< 戻る

目 次

進む >

3.あわれみの神

第12章

神は大きな苦しみを使ってそのしもべたちを慰め、教会を改革することについて。

「真理」である「わたし」は、あなたも知るとおり、あなたに偉大な完徳を獲得させ、保持させる真理と教えとを述べた。わたしはまた同じように、過失と罪とを自分と隣人とのために償うにはどうすればよいかについて説明した。そのとき話したように、被造物が死すべき体のなかに生きているあいだに堪え忍ぶ苦しみは、もしも仁愛の感情、まことの痛悔、および罪に対する嫌悪と結びついていないならば、単独では、過失と罰とを十分に償うことができない。しかし、仁愛と結びつくならば、償うことができる。それは、あなたがたがなすことのできるなんらかの苦業の功徳によるのではなく、仁愛と犯した過失の痛悔との功徳による。この仁愛は、知性の光明と、「仁愛」そのものである「わたし」以外に対象をもたない純潔で惜しみない心とによって、獲得される。以上のことはみな、あなたがわたしに苦しみたいと願ったとき、説明したことである。
 わたしがこれをあなたに説明したのは、あなたとわたしの他のしもべたちとが、どの程度に、またどのような方法で、あなたがた自身を犠牲にささげなければならないかと知ってほしいからである。犠牲と言うのは、ちょうど主人に差し上げるコップと水のように、外的な犠牲と内的な犠牲とが一つになった犠牲のことである。コップがなければ水を差し上げることはできないし、主人は水のはいっていないコップを差し出されて喜ぶことはないであろう。あなたがたに言うが、あなたがたも、このように、あなたがたの多くの外的苦しみのコップを、どんな方法で送られようが、あなたがたに都合のよい時も、場所も、苦しみも選ばないで、わたしが送る通りに受諾して、わたしに差し上げなければならない。このコップは満たされていなければならない。もしもあなたがたが、すべての試練を愛の感情をもって受けるならば、そしてまた、罪に対する憎悪をともなったまことの忍耐をもって、あなたがたの隣人のすべての欠点を堪え忍ぶならば、このコップは満たされるであろう。
 これらの苦しみは、このようにして、霊魂に生命を与えるわたしの恩寵の水で満たされたコップになる。そうなれば、わたしは、わたしの親愛な妻、すなわちわたしによく仕えるすべての霊魂のこの贈り物、すなわち、その苦難、その願望、その涙、その溜め息、その謙遜、その絶え間ない祈りを、喜んで受ける。これらすべては、わたしにはなはだしい侮辱を加える敵と世の悪人とに対する怒りを、かれらに対して抱いている愛によって、やわらげるように取りなす手段である。
 それゆえ、雄々しく、死ぬまで、苦しみを堪えてほしい。それは、わたしにとって、あなたがたがわたしを愛しているしるしになるであろう。被造物や艱難を恐れて、“すき” に背を向け、うしろを振り返ってはならない。あなたがたは、艱難のなかで喜ばなければならない。世はあなたがたに数多くの不義をおこなって喜んでいる。あなたがたは、世がわたしに加える不義を見て、悲しまなければならない。なぜなら、この不義はわたしを侮辱することによってあなたがたを侮辱するし、あなたがたを侮辱することによって、あなたがたと一つになっているわたしを侮辱するからである。
 あなたも熟知しているように、わたしはあなたがたにわたしの似姿を与えた。しかし、あなたがたは罪によって恩寵を失った。この恩寵の生命をあなたがたに取り戻させるために、わたしは、わたしの本性を、あなたがたの人性の被布でおおって、あなたがたに一致させた。このようにして、わたしの似姿であるあなたがたから、あなたがたの似姿を借りて、人間の形を取った。霊魂が大罪によってわたしから離れないかぎり、わたしはあなたがたと一つである。なぜなら、わたしを愛する者はわたしのなかにとどまり、わたしはかれのなかにとどまるからである (1) 。しかし、このような人は、世から迫害されるであろう。なぜなら、世はわたしと同一化していないからである。そのため、世はわたしの「ひとり子」を、十字架の屈辱的な死に追い込んだのである。あなたがたに対しても同じである。世はあなたがたを迫害する。そして、死ぬまで迫害するであろう。なぜなら、世はわたしを愛さないからである。世がわたしを愛するならば、あなたがたも愛するであろう (2) 。しかし、喜ぶがよい。なぜなら、あなたがたの喜びは、天において、まったきものとなるからである (3)
 そのうえ、あなたに言いたい。聖なる教会の神秘体のなかに艱難が多くなれば多くなるほど、喜びと慰めとも多くなるであろう。喜びとは、栄光の花である聖人と善牧者との改革である。わたしの名に栄光と賛美とを帰し、真理のなかにきずいた善徳の芳香をわたしの方に立ちのぼらせるのは、かれらである。改革されるのは、芳り高い花であるべきわたしの司祭たちであり、牧者たちであろう。しかし、わたしの妻である「教会」の実は改革される必要はない。司祭たちの過失によって腐敗させられたり、衰微させられたりすることはないからである。だから、哀しみのなかにあっても、あなたの霊魂の父やわたしの他のしもべたちといっしょに喜ぶがよい。なぜなら、永遠の「真理」であるわたしが、あなたがたになぐさめを与えることを約束したからである。あなたがたが苦しんだのち、わたしは、聖なる教会の改革によって、あなたがたの辛い試練に、なぐさめをまじえるであろう。

< 戻る

目 次

進む >

ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system