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ラ・サレット ルルド ファチマ

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ファチマでのできごと

ポルトガル中部の丘陵地帯コパ・ダ・イリアの近くで聖母は1917年5月13日から10月13日までの間に、6回にわたって3人の田舎の子供たち、ルチア・サントス、ヤシンタ・マルトとその弟フランシスコに現われました。出現のときにマリアは子供たちに、聖母の無原罪の宿りをたたえるための行列を行い、罪の償いを行い、ロザリオの祈りを唱えるよう信者たちに知らせるようにと言い、もしそうしなけれぱ世界はその罪のために罰を受けるであろうと。そして、10月の出現のとき、7万人の群集が目を見張るような太陽の現象を目撃しました。
1930年にポルトガルの司教は出現が真実のものであると宣言し、1942年にピウス12世教皇はマリアの要請に答えて、世界をマリアの汚れなき御心に奉献した。1967年にパウルス6世教皇は、出現の50周年記念に個人的にファティマの聖堂を訪間して崇敬しました。そして1983年5月13日には現教皇ヨハネ・パウロ2世が、前年、同じ日にバチカンで暴漢の襲撃を受けて命を全うした恩恵に感謝するために、ファチマに巡礼しました。そしてさらに1984年3月25日、神のお告げの祝日に当たっては、教書を発令して、世界平和のために、全世界の教会を聖母の汚れなきみこころに奉献するように求められた。

天使の出現

第一回目の出現

1916年の春と思います。フランシスコとヤチンタは、母から羊の群を世話する許しを受けました。すると私は、三人の友たちから離れて、二人の従弟妹、すなわちフランシスコとヤチンタといっしょになりました。セラで他の羊飼たちといっしょになるのを避けるために、私たちは、父母と叔父、叔母の所有地へ行くように決めました。ある晴れた日、私たち三人は羊の群といっしょに、チョウサという両親の所有地へいきました。昼近く、急に梅雨のような小雨がぱらつきました。雨をさけるために、雨宿りの場所を探しに行って、羊を連れて他の坂へ上りました。その時、初めてあの祝福されたカペソの洞窟へ入りました。出現の後、度々その岩の間へ祈りにいきました。私たちはそこで、雨の晴れるのを待ちながら、お弁当を食ベロザリオを唱えました。雨が止んだので、遊戯を始めました。すると突然強い風が吹いてきました。思わずふりむくと、私たちはオリーブの木の上の東のほうにまっ白の人影を見ました。その姿はちょうど雪の像が、水晶が太陽の光に輝くようにすき通っで空中に浮かび、私たちのほうへ進みよって来ました。フランシスコとヤチンタは、そのような姿を見たことがありませんでした。私は前に見た白い姿について彼らに話しませんでしたから。その姿が私たちに近づいたとき、様子をはっきり見ることが出来ました。それは、この世では見られない十四、五歳の美少年でした。この方は私たちに話しました。「こわくありません。私は平和の天使です。私といっしょにお祈りしましょう」。そして自ら先にひざまずき、額が地面に着くまで身をかがめて、次の祈りを三度繰り返しました。「ああ、神さま、私はあなたを信じ、礼拝し、希望し、愛します。私はあなたを信じないもの、礼拝しないもの、希望しないもの、愛さないもののために、ゆるしをおねがいしますと。天使は身をおこして、「この通りにお祈りしなさい。イエズス様とマリア様のみ心は、みなさんの祈りの声に感銘なさるでしょう」と言って姿を消しました。
天使のことばは、強く私たちの心にひびき、絶対に忘れ得ないものとなりました。それからというものは、私たちは天使のように身をかがめて、全くつかれ果ててしまうまで、教えられた通りに繰り返し繰り返し祈りました。神の現存がそれほど深く身近かに感じられましたから、私たちは互いに話す勇気もありませんでした。翌日も私たちの心は同じ雰囲気に包まれていました。それが消え去るまでには長い時間がかかりました。

