< 戻る

目 次

進む >

7.不完全な愛

第70章

霊的慰めと示現とに愛着している人々の錯誤について。

 このような愛は、ときどき、霊魂にもっと大きな害を与える。わたしがしばしばわたしのしもべたちに与える慰めと示現とを求めることに、その情熱をかたむける場合がこれである。霊魂は、それが取りあげられたのを見ると、精神の悲嘆と倦怠とにおちいる。わたしがときどきその精神からかくれると、恩寵を失ったかのように思う。すでに話したように、わたしは霊魂を去るけれども、また戻る。去ることによって恩寵を取りあげるのではなく、その意識を取りあげるだけである。しかも、それは、霊魂を完徳にみちびくためである。ところが、霊魂は悲嘆にくれる。それまで味わっていた喜びに見放され、多くの誘惑の攻撃にさらされているのを感じて、地獄に落とされたように思う。
 真理を認識することができないほど、無知であってはならないし、霊的自愛心に迷わされてはならない。「わたし」が霊魂のなかに現存すること、わたしこそ至高の「善」であること、わたしこそ、戦いのとき、霊魂の善意を守り、霊魂がたのしみを求めて引き返すのを防止することを、認識しなければならない。
 それゆえ、謙遜して、自分は精神の平和と静安とを味わう資格がないと思わなければならない。わたしが霊魂からかくれるのは、そうさせたいからである。霊魂が、戦いのとき善意を失わないようにこれを守るのは、この善意によって謙遜し、霊魂に対するわたしの仁愛を認識することを願って、そうするのである。霊魂は、わたしがその顔に振りかけるたのしみの乳で満足してはならない。わたしの「真理」の乳房にすがりつき、そこから乳と同時に肉を吸い取らなければならない。すなわちそこから、わたしの仁愛の乳を、十字架につけられたキリストの肉によって、わたしがあなたがたをわたしに到着させるために橋に仕立てたかれの教えによって、吸い取らなければならない。そのため、わたしはかれらからかくれるのである。
 もしも、かれらが賢明に歩くならば、そして、ただ乳だけしか求めないほど無知でないならば、わたしは、もっと多くのたのしみ、もっと多くの力、もっと多くの光明、もっと熱烈な仁愛をもって、かれらのもとに帰るであろう。しかし、精神のたのしみを感じなくなると、精神の倦怠、悲嘆、混乱におちいるようでは、得ることろが少ないし、微温な状態をつづけるにちがいない。

< 戻る

目 次

進む >

ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system