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カトリック教徒、カリフォルニアの司教に詰め寄る

2006年4月20日
マット・C・アボット
跪いた信者を立たせるトッド・ブラウン司教
この世俗音楽も論外だと思います。
以下は、マイク・トリポリが私に提供した、カリフォルニア・オレンジ司教区のトッド・ブラウン司教に宛てられた公開書簡である。
2006年4月19日水曜日
オレンジ司教区トッド・ブラウン司教に宛てられた公開書簡
オレンジ司教区
トッド・ブラウン司教様
2811 East Villa Real Drive
Orange, CA 92867
ブラウン司教様
あなたの司教区の平信徒達の多くがあなたのリーダーシップに不満を抱いているという事実について、あなたが御自身の混乱と苦悩を表明したことを、私達は知りました。ベネディクト16世教皇様の権威を尊敬し、その教導権に忠実であるように努めており、教会の教えを知っているカトリック教徒として、私達は、私達の司教区に深く注意を払っています。この手紙は、私達の司教としてのあなたの行動に対する私達の最大の失望の理由をはっきりさせることを目的としています。
第一印象
この司教区へのあなたの着任と同時に、あなたはあなたの新しい会衆に向けて自己紹介するために、オレンジ・カウンティ・レジスターのインタビューを受け、それについての記事が1998年7月1日号に掲載されました。記事のタイトルはこうでした、「カリフォルニア・オレンジ司教区を導くことになった『中道路線』司教、トッド・ブラウン。彼はアイダホ司教区から称賛されている。しかし彼の穏健な意見は何人かを『怒らせ』た」。そのインタビューにおいて、私達はあなたが穏健派としてのあなた御自身に言及したのを見て失望しました。ブラウン司教様、キリストは穏健派でしたか? 彼は御自分のことを「中道派」として弟子達に紹介しましたか? 私達はあなたの穏健さがキリストとキリスト教会の教えに関する穏健さでないことを祈ります。しかし、ボイジー〔アイダホ州都〕の幾人かの信者達と接触することによって、私達はあなたに関する深刻な懸念の理由が与えられ、大きな不安を感じました。
その同じインタビューにおいて、あなたはあなたの仕事の成果における同性愛者の権利に関する分野でのあなたの積極性について並べました。記事は言います、「彼は怒りを買うことを恐れずに、同性愛者の市民権に賛成して意見を述べた」。そして記事は続けます、「一つ例をあげれば、彼がアイダホで反同性愛運動を支持することを拒否した時、一部に動揺が起きた。司教は、その運動は『同性愛の市民に向けられる狭量な態度と敵意に貢献するものである』と言った」。私達はこのことを重要と看做しました。何故なら、あなたもご存知のように、第一印象は重要だからです。同性愛者があなたのハートに近しい問題であることをあなたの最初の自己紹介において私達に知らせたことによってあなたは、あなたが私達を導こうとする方向を、おそらくあなた自身が意図したより以上に明かしました。
私達は、エリート主義的な異端論者達が上部組織の内部から司教区の宗教教育の構成に働きかけ、オレンジ司教区の教会教育を偽ろうとしたことを長い間見てきました。マクファーランド司教様があなたの着任にその場を譲った時、私達はこれらの異端論者達が喜んで踊るのを見て落胆しました。私達の新任の司教が自分のことを信仰者としてでなく「中道路線」の人間(ゲイの権利向上のための活動家)として解説するのを聞いた時、私達の失望が更に大きくなったことをどうか御想像ください。
ジェラルド・コールマン神父と同性愛者ドメスティック・パートナーシップへの支持
あなたのリーダーシップに対する私達の幻滅は、ジェラルド・コールマン神父様の失敗によって大きくなっただけでした。2000年2月にあなたは、同性愛者の結婚を禁止する発議22番に対処するジェラルド・D・コールマン神父による二つの記事を、司教区のそれぞれの司祭に送りました。それに添えられたあなたのメッセージの中であなたは、「コールマン神父の記事はこの問題に関する私自身の考えを非常によく反映している」と書きました。その記事の中でコールマン神父は、「ある種の同性愛の人々にあっては、ある人々が『ドメスティック・パートナーシップ』と呼ぶところの長期で献身的で愛のある関係に入ることができるように思われる」と論じました。私達はあなたのメッセージのコピーを持っています。
あなたが、「ホモセクシャルのカップル達は通常の結婚をした者と同様の権利を手にすることができる」とするコールマン神父様の記事を、「コールマン神父の感覚は私自身のものと同じである」というあなた自身のメッセージを付け加えた上で司教区のすべての司祭達にファックス送信するほどに、このことがあなたの立場の中で堅固なものであると感じていらっしゃるということ──これを知ることは私達にとって衝撃的なことです。このことは聖座に報告されました。
