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4.霊魂の橋

第28章

この二つの道、すなわち橋の道と河の道とを歩む者は、どちらの場合も、苦労しなければならないことについて。──橋を渡る霊魂の感じる幸福について。

 以上が二つの道である。そのどちらを通るにも、苦労が必要である。ところで、ひとつの通がつくられていて、これを通る者に多くの喜びを与え、すべての苦痛を甘美に変え、すべての重荷を軽くするというのに、水の道を通りたいと思う人間の心の無知と盲目とは、なんと評したらよいであろうか。
 この道では、体の暗黒のなかにありながら、光明を見出し、死ぬべき者でありながら、不滅の生命を見出し、わたしのために献身的に働く者に休息を約束する永遠の「真理」の光明を愛の心情によって味わうことができる。なぜなら、わたしは、忘恩者ではなく、自分に奉仕する者を知っているし、正義であって、各人をその功罪によって処遇し、すべての善業には報いを与え、すべての過失には罰を加えるからである。
 この道を歩む者が味わう喜びは、いかなる舌もこれを語ることができず、いかなる耳もこれを開くことができず、いかなる目もこれを見ることができない (15) 。このような人は、すでにこの世から、永遠の生命のなかに準備されている善を味わい、所有することができるのである。
 これほど大きな善を軽蔑し、多くの苦しみに出合う下の道、なぐさめも善もまったくない下の道を通って、この世から、地獄の前味わいを得たいと望む者は、いかにもおろかである。なぜなら、かれらは、その罪によって、至高かつ永遠の「善」である「わたし」を失うからである。
 だから、あなたが嘆くのはもっともである。わたしは、あなたとわたしの他のしもべたちとが、わたしに加えられる侮辱に対して絶え間ない悲しみを抱き、これほど平気でわたしに背く人々の無知と不幸とをあわれんでほしいと思う。
 これで、あなたは、この橋がどのように出来ているか、この橋が、すでに話したように、まことにわたしの「ひとり子」であって、あなたに説明したように、どのように、偉大と卑賎とを一致させているかを見、そして聞いたのである。

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