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なぜ彼らはミサで私達が跪くことを望まないのか

2002年4月
ヘレン・ハル・ヒッチコック
(Adoremus Bulletin の編集者長)
跪くことは、真実のところ、何を意味しているのでしょう? なぜ人々はミサで跪くことを「望む」のでしょう?
アメリカの司教達が典礼を修正することを考えていた数年の間に表面化したかなり「頭の痛い」問題のうちの一つは、ミサのいろいろな箇所での人々の適切な姿勢の問題です。
ある時期、「人々が奉献の祈りの間、跪くかわりに立っている」ということが提案されましたが、この考えは司教達の投票によって否決されました。一部の典礼学者達は、「奉献の祈りの間、また聖体拝領の前後でも、人々は立っていることが適切である」と活発に主張しました。
人々の跪きという長年の習慣を変えさせるために最もよく引き合いに出される論拠は、次のようなものです。
  1. 跪きは懺悔の姿勢であり、個人的なものだが、ミサは喜びであり、共同体のものである。それ故、a) 懺悔の儀式にあっては跪きはオプションとして認められるかも知れないが、b) ミサにあっては、聖体拝領の前後と同じく奉献の祈りの間も、人々は立っているべきである。
  2. ミサでの跪きは中世にできたものであり、大君または王子の前での儀礼として跪いたその封建的な習慣の結果である。封建時代以前のカトリックの礼拝で跪きが行われていたという事実は知られていない。
  3. 「原始教会」と東方教会では、跪かなかったし、今も跪かない。(そして、大部分のプロテスタントはそうしない。)したがって、歴史的かつエキュメニカルな理由のために、今カトリックは跪きの習慣を止めなければならない。
  4. 第二バチカン公会議以降の典礼に関する指針は、公共的な儀式から跪きを取り除いた。何故なら、聖餐の神学が第二バチカン公会議によって根本的に変わったからである。
  5. アメリカの司教達は1969年のローマ・ミサ典礼書の総則の改訂の際に、奉献の祈りでの跪きだけを対象として投票した。このことは即ち「その他すべての箇所での跪きは取り除かれるべきだ」ということを意味する。
  6. ミサ中の跪きを行っているのはアメリカの教会だけであり、教会の統一の観点から跪きは取り除かれるべきだ。跪くことに固執する人々は教会の統一に背き、司教への服従に反し、公会議の新しい典礼神学に背くものである。
「教会が第二バチカン公会議で聖餐の神学を変えた」という意見は、明らかに成り立ち得ません。教会の権威が、アニュス・デイの後であれ聖体拝領の後であれ、ミサ聖祭から跪きという伝統的な習慣を根絶しようなどという意図を持たなかったことは明らかです。1) 跪きの習慣は公会議から今に至る迄、保持されています。2) 伝統的に跪く箇所に関する記述を含んだ規定のリストは、1966年に司教典礼委員会によって発表されました(BCLニューズレター 1966)。3) 新しいローマ・ミサ典礼書の総則は、会衆が感謝の賛歌が終ってから奉献文の結びまで跪くことを続ける習慣があるところでは、これは「尊敬をもって保たれる」と再確認しています。
公会議の後、1966年に、米国司教典礼委員会のニューズレターは、習慣的に実行されている跪きのことを含めて、ミサ中の姿勢に関する初期の(1964年)規定リストを再版しました。以来、伝統的な跪きは、最近のわずかな例外規定を除いて、常に保持されて来ました。(奉献の祈り以外の箇所から跪きを取り除くことを支持して非常にしばしば引き合いに出されるローマ・ミサ典礼書の総則第21項〔旧番号〕の「適応」に関して1969年に行われた司教達の投票をめぐる混乱した状況は、1999年6月の当サイト記事「すべての膝はかがまなければならない──しかし、いつ?」で調べられました。)
「ミサの間に跪くことが米国に特有なことである」などということは、単純に偽りです。たとえばスコットランドでは、御聖体拝領の際に聖体拝領台で跪くことを含めて、人々はミサの全体を通してほとんど跪きます──このことは公会議以前の「読誦ミサ」では一般的な習慣でした。またヨーロッパの他の国においても、この筆者(私)の経験では、座席があまりに窮屈でそれができない場合を除けば、少なくとも奉献の祈りの時には、一般的に跪きが行われています。そしてまたしばしば同様に、御聖体が聖櫃の中に戻されて信者が座るまで、御聖体拝領の前後においても、跪きは行われています。
敬意は「対立的」か
跪くことを禁止する最近の努力は、信者席からの、また同様に多くの司教達からの、かなりの抵抗に遭いました。「すべての信者が御聖体拝領を終えるまで立っていなければならない」と人々が命じられる教会では、礼拝者達は操作されていると感じ、また彼らの司祭や司教に従いたいという願いと御聖体の主に敬意を表わしたいという願いの間で迷うことになります。
