2019.07.16

モンティキアーリとフォンタネッレ 5

今回のこの記事は単に資料に関することだから、読まずに次回の記事に進んでもらって構わない。

今シリーズの  で、私は右の本について書いた。ドイツのアルフォンス・マリア・ワイグルという神父様がモンティキアーリとフォンタネッレについてお書きになった、数ヶ国語に翻訳された有名な本である。

原書はドイツ語だが、私がネットで検索した限りでは(調べ切らないが)、イタリア語フランス語スペイン語ポーランド語ハンガリー語スロヴァキア語英語、そして日本語( 参照)に翻訳出版されている。

否、その多くは、翻訳出版されて「いた」と過去形で言わなければならないだろう。そのほとんどが、今や古書でしか手に入らないだろう。

日本語版に至っては、今や古書すら手に入らない。かつてディプリンシオ神父様とデルコル神父様によって日本語に翻訳出版されていたそれは、今、ネットで古書を探しても、国立国会図書館サーチで探しても、一つも出て来ないという全滅ぶり。

しかし私は、この本は出版され続けるべきだった、と思う。
1 で触れたこの本のチェコ語訳と思われる PDF を少し読んだ上で、そう思うのである。

私は、ワイグル神父様の本の内容を知りたいと思い、まず、そのチェコ語の PDF を HTML 化した。参照
そして、それを Google 翻訳にかけ、内容を探った。

で、私は  で、その PDF が書籍よりかなり頁数が少ないことを訝ったけれども、そして、その疑問は今も完全には解消されていないけれども、しかし、その PDF 自体の中に、その PDF の構成を少し窺わせるところがあるから、以下に紹介する。

その PDF はまず本文でこう書く。

チェコ語 PDF / HTML

モンティキアーリ

Montichiari

(…)

モンティキアーリでは、聖母は1946年から、36歳の単純な独身女性ピエリーナ・ジリ(1991年没)に現われ始めた。19年間という長い年月を経て、出現はその舞台をフォンタネッレに移した。教会権威がピエリーナに出現地へ行くことを禁じてから、聖母は、1983年まで間欠的に、その至聖なる御霊魂をピエリーナに私的にお現わしになった。全部で数十の啓示があったが、その数は正確には分かっていない。そのうちの幾つかは公的なもの〔聖母が公的なアピールをなさったもの〕であり、それ以外のほとんどは私的なもの〔聖母がピエリーナに私的なアピールをなさったもの〕である。記録によれば、出現は、モンティキアーリで8回、フォンタネッレで4回、そして私的な出現はおよそ45回(それらは通常、ピエリーナの家の小聖堂で起きた)となっている。(1)

V Montichiari se Maria začala zjevovat v roce 1946 prosté, tehdy 36 leté svobodné ženě – Pierině Gilliové, zesnulé v roce 1991. Zjevení se po dlouhé časové pomlce 19 let přesunula na předměstí Fontanelle a když církevní autority Pierině zakázaly přístup na místo zjevení, Maria se své vyvole-né duši zjevovala zpravidla v jejím soukromí, a to s nepravidelnými přestávkami až do roku 1983. Celkem došlo k několika desítkám zjevení, jejichž počet není zcela přesně znám; některá z nich mě-la ráz veřejný, většina spíš soukromý. V literatuře se z toho uvádí celkem 8 zjevení v Montichiari, 4 zjevení ve Fontanelle a asi 45 zjevení soukromých, zpravidla v Pierinině soukromé kapličce, kte-rou si upravila ve svém obydlí (1).

[Machine Translation]  In Montichiari, Maria began to appear in 1946 to a simple, then 36-year-old single woman, Pierina Gilli, deceased in 1991. After a long time of 19 years, the apparition moved to the suburb of Fontanelle, and when church authorities forbade Pierina to access to the site of revelation, Maria was as a rule, she revealed her exiled soul in her privacy, with irregular breaks up to 1983. In total, there were several dozen revelations, the number of which is not exactly known; some of them are public, most of them private. In the literature there are a total of 8 apparitions in Montichiari, 4 apparitions in Fontanelle and about 45 private apparitions, usually in Pierino's private chapel, which she has adapted in her dwelling (1).

そしてこの PDF は、上の(1)という文字で読者の目を巻末の「注」に導き、そこで次のように書いている。
画像と〔  〕は私による付加。

チェコ語 PDF / HTML

Odkazy

(1)

基本的な情報と個人〔ピエリーナ〕の告白のテキストは、基礎的な重要性を持った二つの書物から取られた。第一には何と言っても、ドイツの A. M. ワイグル神父による『Maria, Rosa Mystica』である。その本は1974年に初版発行され、多くの版を重ね、多くの言語に翻訳された。その本の出版の基礎は、幻視者〔ピエリーナ〕および当時の地元司祭 Rossi との個人的な対話に基づき、ドイツの修道会 Salvatorianer の司祭 Tadeáš Laus〔チェコ語綴り〕によって準備された。その本は1974年2月9日に Imprimatur(印刷許可)を得た。

Základní informace jsme čerpali a texty jednotlivých zjevení jsme přebrali ze dvou publikací základního významu : Především je to publikace německého faráře A.M.Weigla–Maria, Rosa Mystica, jejíž první vydání vyšlo v roce 1974 a dočkalo se mnoha dalších vydání a překladů do řady světových jazyků. Podklady pro publikaci A.M.Weigla připravil německý kněz P.Tadeáš Laus z řádu Salvatoriánů, a to na základě osobních hovorů s vizionářkou a tehdejším místním farářem otcem Rossim. Publikace obdržela 9. 2. 1974 imprimatur.

