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ウィリアムソン司教様、彼らはあなたを噛み裂いています

2009年3月3日
シャロン・テイラー
以前にも増して我々の時代には、邪悪な者らの最も強力な勢力が、善人たちの臆病さと弱さの中で働いている。... サタンが振るっているこれら全ての支配力は、カトリック教徒の安易な弱さ故である。ああ! もし私が預言者ザカリアが霊の内にそうしたように「あなたの体にある傷は何ですか?」と天主なる救い主に問うならば、答えは疑いなく、「これは私を愛している人々の家で加えられた傷である。私は私の友人達によって傷つけられた。彼らは私を護るために何もしなかった。そして彼らはあらゆる時に私の敵どもの共犯者となった」というものであろう。
教皇聖ピオ十世、1908年12月13日、ジャンヌ・ダルクの列福の際に。
昨日、私はミサに行き、聖ピオ十世会の総長の報道発表を入手しました。そして、私を困惑の中に残した説教を聞いた後、聖体降福式の間、ご聖体の前で祈りました。私は誰かに判決を言い渡すためにここに居るのではありません。ただ、この状況と、一人の人、私が心から尊敬しているローマ・カトリックの司教様に対する、私の感情を表わしたいに過ぎません。そのことがあってから直ぐ、私は天主様に、私の心に語って下さるようにとお願いしました。私は、その時自分が不思議な空間の中に置かれたのではないかと思います。自分がジャンヌ・ダルクであると言うつもりはありません。私は耳に聞こえるどのような声も、他のどのようなものも聞きませんでした。しかし私は、主は聞きたいと願うどんな者にもお応えになる、と信じて疑いません。
私の心に浮かんだのは、聖マタイの福音書第7章第6節でした。「聖なるものを犬にやってはならぬ。真珠を豚に投げ与えてはならぬ。そうすれば、相手は足で踏みつけ、向き直って、あなたを噛み裂くであろう。」
私は、これがどのように今回の報道発表と関係しているのでしょうか?と、また、足で踏みつけられる真珠とは今回の場合何を意味しているのでしょうか?と、祈りのうちに問いました。その報道発表には、総長は権威をもってただ信仰と道徳の問題に関してのみ語った、とありました。しかし私は、真実が道徳の基礎ではないでしょうか?と考えました。何故、ヨーロッパでは、歴史的な出来事に関して疑問を投げかけるだけで、人は逮捕され得るのか? 真実は、ただそれ自体のためにだけ価値あるものとされるべきではないか? 私達は何かを問わなければならないのではないか? 特に善意の人々に対して邪悪な計画を抱いている何者かが居るかも知れない時には。ヨーロッパには、それらの強制収容所で本当は何が行なわれたのかについて、単に事実を知るために文献を再吟味したいと願う人々がいます。しかし、もしそのような人々がそれについてあえて疑問を提示するなら、やがて彼らには有無を言わせぬ禁固刑が与えられるでしょう。今はADL(Anti-Defamation League:名誉毀損防止同盟)やその下部組織が教皇様を中傷し、そしてクリスチャンとイスラム教徒によって共に崇敬されている天主様や聖母を中傷しているに留まっているとしてもです。そして、私達はと言えば、手をこまねいてそれを傍観し、寛大にしていることが期待されているというわけです──ああ、寛大さ! 私達の素晴らしき新世界で唯一許容される美徳!
