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神秘家マリー-ジュリー・ジェニー

記念日:3月4日
Marie-Julie Jahenny
(1850-1941)
聖なるカトリック教会の完全に承認された神秘家
プロフィール [1]
マリー-ジュリー・ジェニー。La Fraudais の神秘家にして聖痕受領者。彼女は1850年2月12日、ブリタニー地方(フランス西部)の Blain という小村で生まれました。五人の子供達の中の最年長として、素朴で善良な両親によって、ブルターニュ人の性質として有名な強い信仰の中で育てられました。われらの主は、彼女の初聖体の頃から、多くの恩寵をもって彼女を祝福せられました。彼女が常に増加する信心を持っていたからです。二十代前半に、彼女は彼女自身に聖性をもたらすためにフランシスコ会第三会に入会しました。
1873年、彼女は天国から最も注目すべきギフトを受け取りました。聖痕です。23歳からその約60年後の死に至るまで、彼女は、教会の歴史の中のどの聖痕保持者よりも顕らかに、われらの主の御傷を運びました。御手、御足、御脇腹の聖なる五つの御傷に加えて、茨の冠による御傷、また主の至聖なる御頭と御肩にのしかかる十字架による御傷をもそれぞれに苦しみ、鞭打ちによる御傷、主がロープによって縛られた時の御傷をも、他のより神秘的な性質の御傷と同様に苦しみました。
後に、マリー-ジュリーは、共贖者的な苦しみの(犠牲の霊魂としての)生涯を、Blain の近く、La Fraudais の村落にある小さな小屋で過ごしました。彼女はこのようにして、彼女にフランスと世界の罪に対する償いをさせようとするわれらの至聖なる主の御願望を満たしました。彼女は、多くの預言の賜物と同様に、主イエズスと聖母からの示現をも受けました。
彼女がその控えめなメッセンジャーでいなければならなかった天からの警告の真実性は、彼女の顕著な単純さと正直さとによって、また彼女の霊的指導者と司教に対する模範的な従順によって、そしてもちろん彼女の長い生涯に渡って預言された全ての事柄が現実のものとなったことによって、その正しさが証明されています。変わることのない正確さで、彼女は、二つの世界大戦、教皇ピオ十世の選出、教会に対する様々の迫害、背教者フランスへの懲罰とその運命を予告しました。多くは開示されていません。終わりの時に関する彼女の警告は「耳のある」全ての人々によって読まれなければなりません。
彼女は、聖別されているパンと聖別されていないパン、祝福されている物とそうでない物を見分ける素晴らしい賜物に恵まれていました。遺物の由来を言い当てることができ、また最終的には幾つかの言語での聖歌と典礼の祈りを理解しました。1875年12月28日からの5年間、彼女はご聖体のみで生き延びました。Dr. Imbert-Gourbeyre が記録したように、この全期間を通して、液体であれ固形であれ排泄はありませんでした。彼女は脱魂状態にある時、痛みにも強烈な光にも全く無感覚でした。これらの脱魂状態のうちの幾つかには空中浮揚が伴いました。その瞬間、彼女は恍惚として喜びに輝きました。
マリー-ジュリーは、彼女を常に検査していた多くの科学者達にとっては不思議の的であり、無神論者と誇り高ぶる者達にとっては冷笑の的であり、彼女の生涯の友人であったナントの司教モンシニョール Fourier や彼女のメッセージを恩知らずで不注意な世界に普及させることを生涯の仕事とした献身的な人々のグループにとっては感嘆の的でした。彼女は1941年3月4 日、天国の報いに向けて旅立ちました。
盲目になり、耳が遠くなり、口がきけなくなり、無力になって、彼女はその生涯の最後の長い期間を、御聖体だけによって奇跡的に生き延びました。それ故、確かに私達は、私達の悲しむべき日々のために主が彼女に打ち明けられたことを軽く受け流したりはしないでしょう。
預 言
彼女は我らの主とルシファーとの会話のヴィジョンを見ました。ルシファーは言いました:
「私は教会を攻撃するだろう。私は十字架をなぎ倒す。私は人間どもを大量に殺す。私は人間どもの心の中に信仰における大きな弱さを堆積させる。そこにはまた信仰の大きな否定もあるだろう。私が全てのことの支配者になる時のために、あらゆるものが私のコントロール下に [2] 置かれる。あなたの教会でさえも、そしてあなたの全ての人々さえも。」
