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5.亡びの道

第40章

地獄に落ちた者はいかなる善も望めないことについて。

 かれらを捕えている憎しみはきわめて大きいので、かれらはいかなる善も望むことができない。絶えずわたしを冒涜する。かれらがなぜ善を望むことができないか、あなたは知っているであろうか。それは人間の生命が終わると、自由意志もしばられるからである。かれらは、功徳を積むために与えられた時間を失った。だから、もはや功徳を積むことができない。
 憎しみのなかに大罪をもって死んだ者は、神的正義によって、いつまでも霊魂を憎しみによってしばられ、いつまでも、自分のなかに抱いている悪に執着し、自分自身をむしばむ。そのため、その苦しみ、とくに、自分が原因となって地獄に落ちた人々から来る苦しみは、いつまでも増大する。ラザロに向かい、世に残っている兄弟たちのもとに行って、自分の苦しみがどんなであるかを知らせるように願った地獄におちた富者のことを、あなたはおぼえているであろう。かれは、仁愛によって、あるいは兄弟たちに対する同情によって、そうしたのではない。なぜなら、仁愛を失っているので、善を望むことができないし、わたしの誉れもかれらの救いも望むことができないからである。すでに話したように、かれらは隣人のためにいかなる善も望むことができないし、わたしを冒涜する。かれらの生命は、わたしと善徳とに対する憎しみのなかに終わったのである。
 それでは、どういうわけで、あのようなことをしたのであろうか。それは、自分が、兄弟たちのなかで、もっとも偉く、自分が生活した悪のなかでかれらを育てたからである。かれは兄弟たちの断罪の原因となった。そのため、兄弟たちが自分といっしょに責苦を受けに来るとき、その罰がもっと重くなるのを予見したのである。かれらは、そこで、憎しみのなかで、永遠に自分自身をむしばむことになる。憎しみのなかで生命を終わったからである。

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