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8.完全な愛

第86章

いくつかの真理の要約。──神がこの霊魂に、あらゆる被造物と聖なる教会とのために祈るよう求めることについて。

 あなたは、どのような方法で、あなた自身教えを利用することができるか、また隣人にこれを利用させることができるか、そしてまた、わたしの「真理」の認識に到達することができるかを、永遠の「真理」である「わたし」によって、知性の目で見、心の耳で聞くことができた。はじめから話しているように、あなたは、あなた自身の認識によって、「真理」の認識に到達する。もっとも、それは、あなた自身の単独の認識によってではなく、あなたのなかにおけるわたし自身の認識に加えられ、これとひとつになった自己認識によってである。その結果、あなたは、謙遜と自分に対する憎しみと侮りとを見出し、また、あなたのなかにわたし自身を認識することによって、わたしの「仁愛」の火を発見した。それによって、あなたは隣人を愛し、いつくしむようになり、教えによって、そして誠実で聖なる生活の手本によって、これに奉仕するようになった。
 わたしはまたあなたに、「橋」を示した。すなわち、それがどのように架けられたかについて、霊魂の三つの能力を象徴する全般的な三つの階段を昇らなければならないことについて、もしも霊魂が三つの階段を昇り、三つの能力がわたしの名において集約されないならば、だれも自分のなかに恩寵の生命を保つことができないことについて、説明した。ついで、わたしはあなたに、この三つの階段を、わたしの「ひとり子」の体に象徴される霊魂の三つの状態として、もっと特殊な説明をおこなった。そのとき話したように、わたしの「ひとり子」は、その体を梯子に仕立てた。わたしは、その階段として、貫かれた足、開かれた脇腹、そして口を示した。この口のなかで、霊魂は、わたしがあなたに説明した方法で、平和と静安とを味わうのである。
 わたしはあなたに、わたしの愛のなかに見出すたのしみのためにわたしを愛する人々が、不完全な奴隷的恐れや不完全な愛におちいっていることを示した。最後に、わたしは、口の平和に達した人々について述べ、この第三の状態の完全性について説明した。かれらがそこに達したのは、熱烈な望みをもって、十字架につけられたキリストの橋を渡ったからである。すなわち、霊魂の三つの能力を結集し、そのすべての活動をわたしの名のなかに統一することによって、全般的な三つの階段を昇り、その上、三つの個別的な階段を、不完全な状態から完全な状態へと昇ったからである。これは、さきにもっと詳しく説明したとおりである。わたしはあなたに、そのときかれらがどのように真理のなかを走ったかを示した。そして、あなたに、霊魂の完全性を味わわせ、諸善徳の香りを嗅がせた。それと同時に、霊魂が、自分を知りわたしを知るためにその時間を用いないならば、完全になる前におちいる危険のある錯誤について、警戒をうながした。
 わたしはまた、わたしの「真理」の教えの橋を渡ろうとしないために、河におぼれる人々の悲惨について述べた。わたしがこの橋を架けたのは、あなたがたがおぼれるのを防ぎたいからである。ところが、かれらは、狂人のように、世俗の悲惨と汚物とのなかにおぼれるのを選ぶのである。
 このようなことをあなたに説明したのは、あなたのなかに、聖なる望みの火を、そして、霊魂の亡びに対する同情と悲しみとを、かき起こすためである。そうすれば、あなたは、悲しみと愛とにかられ、あなたの涙と汗とによって、すなわち、熱烈な望みの火とともにささげる謙遜で絶え間ない祈りの涙によって、わたしに強要するであろう。わたしは、ただあなたのためではなく、他の多くの被造物とわたしのしもべたちとのために、これを語った。あなたと他のしもべたちとは、みないっしょに、わたしの仁愛にかられて、世とあなたの切なる祈りの対象である聖なる教会の神秘体とにあわれみを注ぐようにわたしに祈り、強要せざるをえないからである。
 あなたも記憶していると思うが、そのとき話したように、わたしはあなたの労苦をねぎらって、あなたの望みをかなえるであろう。すなわち、聖なる教会の改革のために、善良で聖なる牧者を与えて、あなたの痛ましい望みにこたえるであろう。それも、すでに話したように、戦争や、剣や、残虐行為によってではなく、平和と静安とのなかで、わたしのしもべたちの涙と汗とによって、そうするであろう。事実、わたしはあなたがたを、聖なる教会の神秘体のなかで、あなたがたの霊魂と隣人の霊魂とのために働かせるために送ったのである。あなたがたにおいては、善徳をたがやすがよい。隣人と聖なる教会においては、手本と教えによって、そして、この教会とすべての被造物とのために「わたし」にささげる絶え間ない祈りによって、わたしが説明した方法で、隣人に対する徳行をはげむがよい。すでに話したように、隣人との関係においてこそ、あらゆる徳行と過失とが生まれ、増大するからである。それゆえ、わたしは、あなたがたが隣人に有益であることを望んでいる。これによって、あなたがたのぶどう畑に実を結ばせることができるのである。
 霊魂の救いのために、かおり高い祈りの香気をわたしの方に立ちのぼらせてほしい。なぜなら、わたしは世にあわれみを注ぎたいからである。わたしは、この祈り、この汗、この涙によって、「浄配」である聖なる教会の顔を洗いたい。わたしは、さきに、この教会を、顔がよごれ、癩者のようになった婦人にたとえた。これは、この浄配のなかに養われている聖職者とすべてのキリスト教徒との過失によって生じたものである。この過失については、別のところで話したい。

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