「聖ミカエルは言いました。サタンはしばらくの間あらゆるものを所有するだろう。そして全てのものを完全に支配するだろう。全ての善きこと、信仰、宗教は墓に埋められるだろう... サタンとその配下は凱歌をあげるだろう。しかしその勝利の後、天主は立ちあがり、彼自身の人々を集めるだろう。そして統治し、悪魔に勝利し、墓の中から埋もれた教会と倒れた十字架を立ち上がらせるだろう... 」
マリー-ジュリーは、
「聖なる犠牲の痕跡は少しも残っておらず、信仰の明らかな跡は何一つなく、至る所に『混乱』がある」のを見ました。[3]
「間違うことのない教会によって承認された全ての仕事は、しばらくの間、今日のように存在することをやめるだろう。この悲しい全滅において、輝かしい印が地球の上に現われるだろう。もし人々の悪のために聖なる教会が暗闇に閉ざされるなら、天主は、悪を見つけてそれを止める暗闇を更に送るだろう...」
1902年11月27日と1904年5月10日に、我らの主と聖母は「新しいミサ」を発明する陰謀について明かされました。
《私はあなたに警告する。わが福音の内にはない弟子達が、現在、彼らの考えに合わせて、霊魂達の敵の影響のもとに、ミサを私にとって不愉快な語を含むものに改変しようとして激しく働いている。》
《私の司祭達がテストに付される致命的な日が到来した時、この第二の期間において祝われる(のはこれらの言葉)であろう... 第一の期間は、私から続いている私の司祭職(の期間)である。第二の期間は、信仰と聖なる宗教の敵達が第二の祝賀の本の中の(彼らの式文を押し付ける)迫害(の期間)である.. これら忌まわしい霊魂達は、私を磔にした者達であり、新しいメシアの王国を待望する者達である。》[4]
マリー-ジュリー・ジェニー(1881年6月)
「彼ら[司祭達]の逸脱において、彼らは彼らの誓いを破るだろう。命の書は “愛情を引き裂く” 者達の名前のリストを含んでいる。
「神の使徒達に対しての尊敬が少ないために、信者の群れは不注意を育て [5] 、法を守ることをやめる。司祭自身がその尊敬の欠如に責任がある。何故なら、彼らは自分の聖なる職務と、その聖なる働きにおいて自分が占めている場所とを、十分に尊敬しないからである。信者の群れは司牧者達の先例に倣う。これは大きな悲劇である。
「聖職者達は、彼らの考えられないほどの変わり易さと彼らの役割とは相容れない大きな臆病 [6] のために、ひどく罰せられるだろう。
「過酷な懲罰が、毎朝聖なる犠牲の祭壇にあがる人達のために用意されている。私は拷問を受けるためにあなた方の祭壇に来たわけではない。私は他の何物よりもそのような心から100倍もの苦しみを受ける。私はあなた方の大いなる罪を許す、私の子供達よ。しかし私はこのような司祭達にはどんな赦しも与えることはできない。」
彼女[マリー-ジュリー・ジェニー]は、来るべき危機に責任があるのは「信者の群れを治める人々」だろうと言います。明らかに、教会がその信仰をよく保っていたなら、共産主義が勃興することはなかったでしょう。彼女は、司祭達と司教達によって享受される増大する自由について、また、彼らがそれを如何に悪く使うかについて話します。
彼女は、一人の教皇が、最後の瞬間に、彼のポリシーを翻して聖職者達に荘厳なアピールをすることに言及します。
しかし彼は従われません。反対に、司教達の会議は更に大きな自由を要求し、もはや教皇には従わないと宣言するでしょう。[7]
そしてマリー-ジュリーは言葉を継いで、それから「赤い革命」が始まる、と言います。彼女は、カトリック教会に取って代わることになる「恐ろしい宗教」について話し、「多くの、多くの司教達」がこの「冒涜的で忌まわしい宗教」を受け容れるのを見ます。
マリー-ジュリーの新しい典礼に関する預言:
1902年11月27日(編集者メモ:不思議のメダイの聖母のご出現[1830年11月27日]の第72回目の記念日)及び1904年5月10日に、われらの主は、ある日開始されることになる新しい典礼について警告なさいました。
「私はあなたに警告する。わが福音の内にはない弟子達が、現在、彼らの考えに合わせて、霊魂達の敵の影響のもとに、ミサを私にとって不愉快な語を含むものに改変しようとして激しく働いている。私の司祭達がテストに付される致命的な日が到来した時、この第二の期間において祝われるのはこれらの言葉であろう。」
「第一の期間は、私から続いている私の司祭職の期間である。第二の期間は、信仰と聖なる宗教の敵達が第二の祝賀の本の中の彼らの式文を押し付ける迫害の期間である。私の聖なる司祭達の多くは、深い断絶の言葉によって締め出され、この本を拒絶するであろう。残念なことに、彼らの中にもこれを受け入れる者達がいるであろう。」