教会の教えに反する性教育メモ
1999年、ラス・ブラッドリー(教区の信仰教育局のディレクター)とカーメラ・トリーナー(「ファミリー・ライフ」の事務局長)は、あなた宛の手紙の中で、十代の青少年の純潔に関するプログラムを取り上げた司教区出版物「オレンジ司教区公報」の前月号の記事に対する不賛成を表明しました。彼らは、公報の中で記述されている純潔のプログラムは「敬虔ぶったアプローチを持っており、おそらくこれに関しては家庭内教育主義者と原理主義者達の関わりがあるに違いない」と不満を表わしました。彼らはまた、学校で行われている性教育に言及し、「それは実にひどい失敗である」と不平を言いました。更に彼らは「学校は12才未満の子供達には露骨な性教育はされるべきではない」と信じる人々に対する不賛成を表明しました。この手紙の精神はひどく不穏です。それは、1995年に教皇庁「家庭評議会」の議長であったアルフォンソ・ロペス・トルヒッリョ枢機卿の指導の下で書かれた「人間の性の真理と意味」の精神に反しています。そればかりでなく、これらのことが明らかに教会の心に反しているという事実にもかかわらず、同様のことが、あなたの司教区の責任ある立場に置かれた人々によって、あなたに向けて書かれました。何故、あなたのために働いているこれらの女性達は、これらの地域で、教会の教えに対する彼らの不同意をあなたと共に共有することが快適だと感じたのでしょうか? このことは分別のある人々をして、あなたのスタッフ達はあなたがこの異端的思考法に共感するであろうということを知っているのだ、と結論させるに至りました。
胡散臭い助祭トレーニング
私達は、何故私達の司教区の助祭の養成のためにあげられた多くの候補者達が、彼らが伝統的であろうとする信者である場合、そのプログラムから降りるように言われるのか、その理由を知りたいと思います。なぜ、あなたの司牧研究所は養成クラスを、自由主義的異端派によって教えられるカテキストと主任カテキストに対して提供しますか? それらの教師達のどれくらいの者が、ハンティントン・ビーチの「聖ペテロと聖ユダ教区」に関係しているかを見てみるのは、興味深いことです。ハンティントン・ビーチ教区は、すべての教区の中で最もリベラルな教区として知られています(その教区は青年に対する猥褻行為を働いた少なくとも二人の司祭を出しています)。
御聖体に対する奇妙な態度
あなたがオレンジ教区の司教としての最初のアド・リミナ訪問〔5年に1度行われる各国教区司教による使徒座訪問〕に出かけ、ヨハネ・パウロ二世教皇様に謁見した時、教皇様は、私達の教区でマクファーランド司教様の時代から始まった永久礼拝のプログラムについて、ことのほか喜びを表わされました。しかしあなたは、あなたが私達の司教区に着任して間もなく、各々の教区に二つの新しい指令を送りました。その二つとも、悪名高いロッド・スティーブンス神父のオフィスを通して送られました。最初の指令は、カトリック信者は立った姿勢において聖体拝領を受けなければならない、というものでした(言い換えると、あなたはカトリック信者が聖体拝領のために跪くことを禁ずるつもりでした)。あなたの第二の指令は、全ての新築されたか修繕された教会では、御聖櫃を設置するための別の聖堂が作られなければならない、というものでした。これらの新しい規則を確立する際にあなたは、御聖体を受ける際に跪くことは古いと考えるリベラル・エリート達、また、主イエズスのまことの現存は信者の目に映るままの御聖体の中には存在していないのだと信ずるリベラル・エリート達の側に、あなた御自身も属するのだということを、私達にはっきりと示しました。
私達はそれらの考え方のことはよくわかっています。それは、「もし信者の目に主が見えなくなれば、ほどなく信者の心からも主がいなくなるだろう」という望みのもとに、御聖体の中の主イエズス・キリストと信者を引き離そうとするものです。率直に言って、私達は、これを達成しようとする人々は自分達のしていることが分かっていないのだと思います。彼らは、キリストを押しのけて、最前線に彼ら自身の政策をもたらしたいのです。しかしもしあなたが、「御聖体は信者の目から隠されていなければならない」と要求するなら、またもしあなたが、教会〔大文字〕によって認められた信者の跪く権利──彼らが聖体拝領の際に、彼らをお作りになった神に対して跪く権利──を否定するなら、あなたは正直のところどのようにして、御自分自身が神聖な秘蹟に対する信心──教皇様がそれを育み続けるようにと奨励した信心──を奨励している、と信じることができるのでしょうか?
