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7.不完全な愛

第56章

橋の三つの階段はどのように霊魂の三つの状態を意味するかについて。──神はこの霊魂に、真理を観想するために自分自身を乗り越えるよう求めることについて。

 わたしはさきに、普通の仁愛に生きている人々、すなわち掟を実行し、勧めを精神的に守っている人々は、どのように歩かなければならないかについて述べた。これから、階段をのぼりはじめ、掟だけではなく勧めも現実に実行し、のちに示す三つの状態に従って、完全な道をたどりはじめようとする人々について話したい。そして、霊魂の三つの段階と状態、および、さきに、霊魂の三つの能力のかたどりとして全般的に示した三つの階段について、個別的に説明したい。この状態のうち、第一は不完全であり、第二はもっと完全であり、第三はきわめて完全である。第一の状態にある人はわたしにとってやとわれ人であり、第二の状態にある人はわたしにとって忠実なしもべであり、第三の状態にある人はわたしにとって子供であって、自分のことは考えないでわたしを愛する。
 この三つの状態は、多くの被造物のなかに別々に見出すことができる。しかし、ときとして、同一の被造物のなかに三ついっしょに見出すことができる。すなわち、その時間をよく利用し、完全な心がけをもって道を走り、やとわれ人の状態から自由な人の状態に移り、自由な人の状態から子供の状態に移る人の場合がこれである。
 あなた自身を乗り越え、あなたの知性の目を開いて、この旅人たちの遍歴を眺めるがよい。ある者は掟の道を不完全に歩き、ある者は完全に歩く。そして、ある者は勧めの道を守り実行して、きわめて完全に歩く。あなたは、不完全がどこから生まれ、完全がどこから生まれるかがわかるであろう。そして、霊魂が、自愛心の根を引き抜いていないためにおちいる錯誤がどれほど大きいかを理解することができるであろう。人間は、いかなる状態にあっても、この自愛心を自分のなかで殺さなければならない。

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