1904年5月10日、聖母は新しい聖職者とその典礼について描写なさいます:
「彼らはこの憎むべき、神を恐れぬ道の上で立ち止まることがないでしょう。彼らは、突然、一撃のもと、聖なる教会、聖職者、そして私の子供達の信仰を危うくするために、更に遠くに進むでしょう。」
彼女は、教会自身によってされる「司牧者達の分散」について明かされます; 真の司牧者達、彼らは地獄によって作られた他の者達と置き換えられるでしょう:「...新しい秘跡の新しい宣教者、新しい教会、新しい洗礼、新しい奉仕会」
1880年7月7日、イエズスはマリー-ジュリーにお語りになります:
《教会はその最高権者を奪われ、その指針はもはや(…)だろう。教会の最高権者は甚だしく迫害されるだろう。》
1880年11月4日の脱魂の際に、マリー-ジュリーは私達に教皇の殉教について描写します:
《ぼんやりとした溜め息とともに、教会の声が私の霊魂のドアを破りに来ます。その死際の声の反響が聞こえます。教皇は、彼の人々に向かって、彼がその父親である子供達に向かって、辛いスピーチを始めます。私の霊魂は剣で刺し貫かれるようです... 私は、そのくちばしで彼の血を持ち去る白い鳥達、そして彼の肉片を見ます。私は、神の人のように釘で貫かれるペトロの手を見ます。私は、彼が祭壇に天主を招くために彼の威厳を整える祭服がずたずたに引き裂かれるのを見ます。私はこれら全てをはっきりと見ます。ああ! それを見るのは私の苦しみです!》
暗黒の三日間
暗黒の三日間のことはパードレ・ピオを含む多くの聖人達によって預言されてきました。マリー-ジュリー・ジェニーは、この地上を歩き、私達に来るべき懲罰のことを警告した多くの聖なる人達の中のただ一人に過ぎません。
マリー-ジュリーは、地獄の力が解き放たれて神の全ての敵を滅ぼす暗黒の三日間について語りました。
「災厄は突然、爆発的に起こります。罰は全ての人に共有されて、間断なく次々に起こります... 」(1884年1月4日)
「暗黒の三日間は《木曜日、金曜日、土曜日に起こるでしょう。われらの御母と十字架の聖なる秘跡の日々... 》三日に一夜足りない三日間。[8]
「《地球が暗闇で覆われると》──1882年9月20日に聖母が言います──地獄が地上に解き放たれるでしょう。雷と稲妻は、私の力に対する信仰も信頼もない人達が恐れの中で死ぬことを引き起こすでしょう。」
「この恐ろしい暗黒の三日間の間は、窓を開けてはなりません。何故なら、誰一人、即座に死ぬことなしには、この懲罰の日々の地上と凄まじい色を見ることはできないからです... 」
「空は燃え、地表は割れるでしょう... この暗黒の三日間の間、あらゆるところに祝別されたロウソクを灯しなさい。他の明かりは灯りません... 」
「屋外にいる人は誰一人生き延びないでしょう.. その審判の時、地球は揺れ、恐れは大きいでしょう。はい、私達はあなたの友人達の祈りを聞くでしょう。誰ひとり死にません。私達は彼らに、十字架の栄光を広めて欲しいのです... 」(1882年12月8日)
「この恐ろしい暗闇の間、祝別された蜜蝋のロウソクしか光を与えてくれないでしょう。この地獄の夜を越すために、一本のロウソクだけで間に合います... 悪人達と冒涜を行なう者達の家では、これらのロウソクは灯ることはありません。」
「そして、聖母は言います:《祝別されたロウソクがその上で灯っている家具──これは震えません──以外、全てのものが震えるでしょう。あなたは十字架像と私の祝別された絵の周りに全ての人を集めなければなりません。このようにすれば、これらの恐怖から身を遠ざけておくことができるでしょう。》」
「この暗闇の間、悪魔達と悪人達は最も醜悪な姿をしているでしょう... 赤い雲が空を流れるでしょう。雷の轟は地球を揺らし、不吉な稲妻は季節外れに空を染めるでしょう。地球はその土台から揺らされるでしょう。海は隆起し、猛り立つ波は大陸を覆うでしょう... 」
「《地球は巨大な墓地のようになるでしょう。》悪人と善人の屍が地表を覆うでしょう。」
「地球の人口の四分の三は消えるでしょう。フランスの人口の半分は滅ぼされるでしょう。」
(Marquis de la Franquerie 著『マリー-ジュリー・ジェニー』)
管理人注
