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修道院長 「高位聖職者の中にフリーメーソンが常に居た」

「ブニーニは結局『濡れ衣』を着せられたのか?(Did Bugnini Get a
"Bad Rap" after all?)」という題の2005年8月7日付の記事の抄訳
1996年2月、Inside the Vatican は、ブニーニにかけられた嫌疑ばかりでなく典礼改革のプロセス全体に光を投げかけるだろう一人の人物から、手紙を受け取りました。
その手紙の送り手は修道院長 Boniface Luykx, O. Praem.。81歳で、東方典礼の修道士です。今は北カリフォルニアの修道院の院長を務めています。
彼がイスタンブールへの二週間の旅──彼はそこで、ギリシア正教とラテン教会との完全な再会を妨げている神学上の問題を議論するために、オーソドクス・チャーチの代表者達と会議を持ったのでしたが──から戻った直後、私達は電話で彼を掴まえることができました。
Boniface 修道院長、あなたは個人的にアンニバーレ・ブニーニを知っていました。あなたは彼について私達に何を話すことができますか? そして特に、あなたは彼がフリーメーソンであったという申し立てについて私達に何を話すことができますか?
Boniface 修道院長: 私達は彼をフリーメーソンであると非難する前に、とても慎重でなければなりません。私個人としては、それに関する如何なる証拠も持っていません。しかし当時ローマ教皇庁にはフリーメイソンの大きなグループがありましたから、彼がその一員であったという可能性はあるかも知れません。そこには19世紀のピオ九世の時代から、またピオ十世の時でさえ、教会の高位聖職者の中にフリーメイソン員が常に居ました。モダニズムの偉大な反対者達です。より近年にはバチカンから、フリーメイソン団の一員たることはカトリック教徒に許されている、と言っている一つの文書が出ました。そして1982年、ラッツィンガー枢機卿が教理省の長官としての彼の役目を引き受けた最初の行動の一つがそれを打ち消すことであった、ということは印象的なことでした。
多くの国々ではフリーメイソン団は比較的良心的な組織、一種のクラブのようなものだと思われています。それは本当に教会に対する何らかの脅威なのでしょうか?
Boniface 修道院長:あなたはフリーメイソンの力を甘く見てはいけません。私は、フリーメイソンが私達が思っているより以上に、遥かに大きな力を持っていることを理解するようになりました。それは教会の本質を変え、そしてそのようにして教会を破壊しようとします。そして人間的な視野、自然的な視野から言えば、教会はこれに勝つことができません。教会は生き残ることができません。教会はただ、聖霊がそれを護っているので持ちこたえることができるだけです。
教会は自然的な機関ではありません。それは神秘的な現実、キリストの花嫁なのです。そしてそれは自然的な現実ではなく超自然的なものなので、自然的な手段をもっては破壊することができません。キリストは超自然的な手段をもってそれを護り、それを続けさせることを約束なさったのです。そしてそれが、私が歴史の中に見ることです。例えば、私がちょうど訪れたばかりのコンスタンチノープルの教会は大変な困難の中にあります。しかしこれは、そこにキリスト教徒がまだ居るという事実よりは注目に値しません。コンスタンチノープルでは教会が、法律によって、その完全でオープンな信仰の行為を禁じられたことによって、とても長い間迫害を受けたので、それが今存続していることはただ聖霊にの働きによるものです。
しばらくの間、話をまたブニーニ大司教のことに戻すことはできますか?
Boniface 修道院長:ブニーニ大司教は、個人としてはとてもチャーミングで、そして人々をまとめることに非常に有能な人でした。彼は一緒に働くのがとても楽しい人でした。彼はいつも、会合に参加したすべての人達をして、歓迎されている、アット・ホームである、と感じさせる人でした。しかし私は、彼が同時に政治的な人物であって、大部分は彼自身のために、彼自身の個人的な力を求めた政治的な人であったと思います。しかしこれはまたローマの現実でもあります。幾らかの聖職者達は、聖職の位階を上ることを求め、一つのポストをもう一つのポストに進むためのスプリングボードとして使おうとします。これはとても人間的なことで、理解もできます。しかし、あまり有り難いことではありません。
そして彼の世界観がありました。典礼に関する彼の考え、そして典礼を改革するという私達の仕事に関する彼の考えがありました。私は公会議で、当時ザイールのキンシャサの大司教であった Joseph Malula 枢機卿──彼は最近亡くなりましたが──のための神学者 ("専門家") としてそこに居ました。
ブニーニは一度 Malula に、刷新された典礼と教会のための規則は現代的な西欧人の男だ、と言いました。何故ならそれは完全な男であり、最終的な男であり、永遠の男であるからだ、そして完璧な男であり、理想的な男であるからだ、と。そして彼は、彼にとって「文化的適応(acculturation)」あるいは西洋文化への適応は、教会の典礼の改革と刷新のために、神学のために、また教会の営みのあらゆる他の側面のために、偉大な仕事である、と明言しました。
世俗化は、彼にとっては必要なプロセスであり、教会が受け入れなければならない、抱擁しなければならないものでした。
しかし司祭達や司教達は、彼らの全生涯をもって、聖なるものが俗なるものを超え、聖性が人間本性を超えることを証ししなければならない時に、もし正に人間本性を抱擁し、それを保存しようとするならば、どのようにしてそのような証しを立てることができるのですか? その筋道の上で、司祭達また司教達はどのようにして、世俗主義を抱擁することができるのでしょうか?
