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10.光明と分別

第105章

これまでの話しの要約。──他人に対する忠告に関する補足。

 いとしいむすめよ、あなたは、悪魔にだまされることなく、また、あなたの貧弱な見解にまどわされることなく、隣人に忠告する方法についてたずねたが、わたしは、あなたの望みを満足させるために、これについて説明した。要するに、わたしが明白に啓示しないかぎり、一般的に忠告すべきで、個別的に忠告すべきではない。そのうえ、この忠告は謙遜におこなわなければならないし、わたしが示した方法を守って、他人をとがめると同時に、自分もとがめなければならない。
 つぎに、すでに話したことを繰りかえすが、この世において、あなたは、いかなる方法によっても、いかなる被造物についても、一般的にも個別的にも、わたしのしもべたちの精神についても、その心構えのいかんにかかわらず、裁く権利がない。
 わたしは、裁いてはならない理由を挙げると同時に、裁くならば、間違いにおちいることを述べた。あなたも、他の人々も、むしろ同情を抱かなければならないし、裁きはわたしに委ねなければならない。
 そのうえ、あなたをたずねて、大罪の暗黒から脱出し、善徳の道を歩むために、意見を求める人があるならば、どのような教えと根本原則を示さなければならないかについて説明した。すなわち、根本原則としては、かれら自身とかれらに対するわたしの「いつくしみ」とを認識して、善徳を愛すること、なにごとについてもわたしに反抗しないように我意を殺し、滅ぼすことを、教えなければならない。苦業については、すでに話したように、これを根本的目的としてではなく、手段として、示さなければならない。そのうえ、苦業はみなが平等におこなうべきものではなく、各人の可能性、体力、状況に従っておこなうべきものである。この原則を守るならば、ある者は少く、ある者は多く、この外的手段にたよることができるであろう。
 わたしはあなたに、他人に忠告をおこなう場合は、すでに話した方法で一般的に忠告すべきで、他の方法にたよってはならないと言った。しかし、明白な過失を見た場合、あなたとかれと二人っきりで、諌めてはならないと思ってはならない。あなたはそうすることができるし、もしもその人が頑固で、ため直そうとしないならば、二、三の人にこのことを知らせることができる。またもしも、それでも足りないならば、聖なる教会の神秘体に明かすことができる (4) 。しかし、わたしが言ったのはあなたの精神の内面で見、あるいは感じたことによって、そうするのは正しくない、ということである。たとい、外から目撃したとしても、ただちに態度を換えてはならない。ただし、その事実を明白に見、あなたの精神に、わたしの明白な啓示が与えられた場合は、別である。しかし、その場合でも、わたしが説明した方法によって諌めるべきである。それは、あなたにとって、隣人に対する仁愛の外形にかくれている悪魔にだまされないために、もっとも安全な方法である。
 いとしいむすめよ、これで、あなたの霊魂の完徳が保たれ成長するために必要なことに関する説明を終わった。

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