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この「プロフィール」の内容は前に訳した「われらの至聖なる主は新典礼について警告する」のとほとんど同じですが、この段落だけ、前の記事にはなかったものです。
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「信心の園」さんの記事にこういうのがあります。
聖母は19世紀末に、殊に20世紀においてサタンはフリーメーソンの学派の手段によってほぼ完全に支配するであろう事を預言されました。
[]
同じく「信心の園」さんの同じページに、こうあります。
彼は誤った羊達をその群れに連れ戻すであろう。そして一つの信仰、一つの法、一つの生命の規則、地上の一つの洗礼があるであろう。全ての人々は互いに愛し合い、善を行い、また全ての口論と戦争は終結するであろう。
私達が今している議論も既に一つの十分なる「混乱」です。しかしこれもいつか必ず終息するのでしょう。
(しかしながら、よく聞かれるのは次のような言い方です──「この程度のもの(混乱)は何時の時代にもあった。カトリックはもともとこの程度のものは容易に受容する “器の大きさ” “懐の深さ” があるのだ」。私は、これは違うと思う。「混乱する度量」なんてありはしない。混乱は混乱である。)
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『われらの至聖なる主は新典礼について警告する』の時とは違って、今回のこの段落においては、(のはこれらの言葉)とか、(彼らの式文を押し付ける)とかいう括弧付きの表記がされていて、これらの部分がマリー-ジュリー・ジェニーの最初の言葉そのものではなく何らかの後からの付け加えであることがわかります。私達は物事を見る際に十分フェアーであるようにしたいと思います。では、問います、これは編集者がこの預言を自らの持論の正当化のために、その道具にしようとして、自分に都合のいい表わし方にしようとして、いわゆる我田引水しようとして、アンフェアーな心によって挿入したものでしょうか?
[]
一般信徒ももうこのような(あっちこっちミサin京都)「不注意さ」を持ってはならないと思うのです。
[6]
同じ人を何度も吊るし上げるようで申し訳ないが、鹿児島の郡山司教様のこのようなこと(本田哲郎神父に対するご対応のこと)は確かに「彼らの役割とは相容れない大きな臆病」の一つだと思う。おそらく彼は彼自身の「役割」において、僅かにご自分のブログの中でチラッと触れることの他には、本当に何一つしなかったのだろうから... 。
[7]
これは明らかにもう始まっている。彼らは既に実質上、私達が普通に想起するところの「自治」を聖座に対して要求している。しかもそのような各国司教団の姿勢が正当なものであるのかどうかについての「議論」が大真面目な顔をして大手を振って歩く時代である。私達はここでも、「ああ、そのようなことは昔の時代でも沢山あった」などと言ってはいけないと思う。今度ばかりは。
[8]
three days less one. 英語力の低劣な私はこれを初め「一夜ではなく三日間」というおバカな訳をしてしまいましたが、一人のご親切な信者さんからこれは「一夜足りない三日間」ではないかというご指摘を頂きました。皆さん、ご存知でしたか?(恥ずかしいっ(><;))つまりこの「三日間」とは「木曜日、金曜日、土曜日、しかし土曜の夜は除く、土曜の夜に入る前には終わる」ということらしいです。なるほど。
またその方は、この三日間は「聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日」ではないか、ともおっしゃっています。実は私もマリー-ジュリーへの預言に関する英文の他のどの記事を見ても曜日の頭文字が大文字になっているので、そうではないか、きっとそうに違いない、と思っていました。しかしそうかといってハッキリと “Holy” が付いているわけではないし、尊敬すべき信仰の大先輩である「信心の園」さんもこれをただ「木曜日、金曜日、土曜日」としているので、私も慎重にそれに倣いました。しかし、これはおそらく「聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日」でしょうね。頭文字が大文字になっているし、尚且つ「(それは)われらの御母と十字架の聖なる秘跡の日々(である)」となっているから。
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