フランコ・ソットコルノラ神父「推薦のことば」

ピエール・ジュネル(Pierre Jounel)著 『ミサ  きのう  きょう』
(1988年、ドン・ボスコ社)より

推薦のことば

フランコ・ソットコルノラ

 イエズス・キリストは弟子たちとともに最後の晩餐を採った時の動作に、ご自分の教えのすべてとご自身の神秘を凝縮し、表明されました。このため、以来、その時のキリストの仕草を再現するミサ(感謝の祭儀)は、弟子たちの共同体のあるところ、つまり教会のあるところ、いつもその生き生きとした中心であり続けたのです。

 しかし、イエズスのこの最高の動作は、キリスト者個人の生活と共同体の生活の中心となったばかりではありません。ミサは、イエズスが何を教え、何をし、だれであるのかを知ろうとするキリスト者以外の人びとに向けてキリストの神秘を宣べ伝える絶好の機会ともなり得るものです。

 このため、P・ジュネル師の好著『ミサ きのう きょうミサのこころに触れて』(一九八六年)の邦訳がいよいよ出版の運びに至ったことを知り、深いよろこびを禁じ得ません。本書は二百を越える師の学術的な著作に最近加えられたものです。ジュネル師はこんにち、教会の典礼に最も精通した、最も信頼できる典礼学の専門家の一人で、パリ・力トリック学院(Institute Catholique de Paris)の典礼学講座を長年担当するかたわら、同学院の創立当初から数年前まで副学長の要職についておられた方です。

 私事にわたりますが、筆者は二十年前に同学院で師に初めてお目にかかった後、学位論文の指導を仰ぎ、また、第二バチカン公会議の典礼刷新の中枢にあって活躍中の師のもとで、重要な一時期に協力させていただく機会を与えられました。当時は、よもや自分が将釆日本の宣教師として派遣され、何年かの活動の後、同師の依頼を受け、その著書の一つを日本の読者に紹介することになろうなどとは夢にも想像しませんでした。師への感謝のためばかりでなく、本書の真価を深く確信する者としてよろこんでお引き受けした次第です。

 さて、本書はミサを学ぶための教材として書かれたもので、第一に、日本のカトリック者に大いに益すると思います。読者は本書を通して、最後の晩餐、教会の聖餐式、それにバチカン公会議で刷新された現在のミサ、これら三つの間に存する連続性をあらためて学び取り、その源泉から、自分と共同体の霊性のかてを見いだすことができるでしょう。しかし、本書がキリスト者でない方々も含めて、より広い日本の読者層から歓迎されることを心から期待してやみません。

 本書は二部から成り立っています。第一部では世紀の流れのなかで、最後の晩餐の時のキリストの行動がどう発展してきたかを述べています。読者は、こんにち執り行われているミサが、キリストのご死去と復活の直後に弟子たちが行った聖餐式と同じことに気づかれるでしょう。現在のミサはローマの地下墳墓[カタコンベ]における殉教者たちや、北アフリカのアビテーヌの殉教者たちのミサ(三~四世紀)と変わらないばかりか、安土・桃山時代のキリシタンのミサ(十六~十七世紀)、あるいは百年前、明治時代に迫害に遭った多くの信者があずかったミサと実質的に同じ事実を知ることができます。こんにちミサに参加する人は、あらゆる時代の信仰の先達と結ばれるのです。

 第二部では、現在、世界中いたるところでささげられているローマ様式ミサの基本的な仕組みを説明します。今や、日本人は世界中を旅行することで知られています。ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジア、オーストラリア各地で、日曜日になると、ミサにあずかるためにカトリック信者が三々五々連れ立って教会に集まる光景に接することが多いと思います。日本国内だけでも、結婚式や葬儀をはじめ、とくに信者の親戚や友人の関係で、カトリック信者でなくてもミサに出席する機会が結構あります。その好例として、全国に散在する力トリック系ミッション・スクールにおける宗教行事の一環としてのミサを挙げることができるでしょう。