Boniface 修道院長:彼は世俗主義を受け入れました。何故なら、彼は言いました、それは現実であると。現実を受け入れることは必要であると。彼は現代的な哲学の視点を固守しました。人間は神なしで作られた、そして神を必要としていないと...
彼は実際にそのようなことをあなたに言ったのですか?
Boniface 修道院長:どのようなことを?
人間は神なしで作られた、そして神を必要としていない、と...
Boniface 修道院長:彼はそのようなことを決して書かなかったでしょう。また、彼が話す時にも、彼は軽率にはそのようなことを言いませんでした。彼は文字通りにはそれらのことを話さなかったかも知れません。しかし彼が Malula 司教に繰り返し彼の返答を与えた時、それが彼の言わんとするところでした。
あなたは彼のことをよくご存知でしたか? あなたはこのような事柄について語り合う、彼との多くのミーティングを持ちましたが?
Boniface 修道院長:私は何度も彼に会っています。そして公式の食事や軽食がある時に、彼と私はしばしば一緒でした。そして私は、彼がとてもチャーミングで良い人だと思いました。そしてそれが、彼が何故虐待されたのか、そして何故彼にこれら全ての嫌疑がかけられたのかの理由だと私は思います。
ご存知のように、彼は彼自身に関してとても高い理想を持っていました。彼は正に最高レベルに達したかったのです。枢機卿になることを望み、権力のより高いレベルに達することを望んでいました。
パウロ六世は典礼改革の仕事を進める際にブニーニのような人物を選ぶことに関して、どのような責任を負っていましたか? 彼は別の人を選ぶことはできなかったのでしょうか?
Boniface 修道院長:パウロ六世は極めて偉大な人でしたが、しかし弱い人でした。彼には決断を下すことが大変難しかったのです。例えば彼は新しいミサ典書を、それを公布する前の三年の間、彼のデスクの上に置き続けました。三年間ですよ! そして彼はその最終的な決断を避けるために、多くの変わった決定をしました。その一つは、ミサ典書が公布される前に、それがプロテスタント信者達の気持ちを損なうことがないということを確実なものとするために、その文書を批評させることを目的として六人のプロテスタントの神学者達を招いたことです。そして、最も大きな問題を引き起こしたのはこの決定でした。(参照)
パウロ六世はブニーニを選び、ブニーニをこれらの年月の間、そのポストに置き続けました。それは彼がブニーニを好み、ブニーニを信頼していたからです。それは理解できます。ブニーニは人好きのする人物で、且つ有能だったからです。
パウロ六世がブニーニのコンシリウムが準備したノブス・オルド・ミサを見た時、彼はブニーニに対する信頼感を少なくしませんでしたか?
Boniface 修道院長:いいえ、そんなことはありませんでした。パウロ六世はその新しいミサを承認しました。何故なら彼のアドバイザー達が、これによってプロテスタント達がカトリック教会に近づくだろうと言ったからです。
それが彼の主な理由でした。新しいミサが正にプロテスタントの儀式の幾つかの要素を取り入れていたからです。またそれは、何故聖公会やルター教会や他の教会が新しいミサに好意的であるかの理由です。これはパウロ六世の欲しかったことです。彼には、流血と分裂の諸世紀の後の教会の再統合、という展望がありました。
30年以上の年月を経た現在の有利な地点から振り返って、あなたは1960年代にあなた自身がその作成を手伝った典礼に関する仕事を、どのように評価なさいますか?
Boniface 修道院長:私は、教会の危機の時代は、主に三つの期間に分けられると思います。一つは歪曲の期間です。その時、個々の神学者達は、公会議の言ったこと、意図したことを歪めました。そして次に、公会議に対する公然たる反抗の期間がありました。
そして遂に、何もかもに対する、天主からキリスト教の中心的教義にまで至る何もかもに対する公然たる反抗の期間が来ました。
私達は今、その第三の期間に居ます。そしてこれは教会にとって全く酷い試練の時です。
しかし、それで全てが失われるというわけではありません。この教皇という人がいる限り、彼は確かに公会議の宣言を支えるでしょう。それは革新主義者達が目論む事柄の幾つかが通過するのを防ぐでしょう。そしてまた希望的な兆しもあります。それはあなた方のような、創刊された雑誌のような、教会に対するこの革新的な攻撃に対して戦おうとする希望的な兆しです。それで、私の考えでは、今私達は、むしろ平信徒達の働きを通して、ゆっくりと勝利に向かっています。そしてそれは天主のご意志であるように見えます。何故なら、多くの教会のリーダー達が、彼ら自身の責務を裏切ったので。
私はここで話のニュアンスを少し変えたいと思います。先の時代にも多くの良い事がありました。しかし司教達から来るべきリーダーシップというものが本当にないのです。私達は全くもって司教達が与えるべき精神的なリーダーシップというものを欠いています。
そして、サタンは──これはいつも教会を攻撃していますが──強力であり、多くの人達を破滅に引きずり込んでいます。しかしそれなのに、善い人達を導くリーダーシップというものが見当たりません。
ですから、教会の未来は楽観的であると同時に悲観的です。何故なら、神聖さの要素は日々成長していますが、同時にリーダーシップがなく、多くの司教達からのリーダーシップがなく、しかしそれでも、教皇ヨハネ・パウロ二世とバチカンからの偉大なリーダーシップがあるからです。
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