滅びた霊魂の泣き声

ま え が き

この特異な記録は一人の滅びた霊魂が、地上にいる友人に現われて語った言葉で、ある一人の若い婦人が、どのようにして自分の霊魂を、永遠の地獄の苦しみのなかで滅したかという最も強い記録です。

この記録は何回も教会の司教の許可をもらって印刷されたものですが、教会の許可の意味は、この記録は信仰や道徳に反するところは何もないという意味です。たとえこれが真実なことでなくても、ここに記録してあるところは、霊魂の上に大いに役に立つものです。

一九一七年七月、聖母マリアがファチマにおいて三人の牧童に、幻のうちに、“地獄” の中を見せられましたが、十月十三日には公けな奇蹟を行なわれてこれを実証されました。しかし現代の殆んどの教会の説教では “地獄” については何も言われません。又新教(プロテスタント)の牧師達だけでなく、カトリックの神父達の中にも、地獄は恐らく肉体的な苦しみを受けるところではないと主張する方がいますが、その為に聖母がファチマに御出現の際、三人の牧童に地獄の幻をお見せになったことは、実際必要なことだったと思います。

この記録の中で語っている “地獄” はイエズス・キリスト御自身、はっきりと教えられたカトリック教会の信仰箇条です。

この記録に書いてある名前と場所は仮名〔かめい〕を使っています。何故ならこれは最近の出来事だからです。

この記録は、ヨングスタウン・二ューヨークの「ファチマの声」という雑誌にのせられたものを許可を得て邦訳したものです。

(この本はキリスト信者のための本です)

一九七八年九月十五日 悲しみの聖母の祝日に
レオ・スタインバック神父

滅びた霊魂の泣き声

クララとアンネットという二十二、三才の娘が、ドイツのある会社で働いていました。二人は親友というほどではないが、よくお話をする仲良しでした。クララは熱心な信者でしたが、アンネットはあまり熱心ではなかったので、クララは少しづつアンネットに信仰上のことを教え、親切に指導していました。

アンネットは一九三七年に結婚して会社を退めましたが、その年の秋にクララは母からの手紙で “アンネットは自動車事故で亡くなり、昨日葬式が行われた” ことを知りました。これをきいたクララは大変驚き、また心配しました。“アンネットは急死したけれど、神様の裁きの前に立つ準備が確かに出来ていたでしょうか?” と。

次の日クララはミサにあずかり、ご聖体をいただいて大変熱心に、亡き友の為に祈りました。ところがその晩十二時十分過ぎ、アンネットはクララに現われて次のように語りました。

クララ、私の為に祈らないでちょうだい。私は地獄にいますから。今あなたに現われて詳しく私のことを話すのは、あなたが友達だからではありません。神から強制的に命ぜられたからです。私共地獄にいる者は、他人を非常に憎んでいます。私としては、あなたもここに来させて、いつまでも苦しませたいのです。これを聞いてあなたは怒るでしょうが、ここにいる私共は皆そういう考えをもっています。私共の意志は悪に凝り固まっているのです。

四年前はじめてお会いした時のことを覚えていますか。あなたはその時二十三才で、半年前から会社で働いていました。私がその会社に入った時あなたは親切にしてくれました。その時は私はあなたの愛徳に感心していましたが、とんでもないこと! 今は私共は少しもありがたく思いません。

私の幼い頃の話をしたことを覚えていますか? 私の両親は本当は私を産みたくありませんでした。母は間違って妊娠して私が生まれたのですが、その時、私には十四才と十五才の姉がいました。“私は生まれなければよかった! 今でも存在しなくなったらよいのに!” と自分の生まれたことを呪っています。私は今の苦しみから逃れることが出来ません。もし私の霊魂が消えてなくなるならどんなに喜ぶでしょう。存在することが苦しいのです。しかし私は滅びた雲魂として永遠に存在しなければならないのです。

