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ワールド・ユース・デイの何が問題なのか

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What’s Wrong with World Youth Day?
マリアン・T・ホーバット博士
書評
コルネリア・フェレイラ/ジョン・ヴェナリ共著『ワールド・
ユース・デイ - カトリシズムからカウンター・チャーチへ』
2005年6月『Catholic Family News』誌掲載
若者達が教皇を迎えるために共に集い、彼らのカトリック信仰を祝い、他者に伝道するためにそれについて更に学ぶ──と言えば、とても善いこと、健全なことのように聞こえる。1985年にローマでヨハネ・パウロ2世によって始められ、世界中の都市で18回以上繰り返されてきたワールド・ユース・デイ〔Wiki-ja〕に、何か問題があり得るだろうか。1993年、合衆国はデンバーでそれを主催した。2002年7月はカナダのトロントの番だった。
私はたびたび親達に、ワールド・ユース・デイについての「懸念」を話した。しかし、まず間違いなく、彼らはそれを合理化する。曰く、教皇様がそこにいらっしゃるから大丈夫に違いない、司教様達もそれをサポートしているし、教区の神父様方や CCD〔要理を教える奉仕会のようなものらしい〕のディレクター達も若い男女の群れをちゃんとそのイベントに導いているのだから [1] 。しかし、最後のフレーズのところで警報が鳴り出していなければならない。大家族のキャンプ旅行か夜通しの軍事退却〔overnight retreats;夜通しの静修?〕でもあるかのように若い男女が入れ乱れて共に旅することは、かつては常にカトリックのモラルに反したことと看做されていたものである。この見慣れぬ新しい習慣は原罪のリアリティを無視している。彼らは第二バチカン公会議後の新しい緩んだモラルに従っている。[2]
2002年  トロント
2008年  シドニー
この新しいカウンター・チャーチの教義を明らかにし、また、その教義がどのようにして平等主義的で汎宗教的なワールド・ユース・デイを形成したのかを明らかにするために、コルネリア・フェレイラとジョン・ヴェナリは、ワールド・ユース・デイで何が起こっているかに関する表から見た報告と裏から見た報告という異なった手法において力を合わせている。
CFN のエディターであるヴェナリは表のストーリーを描いている。2002年7月、彼は、何が行なわれているかに関する目撃者証言を提供するために、カナダのワールド・ユース・デイに参加することを決意した。彼は、"そのイベントはどのように、再構成されたバチカンIIチャーチの部分であるか” についての広範な研究をしている評判の高い著述家であり話者であるコルネリア・フェレイラの家族と共にそこに留まった。二人の著述家は互いの努力を結合することにした。それは私達に彼らの新刊『ワールド・ユース・デイ - カトリシズムからカウンター・チャーチへ』を与えることになった実り多い結合であった。
今や、ワールド・ユース・デイについての健全な疑いを持った親達は、そこで何が起こっているかについて、また、それを焚きつけている悪しき考え方と変えられた教義について、その両方について知るための確かな資料を手にするに至った。
第一部: チャーチからカウンター・チャーチへ
第二バチカン公会議以来、カウンター・チャーチにおいて、いくつかの標語が共通の合言葉となった。ミセス・フェレイラは、「共同体」という言葉、また「巡礼」という言葉が、教会の新しいコンセプトを作るためにどのように操作されてきたか、について明らかにしている(第1章)。宗教教育プログラム(RCIA)、教区会議、ワールド・ユース・デイのようなイベントは、みな、「共同体」を促進するために使われている。
しかし、注意すべきは、私達はもはや通常のカトリックの教会生活について話しているのではないということである。私達は、他の宗教信条を持った人々を含めた、更に、どのような宗教信条も明言しない人々をさえ含めた、一つの拡張された共同体について話している。その考え方は、すべての人達が対話のテーブルに共につくことができるために教義を脇に置く、あるいは他の人々のために「良いことをする」ということである。それは壮大で宇宙的な人類同胞主義、境界なしの統一である。ヨハネ・パウロ2世が若者達への説教においてたびたび語ったところのものである(118ページ)。
2002年  トロント
