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4.霊魂の橋

第29章

この橋は、キリストのご昇天の日に、天まで達したけれども、地を離れなかったことについて。

 わたしの「ひとり子」が、復活後四十日目にわたしのもとに帰ったとき、この橋は地から、すなわち人間の社会から上昇し、その永遠の「父」であるわたしの右に坐を占めるために、わたしの神的本性の力によって天にあげられた。これは、昇天の日に、天使が、わたしの「子」の「英知」の跡に従って天にのぼるために心は地を去っていた弟子たちに、告げたところである。天使はかれらに言った。「これ以上そこにとどまっていてはならない。なぜなら、かれはもはや『父』 の右に坐しているからである」(16)
 かれが天にのぼり、その「父」であるわたしのもとに帰ると、わたしは、「師」すなわち聖霊を送った。聖霊は、わたしの「力」、わたしの「子」の「英知」、そして聖霊自身の「寛仁」をもって降った。聖霊は、「父」であるわたしとわたしの「子」と一体である。聖霊は、わたしの「真理」が世に残した教えの道を固めた。わたしの「子」は、人間のあいだに現存しなくなったけれども、教えとこの教えの上にきずかれた諸善徳とを、かれらに残した。これこそ、この心地よく栄光にかがやく「橋」が、あなたがたのために造った道である。かれは、まず第一に、そして自分自身の所業によって、言葉よりは手本をもって、あなたがたに教えを授け、道を造った。かれは、語る前には実行した (17)
 聖霊の寛仁は、この教えを確認した。すなわち、弟子たちの霊魂を強めて、「真理」を信奉させ、十字架につけられたキリストの教えであるこの「道」を告げさせた。そして、かれらによって、不義と誤断との世 (18) を征服した。この不義と誤断とについては、のちに、もっとくわしく説明したい。
 これまで話したことは、わたしの言葉を聞く人々の精神をまどわす恐れのある暗黒を、ことごとく払うためである。かれらは言うかも知れない。「キリストのこの体をもって、ひとつの橋が、神の本性と人間の本性との一致によって、築かれたことはたしかである。しかし、この橋は、わたしたちを去って、天にのぼられた。この橋は、たしかに、ひとつの道であって、わたしたちに、その手本と所業とによって、真理を教えた。しかし、こののち、わたしたちにはなにが残るであろうか。どこに道を見つけたらよいであろうか」と。
 わたしはあなたに言いたい。いなむしろ、このような無知におちいっているすべての人に言いたい。道とは、すでに話した通り、かれの教えそのものである。使徒たちはこれを確認し、殉教者たちは血によってこれを証明し、博士たちはその光明によってこれをかがやかせ、福音著者たちは、愛をこめてこれを書きしるした。みながそろって同じ証しをおこない、聖なる教会の神秘的体のなかで真理を公表した。かれらは、燭台の上におかれた燈明となって、すでに話したように、完全な光明のなかで、生命にみちびく真理の道を示した。
 どのように示したであろうか。自分自身の体験によって証明したのである。それゆえ、すべての人は、望むならば、すなわち、みだらな利己的愛によって理性の光明を消そうとしないならば、真理を認識するために必要な光明を所有することができるのである。かれの教えがまことであることはたしかである。それはあなたがたにとって舟であって、霊魂を、航海を乗り越えて、救いの港にみちびくのである。
 とにかく、わたしは、まず第一に、わたしの「子」を人間のあいだに生活させるために送り、かれを見える橋として、あなたがたに与えた。ついで、この見える橋が天にのぼったときも、教えの橋と道とがあなたがたのなかに残った。そしてそれは、すでに話したように、わたしの「力」、わたしの「子」の「英知」、および聖霊の「寛仁」と永久に一つになっている。この「力」はこの道を歩む者に活動する力を与え、「英知」は真理を認識させるために光明を与え、聖霊は、霊魂のなかに善徳に対する愛しか残さないように、官能的な愛をことごとく焼き滅ぼす愛を与える。
 いずれにせよ、その見える現存によっても、その教えによっても、かれは「道」であり、「真理」であり、「生命」である (19) 。そして、この道は天の高きにみちびく橋である。かれがつぎのように言ったのは、このことを理解させるためであった。「わたしは父のもとから来て、父のもとに帰る。しかし、あなたがたのところに戻るであろう」(20) 。これは、わたしの「父」はわたしをあなたがたのもとに送り、あなたがたが河を脱出して生命に達することができるように、わたしをあなたがたの橋に仕立てた、という意味である。ついで、付言する。「わたしはあなたがたのもとに戻る。あなたがたをみなし子として残しはしない。あなたがたに『弁護者』を送るであろう」(21)
 これは、わたしの「真理」を送るであろうと言うのと同じである。「わたしはわたしの『父』のもとへ去る。しかし戻って来るであろう」。これはどういうことであろうか。「弁護者」と呼ばれる聖霊が降り、わたしがあなたがたに与えた教えによって、わたしが「真理」の「道」であることをあきらかに示し、確認する、ということである。
 かれは、戻って来るであろうと言った。そして、実際に戻って来た。なぜなら、聖霊は単独で降るのではなく、「父」であるわたしの「力」と、「子」の「英知」と、聖霊自身の「寛仁」とともに降るからである。だから、あなたもよくわかるように、かれは、見える現存によってではないけれども、すでに話したように、その徳力をもって教えの道を固めることによって、戻ったのである。この道は破損することがないし、これを歩もうと思う者に閉ざされることがないし、堅固で、破壊されることがない。なぜなら、「不動者」であるわたしから発するからである。だから、あなたがたは、この道を、勇気をもって、なんのためらいもなく、あなたがたが聖い洗礼のなかで主としてまとった信仰の光明に照らされて、歩まなければならない。
 以上で、わたしはあなたに、この見える橋とこの橋と一体をなしている教えとを、十分に明白に示した。わたしはまた、これを知らない人々にこの道を示したのは、真理そのものであることを説明した。わたしは、かれらに、これを教える人々はだれであるかを知らせた。それは、すでに話したように、聖なる教会のなかに燈明として立てられた使徒たち、福音著者たち、殉教者たち、公奉者たち、そして聖博士たちである。わたしは、かれが、わたしのもとに帰ったけれども、またあなたがたのもとに、聖霊が見える現存によってではなく、その徳力によって、弟子たちの上に降ったとき、戻ったことを説明した。かれは見える現存によって戻ることはないであろう。ただし、審判の日には、わたしの威光と神的権力とをもって降り、世を審判して、善人には善を返してその霊肉の労苦に報い、現世で悪のなかに生きた人々には永遠の苦罰という悪を返すであろう。
 これから、「真理」である「わたし」が、あなたに約束したことを話したい。すなわち、この道を不完全に歩む者とはだれか、完全に歩む者とはだれか、偉大な完全性に達する者とはだれかを示したい。また、その悪業のために河に溺れ、堪えがたい苦罰におちいる悪人がどのように歩むかについても話したい。
 いとしい子供たちよ、わたしはあなたがたに言いたい。橋の上を歩くがよい。下を歩いてはならない。それは真理の道ではない。それは、わたしがこれから話す邪悪な罪人が歩むいつわりの道である。わたしは、この罪人のためにわたしに祈るようあなたがたに願いたい。かれらのためにあなたがたの涙と汗とを要求したい。かれらがわたしからあわれみを受けるためである。

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