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2.愛と善徳

第5章

神のために苦しみたいという望みが神に愛されることについて。

 霊魂の救いのために、死ぬまで、あらゆる苦しみを堪え忍びたいという望みは、わたしにとって、きわめて心地よいものである。苦しめば苦しむほど、わたしを愛していることを証すことができるし、わたしを愛することによって、わたしの真理をもってよく認識することができる。そして、これを認識すれば認識するほど、わたしが侮辱されるのを見て、悲しみと堪えがたい心痛とを感じる。
 あなたはわたしに苦しみを求め、他の人の過失の罰をあなたに加えるよう願った。その時、あなたは気がついていなかったが、実は、愛、光明、真理の認識を願ったのである。すでに話したように、愛が大きくなればなるほど、悲しみはさらに深く、苦しみはさらに激しくなるものである。悲しみは愛に比例して増大するからである。だから、あなたに言いたい。願うがよい。そうすれば与えられるであろう (13) 。なぜなら、わたしは、真実に願う者に拒むようなことは決してしないからである。忘れてならないのは、神的な仁愛による愛は、霊魂のなかに、完全な忍耐と強く一致しているので、一方は他方が消え去らないかぎり、消え去ることはない、ということである。それゆえ、わたしを愛したいと望む霊魂は、それと同時に、わたしが送る苦しみを、どんな方法によるものであっても、どんなものであっても、わたしのために堪え忍びたいと望まなければならない。忍耐は苦しみのなかで証明されるし、すでに話したように、仁愛から分離することができない。
 だから、雄々しく堪えるがよい。あなたがたにとって、わたしの「真理」の浄配、わたしの忠実な子供であること、わたしの栄光と霊魂のすくいとを愛していることを示す手段は、他にないのである。

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