スクポリ/原著
『心 戦』
Spiritual Combat

 
転訳者による序〔省略〕
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章
第22章
第23章
第24章
第25章
第26章
第27章
第28章
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第57章
第58章
第59章
第60章
第61章
第62章
第63章
第64章
第65章
第66章
附 録
第1
第2
第3
第4
第5
第6
第7
第8
第9
第10
第11
第12
第13
第14
第15
第16
第17
第18
第19
第20
第21
第22
第23
第24
第25
第26
第27
第28
第29
第30
第31
第32
第33
第34
第35
第36
第37
第38
管理人より
この本は海外では今でも現役の本です。
Web上でも英語とフランス語でその全文(日本版にある「付録」を除く)が公開されています。
(英)PDF   
そして、ここにアップする日本語訳は、国会図書館デジタルコレクションで公開されている明治40年に三才社から刊行された『心戦』を文字に起こしたものです。PDF: OneDrive or 4shared
メモ: スクポリ師のお師匠さんも聖なる神父様だったようです。参照
表記についてのお断り
漢字と仮名遣いを少し現代的に改めました。(私は言葉の素人ではあるけれども。)
転写における規則のなさ
しかし、その「改め方」において、これが素人仕事であることを鑑みてもなお「若干『規則』というものを欠いたものである」と言わなければなりません。それは例えば・・・ある時に「而も」と書き、別の時には「しかも」と書く、ある時に「然れども」と書き、別の時には「されども」と書く、ある時に「我等」と書き、別の時には「我ら」と書くという、まあ、その程度のことではありますが。
しかし、これ以上これに時間を取られたくないために、申し訳ありませんが、おそらく今後も、それらを整形・修正しません。
ルビ(ふりがな)の問題
昔の本は、本当にルビが多いです。現代の私達の感覚からすれば、「これではほとんど『当て字』ではないか」と言いたくなるほどの自由さを持ったものをも含めて、ルビが頻出します。
一例)
傾向〔かたむき〕
失墜〔おちど〕
迷想〔まよい〕
機会〔たより〕
好奇〔ものずき〕
価値〔ねうち〕
憂慮〔しんぱい〕
擾乱〔みだれ〕
矯正す〔ためなおす〕
祐助〔たすけ〕
誤謬〔あやまり〕
理由〔わけ〕
救霊〔たすかり〕
釘ける〔つける〕
尊前〔みまえ〕
聖手〔おんて〕
聖言〔みことば〕
聖意〔みこころ〕
止まる〔とどまる〕
脱れる〔のがれる〕
重な〔おもな〕
中〔うち〕
等〔など〕
外〔ほか〕
これらは正確には「当て字」とは言えないのかも知れないし、また中には現代でも読み得るものがあるのかも知れないし、またカトリック信者には比較的お馴染みのものもありますが、しかしとにかく、原本に忠実であるためにこれらの読みを全てルビとして表示するのは、現在のブラウザ環境では難しいことです。ルビをルビとしてルビらしく表示するのはIEの5.0以降だけらしいし、また漢字の後ろに括弧表示しても、それが一文中に二つも三つもあったのでは、読みづらくてたまったものではありません。
それで、私の中で「ルビが必要な時」と「必要でない時」を分けることにしました。
傾向〔かたむき〕、迷想〔まよい〕、価値〔ねうち〕、憂慮〔しんぱい〕、理由〔わけ〕・・・このようなものは、漢字をそのまま音読みしても、十分に、また時には十分以上に(漢字は優れた言語です)意味が通じますから、少なくとも毎回はルビを振らないことにしました。
しかし、この本の中で初めてその読みが出てきた時や、どうしても必要を感じた時には、漢字の後ろにルビを括弧表示──[ ]──しました。
読点
しばしば読点の位置をづらしたり、あるいは「あまりに多い」と感じた時に削除したりしました。ご容赦を。
強調と挿入
本文中、色による強調と下線による強調、及び〔 〕は管理人。
2009/12/25
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