私が皆様の前で第一に明確にさせて頂かなければならないのは、私は反ユダヤ主義者ではない、ということです。私にはユダヤ人の義理の(祖母の再婚相手の)祖父がいますが、彼はいつも私によくしてくれ、そして決して私達の信仰のことで私達に辛く当たることがありませんでした。
また私には、私自身が属する宗教の中の自由主義的な多くの人々とよりも政治的意見においてより多くのものを共有する古くからのユダヤ人の友人達がいます。
私が知りたいと思うのは、ユダヤ人に関する歴史の大部分を編纂して来た共産主義的組織、ACLU(アメリカ自由人権協会)のような組織が、私達の文化からキリスト教のあらゆる痕跡を消すために非常に熱心に働いて来たという時に、教会が世俗の問題に関して何ら主張する権威を持っていないとすれば、私達はどのようにキリストについての全事柄を修復できるだろうかということです。また、お前達の子供も十戒の咎めの下に置かれているのだという主張から始まって、お前達は戦争の記憶として立っている数多の墓標の光景を今後も背負って行かなければならないのだとする主張に至るまでの、あらゆる不正であるだろう主張に対して、誰が最も大きな声を上げるのかということです。また、ヨハネ・パウロ二世教皇様はカトリック教会が数世紀に亘り世界に与えて来たとする全ての過ちに関して謝罪しながら世界を回りましたが、しかしそこにどのような実りがあったのかということです。いいえ... それら全ての善意の真珠は、足で踏みつけられ、噛み裂かれました。
イスラエル政府が中東を不法に占拠し続け、パレスチナ人の小さな子供達を殺し、その子達を射撃訓練の練習台にし、その子達の母親を殺し・・・彼らは、自分達が今年もクリスマスの時に、イエズスが生まれた土地でそのようなことができたということで、非常に誇らしく思ったに違いありませんが・・・そのような時に、聖地の平和を嘆願する声は、多くの聞こえない耳に出会いました。多くのクリスチャン達は、イラクにおいてと同様、また中東の多くの場所においてと同様、その聖地から逃れなければなりませんでした。平和と正義の真珠であるデモクラシーが、これほどまで多く、足で踏みつけられ、噛み裂かれました。
自由のために戦っていると自称する(しかし実のところ、ユダヤ人、同性愛者、そして自分の子供を堕胎によって殺すことを望む人達のためにそうしているのでしかない)ADLは、ウィリアムソン司教様の弁明も例外としませんでした。そしてウィリアムソン司教様は、言ったことを訂正するようにとバチカンから求められています。しかし他方、コメディアンがイスラエルのテレビでキリストを馬鹿にすることは許されるのです。彼は、主がかつて水の上を歩かれたことを否定し、また、主の御母は夜の女だったと言いました。このことは、クリスチャンと、クリスチャンと同様祝せられた御母を崇敬しているイスラム教徒を侮辱するものです。そして、その病的に歪んだ番組における中心的なコメディアンは、私達が神聖であると思っているもの全てに対して自分がしているこの攻撃は、復讐をなすための一つの方法として提示しているものだ、と言いました。
彼は、クリスチャン達はこれを一つの戒めとして教えられなければならない、と感じているということでした(Mark Glenn氏の Out of the Overflow of the Heart-Jesus & Mary as Vulgar Comedy in the Holy Land を見て下さい)。ところで、クリスチャン達から、ローマから、あるいはSSPXから、これに対して撤回を要求する声が出ているでしょうか? ああ、出ていないのです。教会自身が腰抜け(milk toast)であって、モダニストに影響された状態を生きているからです。私達は今やキリストを護ることができないほどあまりに進歩的であり、それで、教会は横転して死んだ振りをしています。そしてこう考えています、「おとなしくしていれば、彼らもやがて行ってしまい、私達をそっとしておいてくれるだろう」。しかし、そうであってはなりません! 教皇様がそのような者達にお示しになろうとして来られたご温情は、もうこれくらいで十分です。そうです、ここでもまた、真珠は豚に投げ与えられ、足で踏みつけにされたのです。
オッタビアーニ枢機卿が著わした『カトリック教国の信仰における義務(Duties of the Catholic State in regards to religion)』は、その24頁で、歴史上の問題あるいは世俗的な問題に関しては権威を持たないとするSSPXの主張に応えるかのように、ピオ十二世教皇様のお言葉を引いています。「信仰と道徳」について教皇様は次のように教えておられます。「道徳律と天主の掟は、いかなる例外もなしに、人間が活動する全ての領域において、等しく拘束力を持つ。そして、それらが関係する限りの範囲まで、教会もその使命の手を伸ばす。信仰と実生活を分けて考えること、また、教会と現世を分けて考えることは、キリスト教の考えともカトリックの考えとも正反対のものである」。また、デニス・ファヒー(Denis Fahey)神父様が著わした『マネー操作と社会秩序(Money Manipulation and the Social Order)』では、ルター主義がその二元性を始めたこと、そしてそれが人生をあまりに独立的な二つの部分に分割したために、彼らはもはや何らかの偶然によってしか両者の関係を見出せず、そしてそのようにしてリベラリズムへの道を開いたこと、そしてそれが、道徳、政治、経済などにも自然主義を適用するに至ったことなどが書かれています。これはまるで世俗主義のようなものです。New World Dictionary によれば、世俗主義とは、宗教における信仰と礼拝のどのような形態をも無視あるいは拒絶するところの教義と実践のシステムなのだそうです。宗教と教会は国政や公教育などの中に入り込んではならないというこの信念。しかし、もし教会がそれらの事柄に関わることを自ら拒絶するなら、王たるキリストは一体全体どのようにして社会統治を為し遂げ得るというのでしょうか。私は混乱します。私は、王たるキリストの社会統治をもたらすことが私達の使命であると思って来ました。イエズス様は私達に、悪に立ち向かうこと、そして真理を求めることを、お命じにならなかったでしょうか?
