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4.霊魂の橋

第24章

神はぶどうの木と一つになっている枝を手入れすることについて。──各人のぶどう畑は隣人のぶどう畑と密接に結びついていることについて。──一方をたがやすか荒らすかすれば、必ず他方をたがやすか荒らすかすることになることについて。

 わたしのしもべたちが、愛の甘美な「言葉」の教えに柔順に従うとき、わたしがどのようにかれらに対応するか、あなたは知っているであろうか。わたしはかれらに手入れして、野性的な実ではなく、ユダかで美味な実を結ばせる。耕作者は、ぶどうの木に残した良い枝に手入れして、良質のぶどう酒を多量につくり、実を結ばない枝は切って火に投げこむ。まことのぶどう耕作者であるわたしも同じである。わたしは、わたしにとどまっているしもべたちを、多くの苦難によって育て、良質の実をたくさん結ばせ、それによって、かれらのなかにある善徳を証明させる。実を結ばない枝は、すでに話したように、切り取って火に投げ入れる (6)
 耕作者は、その霊魂をよくたがやし、そこから自愛心をことごとく引き抜き、その愛情の土をわたしのなかで掘り返す。かれらは、このようにして、聖い洗礼によってさずかった恩寵をつちかい、成長させる。かれらは、自分たちの霊魂をたがやすと同時に、隣人の霊魂もたがやす。他方をおいて一方をたがやすことはできない。わたしが、すべての悪もすべての善も、隣人を介しておこなわれると話したことを、思い出してほしい。あなたがたは、至高かつ永遠の耕作者であるわたしが送った耕作者である。わたしは、あなたがたと一致することによって、あなたがたを「ぶどうの木」に接ぎ木したのである (7)
 理性的被造物は、めいめい、隣人のぶどう畑に直接につながっているぶどう畑をもっていることを、よく心得ていてほしい。両者はきわめて密接につながっていて、自分自身に善をなすか害を加えるかするときは、必ず隣人に善をなすか害を加えるかするのである。
 あなたがたはいっしょに、ただ一つの普遍的なぶどう畑を、すなわち、聖なる教会の神秘的体のぶどう畑と一つになっていてそこから生命を汲み取るキリスト者の社会を、形づくっている。このぶどう畑には、ひとつの「ぶどうの木」、わたしの「ひとり子」が植えられている。そして、あなたがたはこれに接ぎ木されなければならない。もしも、あなたがたがこれに接ぎ木されていないならば、ただちに、聖なる教会に反逆する者となる。体から切り離された肢体のようになり、すぐさま、腐敗しはじめる。
 たしかに、あなたがたは、まだ時があるあいだに、まず、まことの痛悔によって、この罪の腐敗からのがれ、わたしの聖職者たちに依り頼むことができる。かれらはわたしの耕作者であって、このぶどうの木から取れたぶどう酒、すなわち、「血」の鍵を保管している。この血は、きわめて完全であるから、聖職者のいかなる過失によっても、その実を失うことがない。
 技をぶどうの木に結ぶのは仁愛である。仁愛は、自分自身と「わたし」とのまことの認識のなかで獲得したまことの謙遜によって、これを結ぶのである。これによってわかるように、あなたがたはみな、わたしのぶどう畑に、わたしが送った耕作者である。わたしは、いま、あらためて、あなたがたをそこに招きたい。なぜなら、世はますます悪化しているからである。いばらが生いしげって、種子をおおいふさぎ、恩寵の実をなにひとつ結ばせないほどになっているからである (8)
 それゆえ、あなたがたは、まことの耕作者となり、聖なる教会の神秘的体のなかに、大きな熱誠をもって、霊魂を栽培してほしい。
 わたしがこう言うのは、あなたの切なる望みに答えて、世にあわれみを注ぎたいからである。

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