第二回目の出現

1916年と思いますが、熱い夏の日、毎日午前11時頃、牧場から羊の群を家へ連れて来て、午后3時、再び牧場へ連れもどしました。七月か八月の暑い昼寝の時刻でした。私たち三人は、私の家の井戸のかげで遊んでいました。すると、不意に、前の天使が私たちの面前に現われました。「何をしているの? お祈りしなさい。たくさんの祈りをしなさい。イエズス様とマリア様のみ心は、みなさんの手をかりて、特別の憐みの業を行なわれようとしておられます。神に祈りと犠牲を絶え間なく捧げて下さい。」
私が「どうしなければなりませんか」と尋ねると、「神に対しておかされるたくさんの罪を償うため、また罪人の回心を願うために、いつも、いつも続けて祈りと犠牲を捧げなさい。そうすればポルトガルはきっと救われるでしょう。私は皆さんのお国を守る守護の天使です。主が特別に皆さんにおくろうと思っておられる苦しみを、勇ましく引き受け、忍耐して守るようにはげみなさい」
この言葉は私たちの心にきざみこまれて、一つの光明となり、神はどんなに私たちを愛しておられるか、また私たちに愛されることを望まれるか、犠牲はどんなに価値あるものであるか、この犠牲によって、神はどれほど多くの罪人に改心の恵みを与えられるかを理解させて下さいました。その時以来、私たち三人は、けなげにも、身に迫る苦しみを、一つ残らず主に捧げていました。中でも私たちがもっとも好んだ償いは、天使の祈りをとなえながら、地面にひれ伏したまま、幾時間も幾時間も同じ姿勢で過ごすことでした。

第三回目の出現

私たちは、ワリニョスの丘の父の牧場へ羊を連れていきました。プレグエイラのオリーブ畑に着いてから、額が地につくまでひれ伏して、天使の祈りを数えることが出来ないほど何度も繰り返し唱えました。
 「神よ、私はあなたを信じ、礼拝し、希望し、愛します、」すると私たちの上に不思議な光が輝くのを見ました。よく見るために身を起こすと、一位の天使が立っていました。カリスの上に、オスチアが見えて、オスチアから真赤な血潮がカリスの中に滴り落ちていました。天使はカリスとオスチアを、空中に残したまま、私たちの側に脆づいて、いっしょに三度次の祈りを唱えました。「父と子と聖霊にましますいとも聖き神よ、私たちは、心の底からあなたを礼拝し、イエズス・キリストが全世界の聖櫃の内でお受けになる侮辱を償うために、イエズス・キリストご自身の聖いおん体とおん血、ご霊魂、神性をあなたに捧げます。イエズスのみ心の限りないおん功徳と、マリアの汚れなきみ心のおん取り次ぎによって、不幸な罪人に改心の恵みをお与え下さい。」天使は身を起こして、「ご恩を知らない人たちから、ひどく侮られるイエズス様のおん体とおん血を拝領しなさい。この恩知らずの人々の罪の償いをして、あなた方の主をなぐさめて下さい」と言い、オスチアを取って私に、カリスのおん血をヤチンタとフランシスコに授けて下さいました。そして再び身をかがめて、さらに「聖父と聖子と聖霊にまします、いと聖き神よ……」と先の祈りを三度私たちといっしょに繰り返して、姿を消しました。私たちはひれ伏したまま、夢中になって同じ祈りをとなえ続けました。そして我にかえったフランシスコが、帰宅の時間に気づいて、私たち二人を促し、夕やみ迫る道を家へ急ぎました。その出現では、天使から放たれる超自然の光に全く気をうばわれ、自分たちがどこにいるのかさえ分かりませんでした。天使が立ち去ってからも、私たちの感覚はしぴれたようになっていました。数日の間、私たちはこの超自然的な力に引き寄せられて、すべての仕事を行ないました。私たちの霊魂の平和と喜びは非常に大きいものでした。なぜなら、自然的な疲れも強く感じましたけれども私たちの心は、完全に神に浸っていましたから。