バビロニア)タルムードに依れば、イエズス様は偽教師として非難されるべき者であるそうです。「この誘惑者であり偶像崇拝者であるところの者は、偽りと異端以外には何も教えることができなかった。彼に従うことは不合理且つ不可能なことであった」(p.40) 。イエズス様は、「月経の間に孕まれた者。この者は、愚か者、魔術師、誘惑者であった。この者は、磔にされ、地獄に埋められたが、それ以来、その追随者達によって偶像として押し立てられて来たものである」(p.30) と描写されています。聖母は、「売春婦であり姦淫の女である」(p.31) とされています。クリスチャンは、「偶像崇拝者、諸偶像の下僕、エドム人... 馬鹿、破滅に運命づけられた肉的な人間である。彼らは悪魔的な起源を持っている。彼らの霊魂は悪魔から来て、死後、地獄の悪魔のもとに帰る。その死体さえ、動物のそれと何ら変わるところがない」(pp. 42-53) などと言われています。
何故、これらのことが、アメリカの全説教壇の上から露にされていないのでしょうか? イエズス様は、真実を知ることは自由になることである、と言わなかったでしょうか?「私は、真理について証しをするために生まれ、また、そのためにこの世に来た」(聖ヨハネの福音書 18:37)。
ユダヤ人は、クリスチャンを忌避し且つ絶滅させるために自分にできる全てのことを行なうように、と要求されています。それは次のように言っています。「ユダヤ人は、そうすることができる場合はいつでもクリスチャンを害する義務がある。どのような形でも彼らを助けないことによって間接的に、また、彼らの計画と事業を破壊することによって直接的に、その両方によって」。ウィリアムソン司教様の物語が、教皇様がSSPXに対する破門制裁を撤回なさろうとしていた正にその時に始まったということは、驚くべきことです。... ああ、御免なさい、私達は陰謀論にはくみしないようにと警告されていたのでした。ついそれを忘れていました。それでは、さぁ皆さん、良いカトリック教徒でいることにしましょう。私達の頭を、偽りの、汚い、ぬめぬめした砂の中に埋めることにしましょう。もっと簡単なのは、自分の小さな快適空間の中に留まり、真の戦いを天国の聖人達に任せてしまうことです。そして、思うに、私達はそのように天国の聖人達の犠牲のもとに生きることを期待されているのです。
公平を期して言えば、カトリック教徒の中にも、信仰を捨て、同じように多くの損害を与える者達、悪魔にとっては有益なものである愚か者達が、たくさん存在しています。たとえば、教皇ピオ十二世のことをテーマにした『ヒトラーの教皇(Hitler's Pope)』という本を書いた人〔訳注: ジョン・コーンウェルのこと〕。彼のこの本は嘘です。実際、あるユダヤ人のラビなどは、この教皇様のご慈悲にあまりに感動したためにカトリックに改宗したほどです。また、駐イタリア領事であったラビ Pinchas Lapide 氏の調査によれば、カトリック教会は86万人以上のユダヤ人の生命を救い、それは当時の他の全ての宗教がユダヤ人を救った数を合計したものよりも多いそうです。では、ADLは、これら全てについて何か言ったでしょうか? 彼らは、バチカンが第二次世界大戦期の全ての公文書の機密扱いを解くまで、この偉大な教皇様の列聖へ向けられた全プロセスを停止するようにとバチカンに要求し続けたものでした。どういうことですか? 彼らの知ったことじゃないでしょうに。彼らはどのように、歴史上の出来事に変更を加えるようにと要求する権利を得たというのでしょうか? そして、今に至るも、私達の忠実で謙遜な司教様達は、刑務所に収監されるのを恐れて、その口を閉じていなければならないのです。私はトワイライト・ゾーン(テレビ番組)のアンソニーを思い出します。その自己中心的な小さな子供は、自分の望むことをしようとしない全ての人達をトウモロコシ畑に追放したのでした。