ワールド・ユース・デイのプロパガンダはまた、絶え間なく巡礼を呼びかける──「巡礼者としての若者」「巡礼の途上にある若者」と。しかし、言葉は再び変わっている。巡礼」はもはや聖なる場所への旅を意味していない〔何と馬鹿馬鹿しくも明らかなことであることか!〕。それは「自己発見」のための、自分自身のスピリチュアリティを発見するための、進化論的な旅になってしまっている。ワールド・ユース・デイのセッションは若者達に、権威と「古いやり方」に挑戦するようにと、そして宗教的諸問題に対する時代に合った新しい解決策を見出すために共に働くようにと、励ましている。あなたの在り方を明確化する価値を見出すためにこの輪の中に加わりなさい、と若者達は言われ、その通りに動いている。
それは「信仰のプロセス」の中のより高いステージであると考えられている、とミセス・フェレイラは書いている。それは、定義済みの教義を持ち、モラルを堅く定める教会よりも、おそらく勝れているであろう新しい民主的な教会、そして「永久に教会になりつつある教会」であると(30〜36ページ)、実際、ドグマは統一の原理であるよりも分断の原理なので避けなければならない、それは共同体を建設しない、と考えられていると。
ワールド・ユース・デイの偽りの精神
ワールド・ユース・デイの精神とは何か。ミセス・フェレイラはそれを子供じみたもの、また人造のものとして説明する(第3〜4章)。それはその呼び名からして偽物である。それが言うところの「ユース(若者)」は35歳までという成人の広い範囲を受け入れている。そのイベントは「デイ(日)」ではない。それはポップ・コンサートやロック・コンサートなどの “大きなパーティ” を中心に回る予定された「経験」の一週間にまで拡張されている。
その祝祭は麻薬的である。若者達は自らを祝う──「私達は若者だ。世界の未来だ!」「私達は世の光だ、そして地の塩だ」。その「福音宣教」の向かうところは一つの茶番(charade)である。他の人々にカトリック信仰の真理を伝えるのではなしに、若者達は互いにハグし合い、あらゆる宗教の人々と、またあらゆる宗教信条の人々と「経験を分かち合う」。そのイベントのファシリテーター〔進行補佐役〕達はカトリック教徒であることさえ要求されていない。[3]
2002年  トロント
2005年  ケルン
2011年  マドリッド
動画
その「統一」の向かうところもまた茶番である。何故ならそれは「あらゆる宗教は救いにつながる。偽の宗教信条が持つところのあらゆる神々が一にして真なる神と並んで崇拝され得る」とする偽の前提の上に立っているからである。たとえばカナダでは、カトリック教徒達は「伝統的な祈りの儀式」として紹介された異教のインディアンの「グレート・スピリット」に向かう儀式に参加したものである(90ページ)。
ワールド・ユース・デイで「無関係」と思われているもう一つのアイテムは、過去の道徳規範である。ミセス・フェレイラは、「ローマでは──それは『カトリック版ウッドストック』とあだ名されたものだが──サンピエトロ広場では、むき出しの肩と裸の上半身、そして超ミニのスカートが許容され、教皇ミサでは*、薄地のコスチュームに身を包んだ踊り子達が取り入れられた」と書いている。[4]
トロントでは、巡礼者達は「上半身をビキニの水着に着替え、メイン会場の噴水のところで浮かれ騒いだ」(64ページ)。教皇ミサの前夜には──世俗の報道はそれに「教皇のパジャマ・パーティー」というあだ名をつけたものだが──若者達は男も女も一緒になって戸外で、テントあるいは寝袋の中で一夜を明かした(65ページ)。それらのテントの幾つかの中でどのようなことが起こったかは、読者の想像力に任せられている。カトリックのモラルが、そのような状態で未婚の男女が就寝することを常に──第二バチカン公会議までは常に──禁じていたのは、その種の間違いを未然に防ぐためである、というのは確かなことである。
そして、それから、エンターテインメントがある。物事の活気を保つためのロック音楽、ダンス、演劇。たとえば2002年のトロントでのワールド・ユース・デイでは、500ものパフォーマンスが演じられた25のステージがあった。「巡礼者」達は概して、カトリック信仰についてのより深い知識など求めておらず、むしろ「共同体」を、経験を、そして楽しい時を求めていた。それは、ミセス・フェレイラがいみじくも言ったように、「楽しみとしての宗教(religion as fun)」であった。
ワールド・ユース・デイのルーツ
二つの啓蒙的な章で、ミセス・フェレイラは、ワールド・ユース・デイの源を調べている。"もし或る運動の意図を知りたければそのルーツを探せ” とは、私が常に教えられてきたことである。第5章で、彼女はワールド・ユース・デイのルーツを明らかにしている。あまり透明性が高いとは言えない革新主義者達のグループが、共同体に基礎を置いた新しい教会を建設するため、第二バチカン公会議後の教会の中に現われた。フォコラーレ日本語サイトコミュニオンと解放Wiki-en〕、新求道期間の道日本語サイト新求道共同体運動とは?〕のような、平信徒による運動である。