聖母マリアのご出現

第一回目のご出現 5月13日

私はヤチンタとフランシスコといっしょに、コーワ・ダ・イリアの丘の上で、小さな壁をくみ立てようとしたとき、突然、稲妻のような光が、私たちの目を射りました。私は従弟妹たちに「雷だ! 嵐がくるかも知れませんから早く帰りましょう」と言いました。そして道にそって、羊を下り坂へ追いやりました。坂の中程で柊の木の前へ差しかかったとき、また稲妻が空間を貫きました。そして、二歩前に太陽よりも輝く、光そのものの麗わしい貴婦人を見ました。私たちはびっくりして、貴婦人の前に立ち止まりました。貴婦人は、一メートルを少し越えた高さの緑したたる柊の上に立っておられました。私たちは、その光に包みこまれていました。すると貴婦人はこう言いました。「少しも、こわいことはありません。私はみなさんに、悪いことはいたしません。」私は、「あなたは何処からお出でになりましたか」と尋ねると、貴婦人は「天国から参りました」と答えました。「あなたは、私たちに何をお望みですか?」「みなさんが、毎月十三日、続けて六回、只今の時間にここへ来るようにねがいます。私が誰であるか、またみなさんに何を望んでいるかを、あとでお知らせいたしましょう。そのあとまた、七回目に参ります。「私は天国へ行きますか」「そう、あなたは天国へ行くでしょう」「ヤチンタは?」「はい、ヤチンタも」「フランシスコは?」「はい、フランシスコも、やはり天国へ行くでしょう。でもその前にロザリオをたくさん唱えなければなりません。」その時、私は最近亡くなった二人の少女について、尋ねることを思い出しました。彼女たちは、私たちの友だちでした。私の一番上の姉といっしょに、機織を習うため家に来ていました。「マリア・ダッスネウェスは天国に居りますか?」「はい」〈彼女は十六歳くらいだったと思います〉「そしてアメリアは?」「世の終わりまで、煉獄に居るでしょう。」〈彼女は二十歳くらいだったと思います〉「みなさん、冒漬の罪を償うため、そして罪人の改心のために進んで犠牲を献げ、神さまがみなさんに送ろうと思っておられる苦しみを、みんな喜んで忍ぶことを約束して下さいませんか?」「はい承知しました。」「それで、みなさんはもっとたくさんの苦しみを忍ばねばなりません。でもね、神さまのおん慈みは、いつもみなさんを助け守って下さいます。」
こう言って貴婦人は、合掌していた両手を初めてお開きになりました。すると、私たちの上に、強烈な光線の東が放たれました。同時に、鋭いこの光線は、私たちの心の真底までくまなくさし込んで、どんなにすみきった鏡にうつすより、はっきりと神様のうちにとけ合った自分たちの姿を、照らし出したのです。この時私たちは、低抗出来ない不思議な力におされて、脆づき、力の限り〈おお、至聖三位なる神よ、あなたを礼拝します。わが主よ、わが主よ、私はもっとも祝福された聖体の中に、あなたを愛します〉と繰り返し唱えました。しばらくたって貴婦人は申されました。
 「世界が平和になり、戦争が終わるように、毎日、ロザリオを唱えなさい。」
 こうして貴婦人は、東のほうへ向かって遠ざかり、彼女を囲む光がその前に小路を作るようにして、彼女は大空の中へ消えて行きました。このために私たちは、時々「天が開かれたのを見た」と言いました。