多くのカトリック信者は、2001年の司教会議で司教達が跪きの習慣と御聖体に対する崇敬を擁護したと聞いて非常に励まされ、また司教達がローマ・ミサ典礼書の総則の第43項への提案された適応においてアニュス・デイの後と御聖体拝領後の跪きを維持する票決をしたと知って、とても安心しました。しかし会議のこの決定は、幾らかの司祭と司教によって無視されています。
皮肉を言うわけではないのですが、「進歩的」変化のためのエージェント達は、跪きの習慣を保持したい人々のことを「対立的」と呼びます。
「進歩的」典礼学者達のここ30年以上にわたる意見を検証してみると、跪きを抑制したいという願望は教会のヒエラルキーを否定したいという活発な推進力と極めて密接な関係がある、ということがわかります。そのゴールは、司祭(ミサの中でキリストのいけにえを再現し、「かの唯一の司祭」を体現する者)と信者達(御聖体の主を受ける礼拝者達)との区別を根絶することです。(またこのゴールは、多くの修繕された教会の内部を根本的に再編成することでもあります。)
そして再び皮肉にも、そのような見解を持つリーダー達はしばしば、人々を従わせるために強制的な戦略──教会の本質についての彼らの根本的な平等主義の理論とはひどく矛盾するような方法──を使います。
「強要」対「聖職者の分別」
フランシス・マニオン司教は、「Our Sunday Visitor」の最近のコラムで、「『人々が聖体拝領に向う時、後ろの列の人々から始めて前の列の人々へと進まなければならない』と強要する司祭、また、『すべての人々が聖体拝領を終えるまで、信者は立っているべきだ』(彼はこれを「典礼の流行」と言います)と要求する司祭は、明らかに教会の標準的な習慣を彼自身の特定の趣味に任意に合わせているのであり、会衆のメンバー達に対して『彼を満足させること』を要求しているのだ」と述べました。「彼が『強要』の力に訴えるということは、司牧者としての智慧分別における彼の過失を意味している」とマニオン司教は言います。[“私達はミサの間中立っていなければならないか?”Our Sunday Visitor 2002年2月24日号 p16]
「ミサのある箇所で信徒が立っていることを許す」という典礼書総則第43項についての聖座の意図は、アメリカの司教達の問い合わせに答える典礼秘跡省からの書簡によって、明らかにされました。その書簡で典礼秘跡省は、「聖座は、人々の跪きが排除されるべきであると意図していない」とはっきりと言いました。(参照:Adoremus Bulletin 2000年12月/2001年1月号 典礼秘跡省からの書簡
これはほとんど驚くべきことではありません。聖座はいつも、どのような文化のものであれその真実な表現を制限するような規則を押し付けることに非常に慎重だからです。そして崇拝と敬意の行為としての跪きは、新約と旧約の両方の文化に非常に深く埋め込まれているものです。
聖書は何と言っているか
聖書からの以下の引用は、「跪くことは領主に対する農奴の隷属の表現として封建制時代にその起源を持っている」(ある種の典礼学者達は未だにそのように主張していますが、この命題は逆に「封建領主の前に跪く行為が、神の前に跪くことから来ている」という見方を立てることも全く同様に可能なものです)ということを否定するものです。そしてまた聖書からの以下の引用は、この姿勢が単に決して懺悔の表現であるだけではないということを示しています。
これらの聖書の箇所が明らかにするように、跪きの動作は、極めて古くからの、多面的な意味を持つ表現です。崇拝、尊敬、自発的な服従、祈り、敬意、嘆願(petition)、懇願(supplication)と忠誠などを、それは表現します。跪きは太古からの、公共的と個人的の両方での習慣的な姿勢でした。
旧約・新約における跪き [1]
創世記 41:43 - そして彼 [ファラオ] は... 彼 [ヨゼフ] を自分の第二の車に乗せたが、彼の前に「アブレッック!」[2] という叫びがあげられるのであった。[尊敬、統治者への服従]
列王の書上 8:54 - さて、サロモンは、主にたいする、この祈りと願いとをおえてのち、主の祭壇のまえに立ちあがった。それまで、かれは手を天にさしのべて、ひざまずいていたからである。[祈り、嘆願]
列王の書上 19:18 - だが、私は、イスラエルのなかで、七千人の人、つまり、バアルのまえにひざまずくことも、くちづけすることもしなかった人々を、私のために残すであろう。[崇拝、敬意]
列王の書下 1:13 - 王は、三度目も五十人の兵士をひきいた、五十夫長を送った。この人は山をのぼり、エリアのまえにひざまずいて、「神の人よ...」[嘆願]