ワールド・ユース・デイで採用されているメソッドは、フォコラーレの「公式」に従っている。バンド、ダンス、個人的証し、騒々しい喝采。教皇に対して表わされる狂乱状態の感情は、フォコラーレの創始者キアラ・ルービックWiki-en〕を取り巻く「操られた集団ヒステリー」に対応する。新しい未来の教会の建設においてそれらのグループに方向性を与えている平等主義的でエキュメニカルな諸原理は、ワールド・ユース・デイのアジェンダに方向性を与えているものと同じである。実際、ワールド・ユース・デイのイベントのディレクターと作業班の大半は、その運動から供給されている。そして、ワールド・ユース・デイ同様、ルービックの革命的「統一の霊性(spirituality of unity)」は、ヨハネ・パウロ2世から率直な祝福を受けている。
第6章「タイヤールとシロンの勝利」は更に深く掘り進む。「カウンター・チャーチへの教会の巡礼は、フリーメイソン、共産主義、ヒューマニズム、そしてモダニズムなどの複合的な力を用いながら、第二バチカン公会議からスタートした」とミセス・フェレイラは書いている。彼女は、それらの敵のそれぞれが、いかに突如として公会議の中に現われ、公的なポリシーとなり、教会の顔を一変させたかを明らかにしている。
特に、彼女は、個人的経験、ヒューマニストのゴール、啓蒙主義者の夢などといったものに基礎を置く新しい宗教の立案者の一人としてタイヤール・ド・シャルダンの名を挙げている。タイヤールの考えは、「神の民としての教会」という概念を広めた筆頭の一人、モダニスト神学者カール・ラーナーに大きな影響を与えた。その概念は『教会憲章』の中の彼の手になるパートの中に組み込まれた。ラーナーは、「信者達は、彼ら自身、教会において権威の源である。つまり、預言の源である」という考えを粘り強く支持したものである。
ここで、私に傍注を付させて頂きたい。カール・ラーナーは、第二バチカン公会議のもう一人の精力的な革新主義神学者ヨゼフ・ラッツィンガー神父の師匠であった。現在まで〔この書評が書かれたのは2005年である〕、その弟子は、その師匠の革命的考えを決して捨てておらず、非難してもいない。人ができるのは、「ラッツィンガーは、ベネディクト16世として、この先、その悪しき教義を公然と非難することがあるだろうか?」と怪しむことだけである。そしてまた、「彼は、ワールド・ユース・デイをその典型とする、カトリック信仰に対する激烈な違反を正すことがあるだろうか?」と。
2008年  シドニー
これまでのところ、教皇ベネディクト16世は、自分は次のワールド・ユース・デイ、ドイツのケルンでのそれに出席すると明言している。それは、偽りの諸宗教、モラルのなさ、そして下品さなどに対する寛容を促進するそのイベントのこれまでのパターンを踏襲するだろうと見られている。教皇ラッツィンガーの口から、そのイベントを方向転換させる言葉が出るだろうか? これまでのところ、彼の口からは何も出ていない。
第二部:体験されたワールド・ユース・デイ
第二部では、ジョン・ヴェナリが私達をトロントのワールド・ユース・デイに連れて行く。金曜のパンクロック・コンサート(第10章)から始まって、十字架の道行きと「あまり厳粛とは言えない」夕の祈り(第12章)、そして多くの典礼違反が含まれた教皇ミサ(第15章)まで、私達は彼の疲れた足取りに従い、そしてたびたび、彼が最終的に「ワールド・ユース・デイの集団外泊」と名付けたもの──若者達が「異教の門口をかすめる」諸場面──についての目を疑うような観察(第14章)を彼と共にする。
動画
人は、ヴェナリが効果を狙って彼の説明を誇張しているのだと思いたくなるかも知れない。しかし、それは違う。彼は、あちらこちらで見られる信心深いグループのことも注意深く取り上げている。そして、カトリック聖歌を歌う明らかに善意の若者達のことも書いている。彼が報告している事は、私が他の参加者達から聞いたストーリーと同じである。そこにおいて支配的だったのは、ロックロール・フェスティバルに関する声であった。そして、参加している若者達の一般的な意図は、他者に会って楽しむことである、ということであった。
その「経験」は、若者達に何を教えるだろうか。あなたの息子さん、あるいは娘さんは、そのようなイベントに参加することで、何を、知らず知らず学ぶだろうか。ジョン・ヴェナリはそれを明確に説明する。彼らは、ミサにおけるダンスには何も悪いところはない、ロック音楽にも、平信徒による書簡朗読にも、ミサにおける慎みのない、だらしのない服装にも、異教徒の儀式にも、聖体奉仕者にも、手による聖体拝領にも、何も悪いところはない、と教わるのである。彼は簡潔に結論する:
「ワールド・ユース・デイは、偽りの、感情的な、決起集会的な宗教を提供する。そのセレモニーは、どの世紀においても諸教皇の変わることのない教えと実践とによって非難されてきた新奇さ、悪い実践、神聖冒涜などを、数え切れないほど持っている。ワールド・ユース・デイは若い人々にとって害毒である。それは若者達を堕落させる。」(214〜215ページ)
