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6.生命の道

第48章

世俗的な人は満たされないことについて。──邪悪な意志は現世で罰を受けることについて。

 わたしは、さきに、人間のすべての苦しみは、ただ意志によって生まれる、と言った。わたしのしもべたちは、かれらの意志を脱ぎ去ってわたしの意志をまとっているので、苦しみを感じても、これに苛責されることがない。かれらは、わたしが恩寵によってかれらの霊魂のなかに現存していることを感じているので、満たされている。しかし、わたしを所有していない者は、たとえ全世界を所有していても、満たされることがない。なぜなら、被造物は、人間のために造られたのであって、人間が被造物のために造られたのではないから、人間以下のものだからである。それゆえ、人間はこれによって満たされることができない。わたしだけが、これを満たすことができる。それゆえ、すっかり盲目になっているみじめな人々は、いつも飢えている。しかし、満たされることがない。望んでいるものを所有することができない。なぜなら、ただひとりこれを与えることのできる「わたし」に願わないからである。
 あなたは、かれらがどういうわけで苦しんでいるかを知りたいと思うであろう。被造物が同一化していたものを失うときは、愛は苦しみを生むことを、あなたは知っているにちがいない。この人々は、愛によって、種々の方法で、地と同一化している。地になっている。
 ある者は富と同一化し、ある者は名誉と同一化し、ある者はその子供と同一化している。ぁる者は被造物に仕えるためにわたしを失い、ある者は多くの汚れたおこないによってその体を野卑な動物に下落させている。とにかく、さまざまの状態で、地を欲しがり、地を食べている。かれらは、これらのものが恒久的であってほしいと願っている。しかし、恒久的なものはない。風のように吹き過ぎる。あるいは、かれらが死によって愛するものから奪われ、あるいは、わたしの摂理によって、かれらからその愛するものが奪われる。この喪失はかれらにとって堪えがたい苦しみである。所有に対するみだらな愛が大きかっただけに、これを失った悲しみも大きいのである。自分のものではなく、借りたものとして所有していたのであればこれを失っても苦しむことはないであろう。かれらの苦しみは、望むものを所有していないところから生まれる。すでに話したように、世はかれらを満たすことができない。満たされないから苦しむのである。
 この人々の良心の苛責はどんなに大きな苦しみであろうか。この人々の復讐への渇きはどれほど大きな拷問であろうか。絶え間なく内心を虫ばみ、敵をたおすまえに自分の霊魂を殺している。かれらは憎しみのつるぎで自分自身を殺し、最初に死ぬのである。
 貪欲な人々の苦しみはどんなに堪えがたいものであろうか。かれらは貪欲のあまり自分の需要を極度に切りつめるのである。ねたみ深い人々の悩みはどんなに大きいものであろうか。その心は絶えず虫ばまれているし、隣人の幸福を喜ぶことができない。かれらがこのように官能的な愛によって愛するものはみな、かれらに、苦しみといわれのない不安とを与える。かれらは悪魔の十字架を背負っているし、この世から地獄の前味わいをおこなっている。さまぎまの病気になやまされて生きている。これをなおさないならば、最後には永遠の死を迎えるのである。
 ところで、この人々は、多くの艱難のいばらで引き裂かれるだけで満足せず、その上、そのよこしまな我意によって、自分自身を苛責している。かれらは、体にも心にも十字架を背負っている。霊魂と肉体とはいっしょに、悩みと苦しみとを凌ぐが、それによって少しも功徳を積むことがない。なぜなら、その苦しみを忍耐をもってではなく、怒りをもって凌ぐからである。かれらは、みだらな愛によって黄金と世の快楽とを獲得し、所有した。そのため、恩寵の生命と仁愛の情念とを失い、死の木となった。したがって、かれらのすべての業は死んでいる。かれらは、その悩みを抱いて河の道を通り、そこに溺れる。そして、死の水に達し、憎しみを抱いて悪魔の門をくぐり、永遠の断罪を受ける。
 このように考えるならば、かれらの迷いがどんなに大きいか、どんなに大きい苦しみを経て、悪魔のなぶりものとなり、地獄に落ちて行くかが、わかるであろう。あなたは、かれらの盲目の原因が、信仰の光明というひとみを覆った自愛心の暗黒であることを理解したにちがいない。そのうえ、この世の艱難は、どの方面から来るものも、世から迫害されているわたしのしもべたちを肉体的に襲うけれども、その精神を乱すことがないことが分かったにちがいない。それというのも、かれらはわたしの意志に一致しているので、わたしのために苦しむのを喜ぶからである。
 しかしながら、世のしもべたちは、内面的にも外面的にも打ちのめされる。とくに内面的に、その所有しているものを失うおそれによって。そしてまた、獲得することのできないものを望ませる愛によって。この主な二つの苦しみから、他のすべての苦しみが生まれる。それは言葉で言い表わすことができないほどである。要するに、あなたも分かるように、この世においても、義人たちの分け前は罪人の分け前よりもすぐれている。
 これで、あなたは両者が歩く道とその落ちつく先とを十分に見極めることができたにちがいない。

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