第二回目のご出現 6月13日

六月十三日は聖アントニオの祝日で、私たちの小教区の盛大な祭日でした。十一時ごろ、私はヤチンタとフランシスコといっしょに、コーワ・ダ・イリアヘ行きました。朝早く来た人々は皆私たちといっしょに歩きながら、多くの質問をしました。その日、私は悲しんでいる母を思いましたから、悲しみに満たされていました。コーワ・ダ・イリアについた私たち三人は、そこにいた人々といっしょにロザリオを唱えました。すると突然、光が輝いて、五月の時と同じように、貴婦人は小さい柊の上に現われました。私が「あなたは何をお望みでしょう」と聞くと、貴婦人は「来月の十三日に、またここにおいでなさい。毎日ロザリオを唱えることを忘れてはなりません。そして、まず皆さんが読み書きできるようになって下さい。それから、私の望みを申しましょう」と言われました。
私は一人の病人を思い出して、その全快を願いました。すると、貴婦人は「もし彼が改心するなら、今年全快するでしょう」とお答えになりました。私は「私たちを、あなたといっしょに天国へつれていって下さい」と願いました。貴婦人は、「よろしい、私は間もなくヤチンタとフランシスコをよびに参りましょう。でもあなたは、もっと長くこの世に残らねばなりません。イエズス様は、あなたによって世の人々がもっとよく私を知り、私を愛するようになることを望んでおられます。イエズス様は、私の汚れなき心に対する信心を世に広めようと思っていらっしゃいます」とお答えになりました。
私は心細くなって尋ねました。「それでは、私だけ一人残るでしょうか」「いいえ、わが娘よ、あなたはたくさん苦しむでしょうが、安心して下さい。私は決してあなたを見捨てはいたしません。私の汚れなき心は、あなたの避難所となり、あなたを神へみちびく道となりましょう。」
貴婦人はこの最後のことばをおっしゃったとき、両手をひらき、再び私の上にあの強い光を放たれました。その光の中で、私たちは、神の中に浸りきった自分たちの姿をみました。ヤチンタとフランシスコは、天へのぼっていく光の中にいるように見え、私は地上にひろがってゆく光の中にいるように思いました。貴婦人の右手の前には、茨にとりまかれた心臓があって、ほうぼうに刺がつきささっていました。私たちは、これが聖母マリアの汚れなきみ心であって、世界中の数知れない罪人のためにお悩みになり、私たちに苦業と償いを求めて居られることを悟りました。