パンとサーカス
1世紀末までには、ローマ帝国は頽廃と腐敗のステージにあった。 かつては誇り高かった元老院と実直なローマ市民も、堕落した頽廃的な皇帝達の連続と、習慣の一般的な緩みによって弱まった。人々は、パンとサーカス、安い食物と無料のエンターテインメント──キルクス・マクシムス〔野外大競技場〕での二輪戦車レース、暴力的な剣闘のコンテスト、コロッセウムでのカトリック殉教者達への虐殺など──によって、崩壊しつつある帝国の諸問題から気を逸らされた。
ローマの元老院議員ユヴェナリスは人々の堕ちた有り様を嘆いた。人々はもはや、名誉も、戦いも、高い理想も、分別ある演説も求めず、ただ二つのものを叫び求めていた。「パンとサーカス - Panem et circenses」を。
「パンとサーカス」という言葉は、深刻な状況の中にあって人々をなだめたり、人々の目を問題から逸らさせたりすることを意図して与えられる、利益、あるいはエンターテインメントを意味するものとなった。私は、この事は、大衆受けのするこのワールド・ユース・デイというものにもぴったりと当てはまると思う。ポップなエンターテインメント、喜びと遊び(games)の宗教、彼らの空想に合うスピリチュアリティなどを与えることによって、カトリックの深刻な状況から彼らの目を逸らさせるための、若者達のためのパンとサーカスである。
ケルンのWYDの準備期間中に浮かれるケルンの聖職者達
修道女と修道司祭
2005年  ケルン
ラップを歌う司祭
2008年  シドニー
一つの質問が浮かび上がる。この事に、より重い責任があるのは誰だろうか? これらのワールド・ユース・デイのサーカスを支援し、促進している教会当局者達だろうか? それとも、それらに参加する多くの若者達だろうか?
ジョン・ヴェナリは回答する。
「私の主要な不満は若者達に向けられていない。私は、彼らの多くは善意だと……しかし騙され乗せられているのだと思う。私の主要な不満は、それがあたかもカトリシズムを伝えるために妥当であるとでもいうかのように、ワールド・ユース・デイを促進し、組織し、その中で役割を担い、賞讃する、大人達に向けられている。」(162ページ)
彼の最後の章で、ヴェナリは、天主と聖なる教会を愛する真面目なカトリック信者達のために──新奇さ、乱用、異教を受け入れるよりも、永続する教導権に従うカトリック教徒達のために──正しい道をきわめて明確に据える。彼は、過去の教皇達の、諸聖人の、教会博士達の教えの中から、一人のカトリック信者には信仰と教義と実践の純粋さを維持する権利があることを示す確かな証拠を提示する。更に、一人のカトリック信者には、誤った教えや新奇さに抵抗する義務もある。たとえ、そのような教えと新奇さが教皇から出ているのだとしても
ワールド・ユース・デイの場合、以上の教えの適用は非常にシンプルである。もしあなたが、そこで行なわれている活動がどのようなものであるかを知るならば、もしあなたが、その精神を刺激している考え方と教義がどのようなものであるかを知るならば──この本を読めばそうなるわけだが──その時、ワールド・ユース・デイは確固として、明確に拒絶されなければならない。
了。
管理人による注とゴタク
人間は、半ば慢性的な、半ば本能的な、「安心していたい病」である。時には自分自身の目を裏切ってまで、あるいは騙されてまで、安心を保とうとする。
知的には十分な人達も必ずしも理解しないのは「リアリティ」である。それは感覚でしか分からない。それは議論の板に乗らない。しかし「宗教」においては「感覚的」なことこそ、言語に乗らないことこそ、実は "最重要" と言ってもいいほどのものであって、厄介である。……たとえば、私がパウロ6世ホールのあの彫刻について注意を引いた時、ある外国人はただ『典礼憲章』の第123項「教会はいかなる芸術様式をも自分に固有のものとは考えず... 」を引いて終りにしたものである。知性の勝った人は見分けられない恐れがある。天国は、美と醜、聖と汚、真と偽を見分けるに、少しも議論を要しないだろうに。
私達の現在のミサは特別のことがない限り有効と見るべきであり大事にしなければならないが、しかしその中には「ハグ」の精神があることを忘れるべきでない。あの子供っぽい「平和の挨拶 Sign of Peace」である。
「教皇ミサでは」というのはミセス・フェレイラの事実誤認かも知れない。参照
そして、これだけではない。この他に、自らはこのような振る舞いはしないが、このような自分達の同僚の振る舞いの中に非難すべきものを認めない、認めても声をあげることをしない、何千何百という沈黙せる聖職者達がいるのである。(そして、同様の平信徒達も。)
訳出 2011/11/16
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