 そうしたなかで、日本の一般読者層にも適した短くてやさしい、それでいて信頼がおけ、過不足のないミサの紹介書、解説書の必要が近年とみに感じられていました。ジュネル師の著書は、まさにこの必要に充分にこたえ得る、うってつけの解説書といえます。師の該博な典礼の知識には定評があり、そのうえ、師はまれにみる平明で温かい、門外漢でもわかる達意の文章を書くことで知られています。

 十年ほど前に邦訳されたジュネル師の『聖人略伝』(1)(一九七八年)同様、この新著も、日本のキリスト者はもとより教会に関心を寄せ、教会を知ろうと望んでいる一般の日本の方々に、大いに役立つでありましょう。ミサがわかった人はキリストの神秘ばかりでなく、キリストの教会の真の内側がわかった人でもあるといえます。

 本書の豊富な歴史的裏づけの資料は、著者の基本的な神学的見方と相まって、日本の教会再一致運動(エキュメニズム)にも貴重な一石を投じることができましょう。

 今、日本の力トリック教会は日本文化への福音の受肉(インカルチュレーション)を中心的課題とし、開かれた教会づくりを目ざして努力しています。「過去のミサ」の歴史的発展と「現在のミサ」の基本的骨組みの展望とを、要領よく、しかもわかりやすく示してくれる本書は、日本人の生活感情へのミサの適応と受肉への努力 (2) を推進することになると思います。第二バチカン公会議の提唱したこの適応と受肉 (3) は、三十年近くも前に日本力トリック司教典礼委員会が編纂した「和室のミサ」(4) で、見事に着手されました。この歩みは勇気をもって継続されなければなりません。そのためには、最後の晩餐の時の「キリストの仕草」のうち、真に本質的なことがらをはっきりと突きとめることから出発し、(このことはローマ・ミサ典礼様式に特有な骨組みについても同様です)、また同時に、日本文化のまことの精神とこころを適確にとらえることから出発しなければなりません。

 本書は、典礼を専攻し、長年、日本力トリック司教典礼委員会秘書局員として日本語『ミサ典礼書』(一九七八年十二月二十五日)の発行にもたずさわった中垣純神父のイニシャチブと監修のもとに、カテケーシスの専門家で、司教協議会の要理編纂委員会のメンバーとして『カトリック入門』(一九八五年十五版)の起草にもあたった菊地多嘉子シスターの、こころのこもった訳業によって出版されるもので、右にのべた二つの前提のうちの最初の課題に貴重な貢献を寄せることになると思います。二人の組み合わせは、わが国における典礼とカテケーシスの協力のあかしでもあります。

 なお、巻末に収録されている付録「日本におけるミサ典礼の刷新」は、日本の力トリック典礼をこんにちあらしめた第一人者、前日本司教典礼委員長の長江恵司教様と同委員会の佐久間彪[たけし]、国井健宏両師およびキリシタン研究家の溝部脩師のもので、明日に向けて日本のミサを考え、実践するうえできわめて示唆にとんだものであることを申し添えておきます。

 日本のキリスト者をはじめとし、イエズス・キリストの「最後の仕草」に心で結ばれている日本のすべての方々は、本書によっても、キリストとその聖体を通して絶え間なく全世界から湧き上がる、父なる神への「偉大な感謝の祈り」に、それぞれの声をよりよく合わせることができるでしょう。また、救いの祭典を歓喜して執り行うため、この食卓に連なるすべての人と自分が兄弟姉妹であることも、よりよく実感するでありましょう。

 一九八七年八月十五日 玉名市にて

日本司教典礼委員会秘書局員、聖サベリオ宣教会司祭

(原文イタリア語 中垣 純 訳)

1 

札幌カルメル会訳 中垣 純監修、ドン・ボスコ社一九八九年改訂増補。

2 

日本力トリック司教団「開かれた教会づくり」第一回全国会議(一九八七年十一月二十日~二十三日)に向けた声明と課題。(『福音宣教』一九八七年八月九月号参照)。

3 

『典礼憲章』37~40。

4 

本書付録の三参照

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