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10.光明と分別

第103章

霊魂がある人のために祈っているとき、この人が暗黒におちいっていることを、神から示されたとしても、その人が大罪におちいっていると断定してはならないことについて。

 これから、あなたがわたしに説明を求めた事柄について話したい。あなたが、ある人々のために特別に祈っている場合、ある祈りのあいだに、そのなかの一人は恩寵の光明のなかにいるが、他のある人の精神は暗黒に包まれているように見え、それでいて、二人ともわたしのしもべの数にはいっているとしよう。そのような場合、この第二の人は大罪の状態にあると考えてはならない。なぜなら、あなたの判断はしばしば誤っているからである。
 つぎのことを知ってほしい。同じ人のために祈っているとき、ときとして、その人が光明にかがやき、わたしに対する聖なる望みに燃えていて、あなたの霊魂もその人の善徳によってふとるように思われることがある。それは、あなたがたに、たがいに善を分かたせる仁愛の情念のはたらきによるのである。ところが、またあるときは、その人の精神がわたしから遠く離れており、暗黒と誘惑とに満たされているように思われ、あなたにとって、その人のために祈ること、わたしの前にその人を思い出すことが、苦痛に感じられることがある。
 それは、あなたが祈っている人の過失によることもあるであろう。しかし、多くの場合、過失の結果ではない。それは、単に、永遠の神であるわたしが、この霊魂から去った結果である。霊魂の諸状態について説明したとき話したように、わたしはしばしば、霊魂を完徳に進ませるために、このようにするのである。その場合、わたしの現存の意識は取りあげるけれども、恩寵を取りあげるのではない。この霊魂はたのしみも慰めも感じなくなり、不毛、乾燥、苦悩におちいる。わたしは、この苦しみを、この霊魂のために祈る霊魂にも感じさせる。それは、苦しんでいる霊魂に対する恩寵によるのであり、愛によるのである。つまり、祈る霊魂が苦しむ霊魂と一致して、その精神をおおっている暗黒をはらう助力者になってほしいから、そうするのである。
 いとしいむすめよ、もしも、あなたが──あなたあるいは他の人が──単なる外見だけによって、わたしがこの霊魂のなかに示した暗黒の原因は悪徳であると判断するとしたら、無知で、叱責にあたいすることを、理解してほしい。なぜなら、この霊魂は、わたしの恩寵を取りあげられたのではなく、ただ、わたしの現存の意識のなかに味わっていたたのしみを取りあげられたにすぎないからである。
 それゆえ、わたしが望むこと、あなたとわたしの他のしもべたちとが望まなければならないことは、あなたがたにおけるわたしの「いつくしみ」をよりよく認識するために、あなたがた自身を完全に認識することである。他の人々の裁きはわたしに任せるがよい。それは、わたしの役目であって、あなたがたの役目ではない。わたしに属する裁きはわたしに委ね、他人の罪からは、隣人に対する同情と、わたしの誉れと霊魂の救いとに対する飢えとを、感じ取ってほしい。熱烈な望みによって、善徳を説き、あなたがたと他の人々とのあいだにある悪徳を、すでに話した方法で、是正してほしい。
 そうするならば、あなたはわたしのもとに来ることができるであろうし、わたしの「真理」によって与えられた教えを理解し、実行していることを示すであろう。この教えとは、万事においてわたしの意志を見、人々の意志にこだわらないことである。それは、純粋な善徳を所有し、きわめて完全で光栄ある光明に浴して、わたしの名の栄光と賛美とのために、聖なる望みの食卓で、霊魂の食物を食べるために、どうしても必要なことである。

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