第三回目のご出現 7月13日

その翌日、いよいよあそこへ行く約東の時刻が来た時、不思議な力に押されて、どうしても抵抗することが出来ませんでした。そしてとうとう歩き出して、ヤチンタとフランシスコはまだ家にいるかと思って、叔父の所へ立ち寄ってみました。すると二人は床の前にうつ伏して泣いていました。
 「まだ行かないの、もう時間なのに!」「だってあなたが行かないんですもの。わたしたちだって行かないよ」。「どう? 行かない? いっしょにいきましょうよ。」。二人は、にわかに元気づいて、とび立ってコーワ・ダ・イリアヘ急ぎました。大勢の人々は途中で、私たちを待っていたので、私たちは群集を押しわけながら、やっと自分たちの通路を開くことが出来ました。この日、聖母は弱くなった私たちの熱心を、再びもどすように励まして下さいました。
ヤチンタとフランシスコと私は、コーワ・ダ・イリアについて、そこに集まっていた大勢の人々といっしょにロザリオを唱え終わったら、すぐに光が輝き、間もなく柊の上に貴婦人をみました。私が、「何をお望みですか」ときくと、「来月十三日に、私はあなたたちがここにまた来るようにねがいます。全世界に平和を得るため、また戦争を終わらせるために、毎日続けてロザリオを唱えて下さい。そうすれば、私はあなた方を助けることが出来ます。」「私たちにお名前を教えて下さるように、お願いいたします。」「毎月続いて、ここへおいでなさい。十月には、私の名前と希望を知らせましょう。人々が、だれでもみなさんを信じるように奇跡を行ないましょう。」
ここで私は今、覚えていない人々から依頼されていたいろいろの願いをとりつぎました。今覚えているのは、貴婦人が、「彼らがロザリオを忠実にとなえるなら、今年中に、その恵みをいただけるようになるでしょう」と言ったことです。それから貴婦人は、「みなさんは罪人のために犠牲になりなさい。そして特に苦業するとき、こう唱えなさい。『イエズスよ、私はあなたを愛しますから、罪人の改心のため、聖母マリアのみ心に加えた侮辱を償うために、この犠牲を捧げます』」と教えて下さいました。
貴婦人は、この言葉を言いおえて、毎月のご出現と同じように両手を開きました。すると左右の手から光が溢れ出て大地に入りこみ、それと同時に、火の海が見えました。そこには、人間の形をした悪魔と悪人とがカンカンに燃え立った炭火のように、真赤に焼け、真黒にこげて、火の海におぼれ、もだえ苦しんでいました。たちまち起こったものすごい大鳴動と共に、彼らは吹き上がった火焔のために、空高く吹き飛ばされ、大火災の火の粉のように四方へ散らばって、ぐるぐると回転しながら、苦悩と絶望に怒り、わめき狂って、かわいそうに、再び火の海の中に落ち込んで行きました。私が恐怖の声をあげたと人々に言われたのは、恐らくこの時だったでしょう。悪魔は恐ろしい、見たこともないいやな、きたならしい動物の形をして、燃えさかる炭火のようにすき透って見えました。地獄のありさまを見たのは、たった一瞬でした。私たちは、天上の愛すべきおん母が、最初のご出現に、私たちを天国へ連れてゆくと約東して下さったことを思い出して、どんなに感謝したことでしょう。でなければ、私たちは恐れのために死んでしまったに違いありません。
私たちは、すぐに聖母を仰ぎ、救いを求めました。すると聖母は、憐みと悲しみの表情をまじえながら、こうおっしゃいました。「あなた方は、あわれな罪人が陥ちて行く地獄を見たでしょう。この罪人を救うために、主は私の汚れなき心に対する信心を世界に広めるように、求めておられます。もしみなさんに話すことが実行されるならば、沢山の霊魂が救われ、世界は平和になるでしょう。戦争は終わりに近づきました。しかし人類が神に逆らうことを改めないなら、次の教皇の時、もっと大きな不幸が起こるでしょう。あなた方は、夜間に、大岩な不思議な光が輝くのを見るでしょう。これは、戦争、飢饉、教皇と教会に対する迫害の始まりで、主が世界に(第二の)天罰を下すしるしと考えなさい。この不幸から逃れるためには、世界が私の汚れなき心に奉献されることと、月の始めの土曜日に、償いの聖体拝領をすることを望みます。もし人々が私の願いに耳を傾けるなら、ロシアは改心して世界は平和になるでしょう。もし私の願いに耳をかさないなら、ロシアはその謬説をもっと全世界にひろめ、世界を風靡し、戦争をあおり立て、教会に対して迫害を加えるでしょう。そのために、大勢の善良な信者が殉教し、教皇には苦しみが重なり、たくさんの国が滅びてしまうでしょう。しかし、私の汚れなき心は最後に勝利をおさめるでしょう。その結果、ロシアは改心し、世界に平和の春が訪れるでしょう。ポルトガルは、信仰箇条をいつも守ります。これは誰にも話してはなりません。フランシスコには話してもよいです。ロザリオを唱える時、各連の後に、次の祈りを加えなさい。〈ああイエズスよ、私たちの罪を許し、地獄の火から逃れさせて下さい。すべての霊魂を天国へ導き、殊にあなたの憐れみをもっとも必要とする霊魂をお助け下さい。〉少し沈黙してから私はまた尋ねました。「まだ何かをお望みですか」「いいえ、今日は、あなたからこれ以上望みません。」

第四回目のご出現(8月15日)

ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレンでの逮捕の後私たちは家へ帰りました。八月十三日でした。家族の者は、私の帰宅を歓迎するために、羊をすぐに牧場へ連れて行くように私に命じました。これに反して叔父と叔母は、二人の子を家に居るようにして、その代わりに兄のヨハネを羊の番にやりました。もう遅かったので私は、村の近くのヴァリニヨスという所へ行きました。フランシスコはあとから一人でやってきました。私たち二人が超自然の光に包まれるのを感じたので、フランシスコはヤチンタがそこに居ないのを、とても心配しました。そして彼は「もしヤチンタが、ここに居ないなら大変残念がるでしょう」と言ってヨハネに妹を呼びに行くように願いました。けれどもヨハネは呼びに行くのを断わりました。私がヨハネに二つの小さい銅貨をあげたら、すぐに家へ走って行きました。ヨハネが行ってしまってから、フランシスコは、私に「もしヤチンタが間に合わないなら、どんなに悲しむでしょう」と言いました。
フランシスコと私が、いなずまと呼んでいるあの光の輝きを見た時、ヤチンタは兄といっしょにかけて来ました。間もなく貴婦人はコーワ・ダ・イリアの場合と同じように、一本の柊の上に現われました。「私に何をお望みですか。」「来月の十三日、あなたたちは、コーワ・ダ・イリアヘ行くようにしてほしいです。毎日、ロザリオを唱え続けるようにしてください。十月、みなが信じるように奇跡を行ないましょう。」「人々がユーワ・ダ・イリアヘ置いて行ったお金で何をしてほしいですか。」「行列用の二台の担架と、二かけの天蓋を用意し、一つは金色、もう一つは銀色にして、第一のをあなたとヤチンタと、他の二人の白衣を着た少女がいっしょに持ち、第二のは、フランシスコが他の三人の少年といっしょに持ちなさい。お金は、ロザリオの祝日を荘厳に祝うために使いなさい。残ったお金は、私のためにお聖堂の建築費にあてたらよいでしょう。」「数人の病人の治療を願いたいです。」「はい、今年彼らをなおしましょう。」貴婦人は、こう言ってから悲しんだ顔をして、もう一度、苦業を私たちに勧めて話し続けました。「罪人のために祈りなさい。たくさん祈りを唱え、犠牲を献げなさい。たくさんの霊魂が地獄へ落ちて行きます。誰もあの人たちのために、身を犠牲にする者がないからです」と。そして貴婦人は、いつものように東のほうへ空高く上がって消え去りました。

第五回目のご出現(9月13日)

さて私たちは、コーワ・ダ・イリアに着いたので、群集と共に柊の前に脆いて、ロザリオを唱えました。間もなくいつものように光が輝くと柊の上に、貴婦人の姿を見ました。貴婦人はこう言いました。
 「戦争が終わるように、ロザリオの祈りを続けて下さい。十月には、聖ヨゼフと幼いイエズスが全世界を祝福するために、お出でになるでしょう。主は、あなた方の犠牲に満足していらっしゃいますが、紐をしめたままで夜寝ることはいけません。昼だけ胴をしめなさい。」人々はたくさんの願いごとを私に頼みました。「数人のおし、つんぽの病人に全快の恵みを下さい。」「そう、なおして上げましょう。でもみなではありません。ある人は信仰を持っていないからです。」十月、すべての人が信じるように、私は奇跡を行ないましょう。」そう言って貴婦人は、いつものように、青い空に上り、見えなくなりました。

第六回目のご出現 (10月13日)

