13. 自由と平等の矛盾について(ゲーテの話)
次に自由と平等との関係について一言致したいと思いますが、自由と云う事は垂直のものでありますし、平等と云う事は水平なものであります。自由を貫かんとすれば、平等を一時止めなければならない。平等を貫かんとすれば、自由を抑圧せねばいかんのであります。さればフランス革命の54年前までは、自由主義の秘密結社と平等主義の秘密結社が、始終叩き合いをし、喧嘩ばかりして居った。それをフランス革命の35年前に、ユダヤ人マルチネ・バスカリースと云う秘密結社員が友愛会と云う秘密結社を拵えて、その友愛会で、自由主義と平等主義が喧嘩して居ったやつを、つっかい棒をかって、三つの思想にして、そのまま今日まで来ているのです。それらのいきさつも知らずして、単に自由、平等々々と鸚鵡返しに唱えている所の、謂ゆる思想家や、三文文士や、青二才の哲学者などは、余程考え直さなければならないのであります。
有名なファウストを書きましたドイツのゲーテは、新進の社会改造論者に対して「自由と平等とを同時に与えようと言う人間があるならば、これは余程の抜け作か、然らずんば余程のインチキな代物である」という事を申しておりますが、未だ今日になっても、鈴木文治君なぞが「自由平等の新社会を建設せんとす」なんて言っていますが、ゲーテは草葉の陰で「なんてわからない奴がいるんだろう、あれだけ言ってもまだ判らないのか」と泣いていると私は思うのであります(笑)。
イギリスの総理大臣マクドナルドは「吾々は自由を主とするんだ、而して平等はその実現の為の手段だ」とお茶を濁しております。これについてはロシアの実情を御覧になるとよくわかる。自由、平等、友愛と言っていながら、何処に自由があるか。日本の赤化した者はよく無産新聞などで「言論の自由、集会の自由、結社の自由を獲得せよ」とか言って吠えておりますが、また一方に於いては「我等の祖国ソヴィエート、ロシアを護れ」などと言っておりますが、一体彼等が護らんとするソヴィエート、ロシアは、如何なる自由があろうか。彼等には自由はない。言論の自由はない。ロシアにはプラウダを始め、約140程の新聞がありますが、政府の機関新聞に非らざれば半官報にすぎないと云う有り様であります。それでありますが故に、政府に対して表面に攻撃をし、若しくは共産主義の批判をすると云うものは全然ない。彼等はファッショに反対などと言っておりますけれども、ファッショ以上の自由の抑圧であります。
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