私の両親は田舎から都会に出て来ましたが、教会に行かずいつも宗教心のない人と交際していました。両親は結婚する一年半前にダンスで知り会いになり、結婚しなければならなくなりました。既に妊娠していたからです。結婚式は教会で挙げましたが、年に二回位しかミサにあずかりませんでした。又両親は信仰不熱心で、私に全然祈りを教えませんでした。ただ毎日の生活に夢中になって暮していました。しかし家の境遇は悪くはなく、経済的には恵まれていました。

ある日父と一緒に散歩していた時、『アンネットちゃん、初聖体の時一番大切なものは心よりもドレスだよ』と父が申しました。そのことをあなたにお話すると、あなたはとても驚きましたから私は恥かしく思いました。でも今なら恥かしく思わず、むしろあなたを嘲るでしよう。

私は十二才の時に初聖体をいただきました。その頃すでに世間的な楽しみに夢中になり、宗教心はあまりなかったので初聖休もそんなにありがたく思いませんでした。沢山な子供が七才で初聖体を受けているのを見て今では私は憤慨しています。私は子供達が大罪を犯してから、あの白いパン(ご聖体)を受ければよいと思っています。涜聖の罪を犯させたいのです。

私は時々告白もし聖体拝領もしましたが、ある日あなたは私に申しました。「もしお祈りをしなかったらあなたは滅びるよ」と。実際私は殆んど祈りませんでした。地獄にいる人は祈らなかったか、祈りが足りなかったからなのです。神に近づくには祈りが一番です。特にキリストの母に祈るのが一番ですが、私共地獄にいる者はキリストの母の名を決して口にしません。キリストの母に対する信心をもつ人は悪魔の手にかからないのです。私は大変怒りながら仕方なくこの話をしています。祈りは人間にとって一番やさしく簡単なことなのです。この簡単な祈りをすることによって、神は人間の救霊を定めました。忍耐強く少しづつ祈るなら、神は少しづつ力を与え、罪人はだんだん神に戻って来て救われるのです。私は最後の数年間は全然祈らなかったので滅びました。地獄の私共には全然神の助けが与えられません。もし与えられたとしても私共は断わります。

地上にいる間はいろいろ変った楽しみや慰めもありましたが、ここに落ち込んでからは何も変化はなく、いつまでも同じ苦しみが続くばかりです。長年間私は神の恩寵から離れていました。神が私に恩寵を与えた時、私はいつも断わり神に背いてきました。私は悪魔のカを信じませんでしたが、唯今では私のような人間に対しては、悪魔が大変力があることを知りました。もし私たちが祈りや犠牲を捧げたなら、私たちは少しづつ悪魔の手から救われた筈です。

地上に於ては悪魔つきの数は割合少ないですが、悪魔は沢山な人々の傍にいて誘い〔いざない〕をかけているのです。悪魔は人間の自由意志を盗むことは出来ませんが、ある人は神に頼らない為、神は悪魔がその人に入ることを許します。私も悪魔を忌み嫌っています。しかし悪魔が人間を滅ぼそうとして、人間を誘惑するのを喜んでいます。何百万もの悪天使がいますが、この悪天使達は地上を徘徊して、又場合によっては軍団になって人々を襲っているのです。私共悪霊、即ち悪人間達は、あなた方に誘いをかけることはできません。誘いは悪天使、即ち悪魔の仕事です。

あなたはご存知なかったでしょうが、私は地上にいる間、いつも神に対して反抗心を起こしていました。あなたは私を普通の信者と思っていたでしょう。私はそう思われて喜んでいました。私は教会維持費も時々払っていました。結婚前は告白して、御聖休も一度頂いたことがあります。これが教会の掟ですし、又私の主人もこの掟に従った方がよいと思っていましたから。私はまた教会の他の習慣にも従いました。