途中、人混みのために遅れると思ったので早く家を出ました。群集は人波で道を埋め尽くしました。母はその日、私の命の最後の日だと思い、何か起こるのではないかと、いいあらわせない苦しみを心に抱いて、私といっしょにコーワ・ダ・イリアヘ行きました。この日は先月よりももっと人が多くて、大騒ぎでした。私たちの行く先で、人々は小路にさえも立ちふさがって、謙遜な態度で脆づきました。私たちは、やっとコーワ・ダ・イリアにたどりつき、柊の前に場所をとって、内的な霊感に満たされながら、ロザリオを唱えるために、群集に傘をしめて下さいとねがいました。まもなく光が輝いて柊の上に貴婦人が現われました。
 「あなた様はどなたですか? お望みはなんですか?」「私はロザリオの母マリアです。私の栄誉のために、ここへ聖堂を建てて下さい。毎日いつも、ロザリオを続けて唱えなさい。私がまいりましたのは、信者に生活を改めなければならないこと、いとも恥ずかしい罪をおかして主のみ心を悲しませないこと、とうといロザリオの祈りを唱え、罪を痛悔し、償いを果たさなければならないことを教え、諭すためです。戦争はやがて終わるでしょう。そして兵隊たちは家に帰るでしょう。もしも、人々が心を改めるならば、私自ら人々の祈りを聞きましょう。」「私は、あなたにたくさんのことを尋ねたいのです。数人の病人の全快、罪人の改心、また、ほかの願いこともあります。」「そう、ある人を治しましょう。でもみんなではありません。彼らはまず自分の生活を悔い改めて自分の罪を痛悔しなければなりません。」また聖母は悲しい顔をしてこう言われました。「主なる神は、すでにたくさん侮辱されているので、もう罪を犯さないでください。」そして聖母は、かざした手をひらき、太陽をさすような手振りをしながら、太陽のほうへとのぽって行かれました。そのとき、私は人々にむかって、「太陽をごらんなさい」と叫びました。私はこういったとき群集の前にいることを全く考えませんでしたが、そういったのは聖母が太陽のほうへ向かって、行かれたからでした。私は内的な力にかられて、そう言いました。聖母が空中に見えなくなったとき、太陽のそばに聖ヨゼフの腕に抱かれた幼いイエズスと、白衣の上に青いマントを着けた聖母マリアをみました。聖ヨゼフと幼いイエズスは、手で十字架のようなしるしをして、世界を祝福なさいました。このご出現がおわると、次に主イエズスと、悲しみの聖母をみました。私たちの主が世界を祝福なさるのを見ました。このご出現の後に、カルメル山の聖母をみました。


最後のメッセージ
初土曜日の信心の約束

聖母は親しみをもって彼女の肩に手をおき、ルチアは聖母の目を見つめながら、その汚れなきみ心の啓示が行なわれた。1927年12月17日、彼女は、聖マリアの汚れなきみ心の信仰がファチマの秘密の中に含まれていることを知るために、聖櫃の聖体の前へ行き、どんな方法でどの程度それを人々に打ち明けることができるかを祈りました。イエズスは、彼女にはっきり言われました。「わが娘よ、彼らがあなたに尋ねたことを書きなさい。母マリアの汚れなき心の信心について、ファチマであなたに知らせたすべての事を書きなさい。そして、残っている秘密は沈黙を守り続けなさい。」
 一九一七年、聖母がこの主題について、打ち明けられた事はこうです。彼女たちは、自分たちを天国へ連れて行くように願いました。聖母は、仰せられました。
 「間もなく、ヤチンタとフランシスコを迎えに来ますが、あなたは、もっと永くここに居なければなりません。イエズスは、私が、人々に敬愛されるようにあなたを用いたいです。イエズスは、この世で私の汚れなきみ心の信心を制定されたいのです。この信心を守る人に、私は救いを与える約束をし、そして、霊魂は私の手から神の玉座を飾るようにおかれる花ですから、イエズスに愛されます。」彼女は、「では私は、ここに一人でいるでしょうか」と、悲しんで言いました。聖母は、「いいえ、わが娘よ、いつまでもあなたを見捨てる事はないでしょう。私の汚れなき心は、あなたの避難所と、神へ導く道となるでしょう。」
 1925年12月10日、聖母は彼女に現われました。その時、聖母のそばの輝かしい雲の上に、幼いイエズスがいらっしゃいました。聖母は、彼女の肩の上に片手をおき、他の手に棘に包まれたみ心をもって、彼女に示されました。幼いイエズスは、「棘で覆われているあなた方のおん母のみ心に同情しなさい。恩知らずの人々は、み心を絶えまなく貫き、棘をとり除くために、償いをする人は居りません」と仰せられました。すると聖母は、
 「わが娘よ、人々が絶えず忘恩と侮辱をもって、私の心を貫く棘に包まれた私の心をごらんなさい。少なくとも、あなたは私を慰めるように努めて下さい。そして、私は五カ月続いた初土曜日に、罪の許しの秘跡を受けて、聖体を拝領し、償いとして、ロザリオ五連唱え、十五分間ロザリオの玄義を黙想するすべての人を、臨終の時、私自身がそばに行って、助け、救う約束をします」とおっしゃいました。
 1926年2月15日、幼いイエズスはまた、彼女に現われました。イエズスは、彼女に聖母への信心を広めたかどうかを尋ねられました。彼女は、聴罪師の困難について話しました。そして、「院長は、信心を広める用意をしていますが、一人では何も実行できません」と言いました。イエズスは、「あなたの院長が一人で何も出来ないのは当り前です。しかし、私の恵みによって、すべてをすることが出来ます」とつけ加えられました。彼女は、ある人が土曜日に罪の許しの秘跡を受けるのがたやすくありませんので、八日間中に、告解すれば有効であるかどうかイエズスに尋ねて下さい、と頼まれました。イエズスはこれに答えて、「もっと長くてもよろしい。けれども、聖体を拝領する時、神の恩恵と愛を持ち、マリアの汚れなきみ心に償いを捧げる意向がなければなりません」と仰せになりました。それで彼女は、「わがイエズスよ、この意向を忘れる人はどうなるのでしょう」と尋ねると、イエズスは、「彼らは、最初の時にその意向を捧げればよいのです」と答えられました。