歴代書の下 6:13 - ソロモンは、青銅で演壇をつくり、中庭のまん中においたのであった。演壇は、長さ五キュビット、高さ三キュビットであった。王は、そのうえにのぼり、イスラエルの全会衆のまえで、ひれふして [3] 天に手をあげ、いった... [公的な礼拝、祈願、神への敬意]
エズラの書 9:5 - 夕べの供えの時間になると、私は失望から気をとりもどし、さいた服とマントのまま、ひざまずき、それから、私の神である主にむかって手をあげて、祈った。[悔悛、嘆願]
ダニエルの書 6:11 - 書類に署名されたことを知ったダニエルは、家にかえり、上のへやの、イエルザレムにむかって開いたまどで、いつもそうしていたように、日に三度ひざまずいて、神に祈り、神をあがめた。[嘆願、礼拝]
イザヤの書 45:23 - 私は、私自身をさして誓った。私の口からでるのは、真理であり、とりもどしえないことば、である。そうだ、私の前に、すべてのひざは、かがみ、すべての舌は、私によって、ちかいを立てる。[公的な礼拝、神への敬意]
詩篇 95:6 - 来て、集まれ、礼拝の頭を垂れ、ひれ伏し、つくり主、主のみ前に、ひざをかがめよ。[公的な礼拝、神への敬意と謙遜]
マテオ 8:2 - そのとき、一人のらい病人がきてひれふし、「主よ、あなたがおのぞみなら、私をお治しくださることができます」といった。[祈り、嘆願]
マテオ 9:18 - こう話しておいでになると、一人の司が近よってひれ伏し、「私の娘が、いま死にました。ですが、あの子のうえに、あなたの手をのべにおいでくだされば、あの子は、生きかえりましょう」といった。[祈り、懇願]
マテオ 15:25 - 女が来て、ひれ伏し、「主よ、私をお助けください」というと... [祈り、懇願、嘆願]
マテオ 17:14, 15 - それから、かれらが群衆のほうに帰ると、ある人がきてひざまずき、「主よ、てんかんにかかって重態になっている私の子をあわれんでください...」[忠誠、嘆願]
マルコ 10:17 - さて、イエズスが道にお出になると、一人の人が走りよってきてひざまずき、「よい先生、永遠の生命をうけるために、私はどうしたらいいのでしょう?」とたずねた。[忠誠、謙遜]
マルコ 15:19 - また、おん頭を葦竹でたたき、つばをかけ、ひざまずいてひれ伏してみせた。[崇拝の偽りの真似]
ルカ 22:41 - そしてご自分は、かれらから石をなげてとどくほどの距離をへだてて、ひざまずいて祈りつつ... [礼拝、嘆願]
使徒行録 7:60 -(ステファノは...)それからひざを折ってたおれ、「主よ、この罪をかれらに負わせないでください!」と大声で叫び、そうして眠りについた。[懇願]
使徒行録 9:40 - ペトロはかの女たちをみな外に出して、ひざまずいて祈り、死体のほうを向いて、「タビタ、起きなさい」というと、かの女は目をひらき、ペトロをみて坐りな直した。[祈り、祈願、嘆願]
使徒行録 20:36 -(パウロは)こういい終って、ひざまずき、みなとともに祈った。[公的な礼拝]
ローマ人への手紙 11:4 - そしてみ声はなんと答えられたか、「私は、バアルの前に膝を屈しなかった七千人を、私のために残しておいた」と。[礼拝、敬意]
ローマ人への手紙 14:11 -「主はいわれる。私のいのちにかけてちかう、すべてのひざは私の前にかがみ、すべての舌は神を讃美する」とかきしるされている。[敬意、公的な礼拝]
エフェゾ人への手紙 3:14, 15 - さて私は、(主イエズス・キリストの)父のみまえにひざまずこう──父から天と地とのすべての家族が起こったからである──。[敬意、嘆願]
フィリッピ人への手紙 2:10 - それは、イエズスのみ名のまえに、天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものもみな膝をかがめ、すべての舌が、父なる神の栄光をあがめ、「イエズス・キリストは主である」といいあらわすためである。[敬意、崇拝、嘆願、忠誠]
管理人注
ここでの訳文は全てバルバロ訳を採用しました。
アブレック!
「ひざまずけ!」、あるいは「注意!」という意味らしい。
バルバロ訳では「アブレック!」となっているから、そうしておきましたが、この英文記事では「Bow the knee!」となっています。
ひれふして
日本語訳でこのように「ひれふして」となっている箇所でも、英語では「knelt upon his knees」とか「knelt before 〜」とかになっていることが多いようです。他の箇所の「ひれふして」も同様です。
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