5.亡びの道
第34章
権力とその実である不義とについて。
このほかに、権力者であるために、これを笠に着る者がある。しかし、かれらは、その権力を行使するにあたって、不義の旗手、すなわちかれらの神であるわたしに対する不義、隣人に対する不義、かれら自身に対する不義の旗手でしかない。
自分自身に対して不義である。なぜなら、自分自身を有徳な者にしなければならないという義務を果たさないからである。わたしに対して不義である。わたしの名に栄光と賛美とをささげなければならないのに、この義務を拒むからである。かれらは、泥棒のように、わたしに属するものを盗み、これをかれらの召し使いである自分の官能にささげる。このようにして、かれらは、わたしに対しても、自分自身に対しても、不義を犯す。かれらは、盲目無知で、わたしがかれらのなかにいることを認めない。
それほど、自分自身に対する愛に溺れているのである。ユダヤ人と律法の役務者たちは、このように振舞った。かれらは、ねたみと自愛心とに目がくらみ、「真理」であるわたしの「ひとり子」を認めなかった。その結果、わたしの「真理」が、「神の国はあなたがたのうちにある」(3) と言って確認したように、かれらのなかにあった永遠の「生命」を、受けいれる義務をおこたった。かれらはこれを認めなかった。なぜであろうか。わたしが説明したように、理性の光明を失っていたからである。そのため「わたし」に対し、そしてまた、「わたし」と同一である「かれ」に対し、誉れと栄光とをささげる義務を果たすことができなかった。かれらは、盲目のあまり、十字架の死にいたるまで、「かれ」を迫害し、汚辱をあびせる不義を犯したのである。
さきの権力者たちも、「わたし」に対し、かれら自身に対して、同じ不義を犯す。そのうえ、その臣下とだれによらずかれらの手中におちいる者との肉を売って、隣人に対し、同じ不義を犯すのである。