結婚後主人と私は円満に暮して別に問題はありませんでしたが、私は子供を欲しがりませんでした。主人は一人だけは欲しかったのですが、私は一人も生まない方がよいと勧めて主人を納得させました。ドレスと贅沢な家具、遊び、ピクニック、旅行、これらが私共の楽しみでした。こうして一年間本当に楽しい生活をいたしました。外面的には落ち付いていました。しかし内面的には心は満たされず空しさを感じていました。又私は思いがけず亡くなった伯母の遺産を相続しました。丁度同じ頃に主人の給料も少し増えましたので、新しい家ときれいな家具を買いました。しかし宗教の事については余り考えませんでした。

私は昔の人の描いた地獄の絵を見て嘲っていました。お墓にもそんな絵が飾ってあり、ある絵には悪魔が地獄に落らた霊魂を焼けた炭火でいじめたり、新しく地獄に落ちた人を尻尾で引っぱったりしているのを見て嘲っていました。しかし今地獄に入ってみて、それらの絵は決して大げさではないことがわかったのです。聖書に書いてある地獄の火は、人間の良心の苛責ではなく、実際に燃えている火です。本当の火です。キリストがおっしゃった聖書のことば『呪われた者よ、わたしを離れて永遠の火に入れ』とはそのままです。あなたは『どうして人間の霊魂が火によって焼かれるのですか?』と尋ねるでしょうが、地上においても、もし自分の指を火の中に入れたら、肉だけでなく霊魂も共に苦しむでしょう。それと同じように地獄でも、霊魂は焼けませんが火の為に大変苦しむのです。

私共地獄の霊魂の一番の苦しみは、神を絶対見ることが出来ないことです。地上にいる間神に対して無関心であった者が、死後神を見ることが出来ないことをどうして苦しむのか?とあなたは不思議に思うでしょう。それはちょうど、ナイフがテーブルの上に置いてあると、冷たい感じがして怖いものですが、痛くはありません。しかしナイフで自分の身体を刺した時はとても痛いです。そのように、地上にいる間神と共に生きなかった者でも、死後神を見ることが出来なくなることは大変苦しいのです。

地獄にいる霊魂達は皆同じ程度の苦しみを感じているのではありません。罪の多い人ほど神を失った事を苦しく感じます。地獄にいるカトリック信者は、他の宗教の人よりも多く苦しんでいます。何故ならカトリック信者は未信者よりも神から恩寵を豊かに与えられたからです。一番よく神を知っていた人は一番苦しむのです。又悪意をもって地獄に落ち込んだ人は、ただ意志の弱さの為に地獄に落ちた人よりも苦しむことになります。皆公平に自分の罪に比例して苦しむのです。

今は、私はお祈りやミサ、宗教教育、聖水、教会等を大変忌み嫌っています。又教会に行く人、すべての人間、すべてのものをも大変忌み嫌っています。私共は多くのものから苦しめられているのです。地上での生活の思い出は大変苦しく、ちょうど炎が自分の心に沁みこんだようです。一つ一つの思い出に神の恩寵がありましたのに、私共はそれらの恩寵に対して知らん顔をしたり、ないがしろにして断ったからです。それでそれらを思い出すことは大変苦しいのです。私共は食べもせず、休みもせず、歩くこともせず、つながれていて、吠えながら歯がみしています。私共は過去の生活を眺めて、その生活を大変忌み嫌いながら苦しんでいます。ここでは丁度、地上の者が水を飲むように、私共は憎しみを飲んでいます。第一に神を憎んでいます。私はあなたにこのことを説明したくありませんが、神から強制されてこのことを教えているのです。

天国にいる聖人達はベールなしに直接、美そのものである神を見ています。天国の聖人達の楽しみは形容しきれない程で、これを私共はよく知っていますから憤慨しているのです。地上の人間達は自然界を見て、又啓示によって神を知り神を愛しています。強制的に神を愛させられているのではありません。信仰者は、十字架にかけられたキリストを見、キリストの手が自分に伸ばされているのに気付き、終にキリストを信じ愛するに至るでしょう。私はこのことを歯がみしながら言っています。言いたくないのです。

