur les personnes qui y sont intéressées. Dans un communiqué du 2 février 1968, il déclare qu’« il résulte de cette enquête qu’il n’existe aucune donnée positive permettant d’affirmer la surnaturalité des faits. »

François Charrière

サン・ダミアーノに対する反対を更に悪化させたのは、サン・ダミアーノの支持者たちが1969年11月9日(日曜日)に記録し発表した「手による聖体拝領は冒涜である」というメッセージであった。管理人注1  聖体拝領のそのやり方は教会の中に広がりつつあったので、別の地区の司教たちからも〔サン・ダミアーノに対する〕強い反発が起こり始めた。ローザンヌ - ジュネーブ - フリブールの司教、フランソワ・シャリエールは、「教皇様が聖体拝領のそのやり方を承認なさったのです」「キリストの代理者は冒涜的な行為を承認することができません。11月9日にローザ夫人が言ったとされるそのようなことが聖母から来たものだなどということは、あり得ないことです。彼〔マルキオーディ司教〕が彼の教区民たちに、信頼に値しない『事柄を信じないよう』頼んだのも、もっともなことです」と言った。5管理人注2

Ce qui aggrava les objections contre San Damiano, c’est la publication par les amis de San Damiano du message qu’ils ont recueilli le dimanche 9 novembre 1969 selon lequel la communion dans la main serait un sacrilège. Cet usage tendant à s’imposer dans l’Eglise, les réactions des évêques de différents diocèses se firent plus virulentes. Ainsi pour Mgr François Charrière, évêque de Lausanne, Genève et Fribourg, « le Souverain Pontife ayant autorisé cette manière de communier » et parce que « le Vicaire du Christ ne saurait autoriser un acte sacrilège : il n’est pas possible que la sainte Vierge ait inspiré les paroles prononcées par Dame Rosa ce 9 novembre ». C’est pourquoi il demande à ses paroissiens « de ne pas accorder foi à des faits "qui ne méritent pas confiance" ».5

Enrico Manfredini

Edgardo Pellacani

ピアチェンツァ司教区におけるウンベルト・マルキオーディの後継者、エンリコ・マンフレディーニ司教は、1970年11月1日、「『サン・ダミアーノの出来事』と言われているもの、その所謂『メッセージ』、その所謂『ヴィジョン』、また『驚くべき諸々の出来事』と思われているもの等は、超自然的なものではない」と再確認し、マンマ・ローザに対し、もし彼女がこれからも自分を「幻視者」と見なし「聖母の道具」と見なすなら、秘跡はおろか教会にアクセスすることも禁じられるであろう、と正式に警告した。また、サン・ダミアーノの教区司祭としての地位を既に(1969年に)取り消されていたエドガルド・ペラカーニ神父に対しても、もし彼がこの事に一切関わるべからずという命令に従わないならば、その聖職が停止されるであろう、と警告した。6  マンフレディーニ司教は、その地位にある間、この禁止を更新し続けた(1976年10月15日、1977年5月20日、1980年5月1日)。

Le successeur de Mgr Umberto Malchiodi sur le siège épiscopal de Plaisance Piacenza, Mgr Enrico Manfredini, le 1er novembre 1970, réaffirme que « ce qu’on appelle "les faits de San Damiano", c’est-à-dire les prétendus messages, les soi-disant visions et les présumés prodiges, n’ont rien de surnaturel » ; avertit formellement Mamma Rosa que si elle persiste « à se considérer comme une "voyante" et comme "l’instrument de la Sainte Vierge" », les sacrements et même l’accès à l’église lui seront refusés ; menace de suspense a divinis le prêtre Edgardo Pellacani, déjà révoqué comme curé de San Damiano (en 1969), s’il n’obtempère pas à  l’ordre formel qu’il a reçu de ne plus s’occuper des faits en question6. Il renouvelle cette interdiction tout au long de son épiscopat (15 octobre 1976, 20 mai 1977 et 1er mai 1980).