聖母の最後のご出現(第七回目のご出現)

注 1929年6月13日、シスター・ルチアが書き残した次の記述は、ファチマの最後のご出現とよばれている。その時、ルチアは、ポンテ・ヴェドラの修道院で主イエズスと聖母のご出現を受けた。それは、ファチマの最後の公的なメッセージの続きである。ルチアは、次のように記している。

1929年6月13日、私は院長様と聴罪師から、毎木曜日か金曜日の夜、11時から真夜中まで、聖時間をする許しを受けました。
 ある晩、一人で聖体拝領台のそばにひれ伏して、天使の祈りを唱えていました。疲れを感じたので、立ち上がり、十字架の形に手を広げて祈りを続けました。聖体ランプの薄い光の中で、突然、全聖堂が超自然的光に照らされて、祭壇から天井に至るまで、光り輝く十字架が現われました。十字架の上には強く輝く男性の顔と、胸の前に光る鳩と、十字架上に釘づけられた一人の人間の姿が見えました。その人の脇腹の少し前に、空中に立っているカリスと、欠きしずくなオスチアがあり、釘づけられたイエズスの顔と、その脇腹の傷から血の雫がしたたっていましずくした。雫はオスチアの上に流れ落ち、それから、カリスの中にしたたり落ちました。十字架の横木の右の下に聖母が居り、その手に汚れなきみ心を持っていました。それは、十字架と炎の茨に囲まれたファチマの聖母でした。十字架の横木の左の下から、すき通った大きな文字が清らかな水のように祭壇の上にまで流れ落ちて、恩寵と憐みという言葉が書かれました。私はそれが私に示された、いとも尊い三位一体の奥義だったと悟りました。私はこの神秘について言い表わすことの出来ない啓示をいただきました。
すると聖母は、私にこう言われました。「ロシアを私の汚れなき心に捧げる時が来たので、パパ様が、全世界の司教団と一致して、この奉献をしてほしいのです。これによって、私はロシアを救う約束をします。私に反する罪のために、神の正義によって罰せられる多くの霊魂がおります。それで、私は償いを願いに来ました。この意向のために、自分を犠牲にして下さい。そして祈って下さい」と。私がこれについて、聴罪司祭に報告しましたら、彼は聖母が望む事を書き記すように命じました。後に、内的な交わりによって、主は私にこう仰せられました。「彼らは、私の要求に注意したくないのです。フランスの王のように、あとで後悔するでしょう。けれども、その時はすでにおそいでしょう。なぜなら、ロシアは全世界に自分の謬説を広めてしまうでしょうから。そして、ロシアは戦争を起こし、教会を迫害して、教皇はたくさん苦しむでしょう。」

以上ルチア修女の手記より抜粋

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