跪く聖体拝領者達への迫害
私達は、あなたが聖体拝領をしようとして跪いている一人の女性をつかんで、無理に立たせようとしているところを撮った証拠写真とビデオテープを持っています。ブラウン司教様、私達はあなたに思い出させたいのですが、あなたはアイダホの反同性愛運動に対して反対の意向を示された時、その理由として、「その運動は同性愛の市民に向けられる狭量な態度と敵意に貢献するものである」とおっしゃったのではなかったでしょうか? それでもあなたは、カトリックの伝統的な信心である御聖体拝領の際の跪きに向けられた狭量さと敵意の態度に関しては、あなた御自身それに貢献することにも、あるいはそれを積極的に表明することにも、何の困難もお感じになられないように見えます。何故なのですか、ブラウン司教様?
Mean Tod Brown を見てください。
http://closedcafeteria.blogspot.com/2006/04/mean-tod-brown.html
写真とビデオは、あなたがまず最初に彼女の組んだ手をつかみ、それから彼女の体を引き上げようとしたことを見せます。
その女性は、このビデオ・テープで確認できるあなたとの何秒間かのやり取りについて、次のように報告しました。
私はカリフォルニアのオレンジ司教区のカトリック信者です。2002年11月23日土曜の夕方、私は洗者聖ヨハネ教会(1015 Baker Street, Costa Mesa, California, 92626)の新司祭となるマーチン・ベンゾーニ神父様の就任式に出席しました。
私は、トッド・ブラウン司教様が御聖体を配布していらしたあたり、信者席の前から3番目の列の端の方に座っていました(ビデオでは、私は短い茶色の髪をして、眼鏡をかけて、黒いセーターと長い白いスカートを身につけ、中央通路を隔ててカメラとは反対側の席に座っています)。そして御聖体を受けようとブラウン司教様に近づいた時、私は御聖体への尊敬の表現として片膝をつき、御聖体を拝領するためにそのままの姿勢でいました。ブラウン司教様は私に御聖体を拝領させるのを拒否しました。ブラウン司教様は「あなたは立たなければなりません」と言いました。
私はショックを受け、動くことも答えることもしませんでした。すると彼は手を伸ばして私の組んだ手をつかみ、立たせるために私の体を引き上げようとしながら、「あなたは立たなければなりません」と更に厳しく言いました。
私は見上げて、静かに、そして丁寧に、「どうかお願いします、司教様」と小声で言いました。すると彼は更に大きな声で「立ちなさい」と言いながら、私の腕をつかみ、立たせようとするかのように私を引っ張りました。(不明瞭ですが、ビデオでも、彼がかがんで私をつかむために右腕を伸ばしているのを見ることができます。)
私はただ単純にわからなかったので、跪いたまま、とても静かに、「何故ですか?」とお尋ねしました。
すると彼はまっすぐに立ち上がって、とても大きな声で、そして厳しく答えました──「何故なら、それが私達が御聖体を受ける方法だからです。さあ、立ちなさい。あなたは面倒を引き起こしています。」(太字は司教様が大きな声で言った言葉です。ビデオを一場面ずつ見ていけば、その時多くの人々が──聖体拝領の別の列にいる若い女性とその母親、そして司教様の右前にいたパスク・アルグエン神父様などが──司教様の方に振り返ったことがわかります。)
私は起こったことに混乱して、無言の祈りのうちに頭を下げました。そしてこの神聖な時にベンゾーニ神父様にこれ以上の当惑を与えたくなかったので、私は立ち上がって御聖体を受けました。
管理人
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