ヨハネ・パウロ二世は、マンマ・ローザの証しを受け容れたわけではないけれども、ピアチェンツァ司教区に対し、より慎重な司牧的開放性をアドバイスし、マンフレディーニ司教をボローニャの大司教に任命〔移動〕した(1983年3月18日)。(同年12月、マンフレディーニはその地で亡くなった。)
この結果として、ピアチェンツァ司教区は〔サン・ダミアーノに対する〕公的な立場を維持しつつも、司教たちは徐々に巡礼を大目に見るようになっていった。

Tout en n’acceptant pas le testament de Mamma Rosa, Jean-Paul II conseille une prudente ouverture pastorale de la part des autorités diocésaines et nomme au siège cardinalice de Bologne Mgr Manfredini (18 mars 1983) qui y meurt en décembre de la même année. Dès lors, tout en maintenant la position officielle de la curie épiscopale, les évêques de Plaisance Piacenza canalisent progressivement le pèlerinage.

アントニオ・マッツァ司教(1983年から1994年までの司教)とその次のルチアーノ・モナーリ司教(1994年から2007年までの司教)は、サン・ダミアーノの超自然性を認めなかったけれども、せいぜい百人程度の住民が居るに過ぎないその小さな村に、初日曜日のミサのために司祭を任命し、そしてその後、毎日のミサのためにも司祭を任命した。その後、或る司祭たちに、青年と家族に関する霊的集会を活気づける許可がおりた。また、巡礼も許され、許可状(celebret)を携えた教区外の司祭や外国の司祭が、サン・ダミアーノを担当する司祭との同意の下、ミサを捧げることも許されるようになった。現在の司教、ジャンニ・アンブロージオは、およそ同様の構えを取っているが、召命の減少のため、サン・ダミアーノでのミサを終わらせることは難しくなっている。[管理人注3]

Mgr Antonio Mazza (évêque de 1983 à 1994), puis Mgr Luciano Monari (évêque de 1994 à 2007), tout en ne reconnaissant pas la surnaturalité des faits, nomment des prêtres pour célébrer d’abord chaque dimanche, puis chaque jour la messe dans ce petit village qui compte tout au plus une centaine d’habitants. Permission est ensuite accordée à certains prêtres d’animer des rencontres spirituelles concernant les jeunes et les familles ; permission est accordée aux prêtres pèlerins, extradiocésains ou étrangers, munis de leur celebret, de célébrer la messe, dans l’église de San Damiano, en accord avec le prêtre chargé de la paroisse. L’actuel évêque, Mgr Gianni Ambrosio, poursuit sur la même voie, quoiqu’il lui soit plus difficile, en raison de la baisse des vocations, d’asurer les messes à San Damiano.

5. 司教区報 1970年2月19日号

5. Bulletin diocésain, 19 février 1970.

6. この警告は、司祭と信徒を問わず、この現象に関わり、それを支持し、あるいは巡礼団を組織する等した全ての者に向けられたものだった。「我々は、自身を、当司教区内のそのような人々に対し、教会および秘跡に接するを禁ずるの責務ある者と見なし、また、それが司祭だった場合、その者を聖職停止にするの責務ある者と見なす」

6. Cette menace est d’ailleurs étendue à toutes les autres personnes, prêtres et laïcs, qui sont responsables de ce phénomène, le soutiennent et/ou organisent des pèlerinages : « Nous nous verrons dans l’obligation de leur interdire nominativement dans ce diocèse l’accès à l’église et aux sacrements, et de les frapper de suspense a divinis s’ils sont prêtres ».

[管理人注1]   そのメッセージについては、私が各国語のものをまとめてある。参照。それらのページの右上に、IT、DE、FR、EN と、それぞれの言語を案内してある。戻る

[管理人注2]   多くの信者の心は、まるで磁石にでも引きつけられるように、シャリエール司教の口から出たというこれらの言葉に引きつけられるだろう。簡単に頷くだろう。しかしそういう人たちも、もう少し多くの情報を得た上で考えるべきだ。(実際、そのような人たちは、まず第一のこととして、圧倒的に「情報弱者」だ。否、見下していない。しかし、“事実” として。)
この問題は、シャリエール司教の口から出たというあのような簡単な言葉(考え)で片づけていいような(理解できるような)問題では全くない。私がこのサイトのトップページに掲げているあの絵に目をとめて欲しい。戻る

[管理人注3]   この最後の文を変に思った人がいるかも知れない。しかしこの意味は、その「せいぜい百人程度の住民が居るに過ぎない小さな村」でなかなか司祭の召命がある、ということではないか。戻る

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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