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3.あわれみの神

第15章

キリストのご受難以後、過失は以前よりも重く罰せられることについて。──神はそのしもべたちの祈りと苦しみとを介して世と聖なる教会とにあわれみを注ぐことについて。

 いとしいむすめよ、あなたに知ってほしいのは、人間は、さきに話したように、わたしの「ひとり子」の血のなかで再生させられ、人類を回復させる恩寵を受けたのちも、以前に劣らず、わたしが示した寵愛を無視しているということである。かれらは、相変わらず、悪から悪へ、過失から過失へと渡り歩き、わたしがかれらに与えたたまもの、与えつづけているたまものを少しも考えないで、絶えずわたしを侮辱しつづけている。かれらは、このたまものを恩寵とみなさないばかりか、ときには、これを不正義以外のなにものでもないと考えて、わたしがかれらの成聖以外のものを望んでいるかのように思っている。そこで、わたしは言いたい。かれらはもっとかたくなになり、もっと大きな罰を受けるにふさわしい者となる。なぜなら、贖い以前には、アダムの罪の汚れは消せなかったのに、今は、わたしの「子」の血の贖いを受けているからである (10)
 より多く受けた者がより多く返し、より多く与えてくれた者に対しては、より多くの負い目をもつというのが、道理である。わたしは、人間をわたしの似姿に造って、これに存在を与えた。それゆえ、人間はわたしに対して多くの負い目をもっていた。だから、わたしに光栄を帰すべきであった。ところが、この光栄をわたしから盗んで自分自身に与えた。わたしが服従を命ずると、これに反抗して、わたしの敵となった。しかし「わたし」は、みずから卑下して、あなたがたの人性をとり、謙遜によって、かれの傲慢を砕いたし、あなたがたを悪魔の束縛から解放して、自由にした。しかも、わたしは、あなたがたに自由以上のものを与えた。よく見てほしい。神の本性と人間の本性との一致によって、人間は神になり、神は人間になったではないか。
 人間は、かれらを恩寵のなかで再生させた「血」の宝を与えられていて、わたしに対しなんの負い目もないと言えるであろうか。あなたは、贖い以後、人間がわたしに対して、贖い以前よりも大きな負い目をもっていることを、わかると思う。だから、人間は、肉となった「ことば」、わたしの「ひとり子」の跡にしたがって、わたしに栄光と賛美とをささげなければならない。ところが、人間は、このわたしに対する愛と隣人に対するいつくしみとの負い目を、さきに話したように、真実な善徳をもって返すことをしない。
 かれらはわたしに多くの愛を負っているのであるから、それを返さないならば、もっと大きな罪におちいる。それで、わたしは、神的正義によって、もっと重い罰を課し、永遠の亡びに処するのである。にせのキリスト教徒は、異教徒よりも、きびしい罰を受けなければならない。神的正義により、決して焼きつくすことのない火によって、もっと焼かれなければならない。すなわち、もっと拷問を受けなければならない。そして、この拷問のなかで、良心のうじ虫に喰われるのを感じなければならない (11) 。しかしながら、この火は焼きつくすことがない。なぜなら、亡びた者は、その受ける拷問がどんなものであっても、決してその存在を失うことがないからである。それで、あなたに言うが、かれらは死を願う。しかし、与えられない。なぜなら、その存在を失うことができないからである。かれらは、その罪によって恩寵の存在を失う。けれども、自然の存在は失うことがない。
 それゆえ、「血」による贖い以後、罪は、以前よりも、はるかに重く罰せられる。なぜなら、もっと多く受けたからである。ところが、かれらは、その悪を認めず、これを意識していないかのようである。かれらは、わたしの「子」の血によって、かれらを和解させた「わたし」の敵となっているのである。
 しかし、わたしの怒りをなだめるくすりがある。それは、わたしのしもべたちである。かれらが十分な熱誠をもち、その涙によってわたしに強要し、その望みのくさりによってわたしをしばることである。あなたがどのようなくさりによってわたしをしばったかは、あなたの知る通りである。しかし、このくさりをあなたに与えたのはわたし自身である。わたしは世にあわれみをかけたかったのである。たしかに、わたしの誉れと霊魂の救いとに対するこの飢えと望みとをわたしのしもべたちに起こせたのは、わたしである。それは、かれらの涙に負けて、わたしの神的正義の怒りをやわらげるためであった。
 あなたの涙と汗とを取るがよい。これをわたしの神的仁愛の泉から汲み取るがよい。そして、わたしの他のしもべたちといっしょに、わたしの浄配の顔を洗うがよい。このくすりは、たしかに、かの女の美を取り戻させるであろう。その美を取り戻させるのは、剣でも、戦争でも、暴力でもない。むしろ、平和であり、謙遜で絶え間ない祈りであり、わたしのしもべたちが熱烈な望みによって流す汗と涙である。
 多く苦しみたいというあなたの願いは、このようにして成就するであろう。あなたがたは、忍耐の光明をこの世の邪悪な人々の暗黒の上に注ぐであろう。だから、恐れてはならない。もしも世があなたがたを迫害するならば、わたしはあなたがたに味方するであろう。なにごとにつけても、わたしの「摂理」があなたがたに欠けることはないであろう (12)

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