ふだんから神に頼らず、死んでから正義なる神に会う霊魂は、勿論罰を受くべき者ですから神を忌み嫌うのです。地獄にいる私共は、死ねば、神から永遠に離れるつもりでした。あなたは地獄が永遠に続くものであることを御存知ですか。そのわけは、私共は死ぬ時、意志が神にそむいたまま凍り固まっていましたから、死後いつまでも永遠に神に反いたままなのです。しかし神は地獄にいる者にまで憐れみ深い方です。例えば、私がもっと長生きしたなら地獄の苦しみはもっと苦しかった筈です。憐れみ深い神はそんな私を早く死なせてくれました。これも歯がみしながら言っています。私共は地獄の火の中に入っていますが、もし神に近づけば、もっと苦しいからです。

私は一週間前に事故に会いここに来たばかりなのに、もう十年間もこの地獄に入っている様に感じます。私の死はこうでした。私は一週間前主人とピクニックに行きました。気分はとても爽快でしたが、どうしたわけか奇妙な快楽が一日中私に入っていました。そして家に帰る途中スピードを出して自動車の運転をしていた主人は突然、対向車のヘッド・ライトに目がくらんで衝突したのです。「イエズス!」とふるえながら私は口癖のように叫びました。でもその叫びは祈りではありませんでした。と同時に全身に痛みを感じました。その時の苦しみは今の地獄の苦しみとは全然比較になりません。私はちょうどその朝、ふと “今日はミサにあずかれるのに” と思い出しました。その時生涯の最後の聖寵の勧めを受けたのでしたが、私は “否 !!” とはっきり断わったのです。私が死んでからどうなったか、あなたはもうおわかりでしょう。私は主人と母のその後の事も、又、私の死体と葬式の事もわかっています。地上で自分に関して行われる事はかすかにわかっています。唯今あなたの住んでいる所も知っています。又、自分の霊魂に関する事は、はっきりとわかっています。

私の霊魂は死んだ瞬間、無意識の暗闇から瞬く間に、明るく照らされました。それは私の死体が置かれている場所でした。丁度、芝居見物の時、明りが突然消されると今までとまるでちがった場面が現われるように、私は鏡で見るように自分の生涯を見ました。私の一生涯の中に与えられた数々の恩寵。幼い時から与えられた神の恵み。又、最後の朝にも与えられた神の恵みも見ました。まるで殺人の現場検証を見ているかのようでした。私は全く自分で自分の霊魂を滅ぼしたのです。

痛悔しましようか?
私の返事は、
“絶対いつまでも痛悔しない!”
恥かしく思いましようか?
“絶対いつまでも恥かしく思わない!”

神の前に立つことの出来ない私に残された道はただ一つ、それは神から逃げることでした。ちょうどカインが弟のアベルを殺した時その場所から逃げたように、私の霊魂も神のみ前から、その恐ろしい場所から逃げました。そして地獄に飛び込んだのです。これが私の審判でした。見えない神の裁判官が『私から去れ!!』と言った瞬間、私の霊魂は黄色い影のように、永遠の苦しみの場所、地獄に飛び込んだのでした。

─── おわり ───

(一九七八・九・一五 京都教区長認可)

管理人

信じられないかも知れませんが──この滅んだ女性はアンネリーゼ・ミシェルのエクソシズムの中に出て来たようです。参照

何故そのような事になるかと云うと──アンネリーゼ・ミシェルに於ける憑霊はアンネリーゼ自身に原因があって起こったものではなく、それを通して天国が人類に教える為の憑霊であったからでしょう。「他界からの警告」の女性の場合も同様でしょう。私達にはなかなか信じ難いことですが、それらの憑霊はそもそもの初めから天国が手配したものなのでしょう。

この逸話の他言語版をリンクによって紹介しておきます。

• ドイツ語(原語)   

• 英語      

• イタリア語      

• フランス語      

• スペイン語          

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