[Machine Translation]  The basic information was drawn and the texts of the individual revelations were taken from two publications of fundamental importance: First of all, the publication of the German priest A.M.Weigl-Maria, Rosa Mystica, whose first edition was published in 1974 and has received many other editions and translations into a number of world languages. The basis for the publication of A.M.Weigl was prepared by the German priest P. Tadeáš Laus from the Order of the Salvatorians, based on personal talks with the visionary and then local priest Father Rossi. The publication received 9 February 1974 imprimatur.

共産主義の時代に、その本はホルニー・シュチェパーノフ地名の主任司祭 Josefem Fabíkem によってチェコ語に翻訳され、自家出版された〔検閲を逃れるために〕。その翻訳から私たちは、翻訳者の許可を得て、幾つかのテキストを引き継いだ

Publikace byla v dobách komunismu přeložena i do češtiny otcem Josefem Fabíkem, farářemv Horním Štěpánově a samizdatově rozmnožována. Z tohoto překladu jsme některé texty po úpravě s dovolením překladatelovým převzali.

[Machine Translation]  In the period of communism, the publication was translated into Czech by father Josef Fabík, pastor in Horní Štěpán and reproduced by samizdat. From this translation, we have taken over some of the texts, with the permission of the translators.

もう一つの重要な書物もドイツの出版社からのものである。Horst Mehring 著『Maria, Rosa Mystica』。ワイグル神父の本に基づいたものである。1974年、教会によって、出版社 Grignion Verlag(Alttöting)から出された。

Druhou důležitou publikací, vycházející z knihy P. Weigla je rovněž německá publikace Maria,Rosa Mystica od Horsta Mehringa, kterou s církevním schválením z roku 1974 vydal St. Grignion Verlag, Alttöting

[Machine Translation]  The second important publication, based on the book by P. Weigl, is also the German publication by Maria, Rosa Mystica by Horst Mehring, which was issued by the Church in 1974 with St. Grignion Verlag, Alttöting

ピエリーナ・ジリの伝記のデータは、Andre Castelle 著『モンティキアーリにおける聖母の出現』(Stella Maris、No.260、1991年5月号)から引用した。

Životopisné údaje o Pierině Gilliové byly čerpány z článku André Castelle - Apparitions de Maria a Montichiari – Stella Maris NO 260, Mai 1991.

[Machine Translation]  Biographical data of Pierina Gilli were drawn from an article by André Castelle - Apparitions de Maria and Montichiari - Stella Maris NO 260, Mai 1991.

この PDF は自らを「A. M. Weigl 著『Maria, Mystická Růže』」と銘打っていながら、「基本的な情報と個人の告白のテキストは、基礎的な重要性を持った二つの書物から取られた」と言い、且つ『Stella Maris』というタイトルを持ったカトリック雑誌であろうものからも「ピエリーナ・ジリの伝記のデータ」を取ったと言うのである。

それらの文献から取ったテキストやデータは、この PDF の本文に入れこまれているのか、それとも別記されているのか。前者なら、それはもはや「A. M. Weigl 著『Maria, Mystická Růže』」ではない、ということにならないか。後者なら、そういうことにはならないだろうが。そこのところはどうなのだろう。

──と思っていたら、これまたこの PDF 自体を読んでいるうち判明した。本文に入れ込んでいるのである。こりゃ問題だ。

いや、実はそうでもない。何故なら、この PDF は、そのようなものを本文の中に入れ込むたびに、そのことを巻末の「注」で断っているだろうからである。このように。

チェコ語 PDF / HTML

Odkazy

(…)

(3)

最初の御出現のあった1946年11月24日のことは、A. M. ワイグル神父の本には書かれていない。そして一般的には、最初の御出現は1947年6月1日と考えられている。H. Mehring だけが1946年11月24日のことを書いており、私たちはそれを採用した。

O prvním zjevení 24. 11. 1946 se publikace A.M.Weigla nezmiňuje a obecně se za první zjeveníuvádí vize z 1. 6. 1947. Podrobně se o prvním zjevení rozepisuje až H. Mehring, jehož se přidržujeme.

[Machine Translation]  The first revelation on November 24, 1946, does not mention A.M.Weigl's publication, and in general the vision of June 1, 1947 is revealed for the first time. Only H. Mehring, whom we adhere to, details the first revelation.

だから、書名を「A. M. Weigl 著『Maria, Mystická Růže』」としていることはどうかと思うが、まあ、それでも、その必要があるたびいちいち上のように注記しているとするなら(私はその全てを確認してはいないが)、まあ、セーフかな、とも思う。

私が感じ得た範囲では、以上のような感じなのである。

結局、この PDF は、

① 

基本的にワイグル神父様の本に基づいている。

② 

しかし、その内容を幾らか削り、「縮小版」を形成している。

③ 

且つ、若干、他の文献からのデータも取り入れている。

何かそんなふうなものではないかと、私は想像する。

どうだろう。心許ないだろうか。
あなたはこの資料を信ずる気になれないだろうか。

では、今度は、それをアップしているチェコのサイトがそれを紹介しているページを見て頂こう。参照
どうだろう。私は、まあ、真面目なんじゃないかと思うが。

そして、しかし、次回の記事で、その PDF は結局信頼できるということを示せるように思う。 次へ

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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