ウィリアムソン司教様はキリストの真の兵士です。彼は善き戦いを戦いつつ前線にいます。まあ、もしサタンの会堂が、そこから甘い蜜を搾るだけ搾ろうとして彼らの犠牲者としての地位を利用しており、その目的に沿わないが故に真実が暴露されることを望まないという、そのようなことがあり得るならばの話ですが。私も、ヒトラー体制のもとで苦しんだ人々に対して同情心がないわけではありません。けれども、国際赤十字によれば、当時ドイツ当局によって中央ヨーロッパと西ヨーロッパに拘留されていた民間人に1929年のジュネーブ戦時国際条約に基づいて接触することのできた多くの善意の人々が、ドイツ人も含めて、いわれなき中傷を受けて来たのです。それとは対照的に、ICRC(赤十字国際委員会)はソ連にはどんな接触も持つことがでず、協定を結ぶこともできませんでした。遥かにコンディションの悪いソ連に拘留されていた民間人と兵士達からなる何百万もの人々は、国際的などのような接触あるいは管理からも完全に切り離されていました。その調査報告書は、ドイツは当初、保安の観点から、各地に拘留している人々を赤十字が管理することを許したがらなかったが、しかし1942年の後半にさしかかった頃、ICRCはドイツから重要な譲歩を引き出した、と認めています。彼らは1942年8月以降、ドイツにある主要な強制収容所に食べ物の包みを配布することを許され、そして1943年2月以降は更に進み、この譲歩は他の全ての収容所と刑務所にまで広げられました (Vol.111, p.78) 。ある一つの食糧救援計画は1945年の最後の月まで機能し続け、このことを感謝するユダヤ人の被拘留者達から多くの手紙が寄せられました。赤十字の救援を受けたのはユダヤ人達であった、とその報告書は述べています。以上のことと関連して調査報告書がその第三巻で述べているのは、国際赤十字の代表者達は、枢軸国が占領しているヨーロッパの収容所で、ユダヤ人の絶滅を意図するどのような計画的な政策の痕跡も全く見出さなかった、ということです。その全1600頁の中で、調査報告書は、ガス室のようなものが一つあった、ということさえ述べていません。このことは、他の多くの戦時国民同様、ユダヤ人も確かに過酷と窮乏を耐え忍んだのだ、ということを認定するものです。国際赤十字は、自分達は今日の風潮となっているところの「大量虐殺に関する無責任な糾弾」(これは私の言葉ではなく彼ら自身の言葉です)に加担することはできないと気づいたのです。彼らの調査報告書は、シャワー施設に見せかけられたガス室によって大量処刑が実行されたのだとする主張を無意味なものにしています。これら全ては、国際赤十字の代表者達によって調査されたものです。ですから、ウィリアムソン司教様は本当にただの気のおかしい陰謀論者なのでしょうか? ということなるのです。そう、国際赤十字によれば、そうではない、ということになります。
この国では、ADLが、その帯電分子達(ions)のために強引に通過させようとして来た憎悪による犯罪的議案を後押しして来ました。そして彼らは、もう一度それを通過させるつもりなのであり、もし民主党が政権の座についたならば、それは成功するかも知れません。もしそうなれば、私達の言論の自由と信教の自由は、危険に陥ることになるでしょう。もし私達が彼らを止めるために何もしなければ、私達の自由のランプは、ヨーロッパのそれと同じように、永久に消えてしまうことになるかも知れません。
総長の最後のコメント、「兄弟会に対する絶え間ない告発は、また明らかに、私達の使命の評判を落とそうとする目的に仕えています」に関して言えば、そうです、それは天主様の敵がそうしていることである、と言っていいのではないでしょうか。イエズス様はおおせられました、「私を憎む者はあなた方をも憎むだろう。私を迫害する者はあなた方をも迫害するだろう」。どうか私を誤解しないで下さい、私は兄弟会を愛しているのです。しかし、私はその愛によってこそ、これを言うのです。一人の敵によっておだてられるよりも、一人の友から正しい意見を受け取った方が幸いである。諺の本にある通りです。私達は皆、肉においては弱い者です。私達が自分の弱さを超えて立ち上がる勇気を得、善き戦いを断固として戦うためには、聖霊から来る超自然の恵みによる他はありません。しかし残念なことに、「キリスト教徒の剣」は最近少し鈍くなりました。それは試練によってのみ、艱難辛苦によってのみ、鋭くされるものです。私達の主はおおせになりました、「私のために人々があなた方をののしり、迫害し、またあなた方に対して偽りを言い、あらゆる悪口を言う時、あなた方は幸いである。小踊りして喜べ。天においてあなた方が受ける報いは大きいからである。あなた方より前の預言者も、同じように迫害されたのである。あなた方は地の塩である。もし塩がそのききめを失ったならば、何をもって塩に塩気を取り戻せようか。その塩はもはやなんの役にも立たず、外に捨てられて、人に踏みつけられるだけである」。
また、こうもおおせられました、「あなた方は世の光である」。私達は既にそのように行動し始めるべき地点に来ているのではないでしょうか?
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