ファチマ問題
「二人のシスター・ルチア」論争
マリアン・T・ ホーヴァット 博士 [1]
私は最近、ファチマのシスター・ルチアのあまり見かけない写真を目にしました。彼女は1907年生まれです。下の左の写真は、彼女がファチマのご出現の礼拝堂を訪れた時のものです。30代前半の修道女に見えますが、しかしファチマ・アーカイブスによると彼女がその礼拝堂を訪れたのは1946年とありますから、彼女はこの時39歳だったのでしょう。下の右の写真は、彼女がご出現の礼拝堂のために制作された聖マリアの汚れなき御心のご像の近くでポーズを取っているものです。この写真では彼女は比較的年長に見えますが、しかしまだ聖ドロテア会の修道服を着ているところを見ると、41歳より上ではないと思います。何故なら、彼女がポルトガルのコインブラのカルメル女子修道会に入るために聖ドロテア会を離れたのは、1948年のことだからです。
ご出現の礼拝堂で。1946年
 
礼拝堂のための聖母像が映っている
10歳の時のルチア・ドス・サントス
 
40歳前後のシスター・ルチア
これらの写真の中に、私達は、1917年の10歳の時に神の御母のご訪問という恵みを与えられた子供時代のルチアの面影を幾つか見ることができます。
同じ平らな顔、同じ顎、同じ厚い唇、同じ幅の広い鼻、そして額から目を切り離しているかのような一直線の太い眉とその下の小さな目。人は、これらのシスター・ルチアの写真の中に子供のルチア・ドス・サントスがいることを、実際、何の苦労もなく見出します。
“若い修道女の頃のシスター・ルチア”
インサイド・ザ・バチカン誌
2006年3月号
シスター・ルチアのこれらの写真を最近注意深く調べていた私は、インサイド・ザ・バチカン誌の2006年3月号に載っていたシスター・ルチアの写真を見て本当に驚きました。説明は、「若い修道女の頃の珍しい写真」となっていました。
この修道女はカルメル会の修道服を着ています。従って、シスター・ルチアがカルメル会に入ったのは1948年の41歳の時ですから、この写真の彼女は少なくとも41歳にはなっていなければなりません。私はインサイド・ザ・バチカン誌に、この写真に映っている彼女の正確な年齢について問い合わせました。しかし、未だに返答を受け取っていません。従って、私達はこの写真の彼女が40代であると仮定することができると思います。
しかし、この写真を詳しく見ても、私が上で指摘したのと同じようなシスター・ルチアの特徴を見つけることができません。
私は読者に、私と一緒にこれらの写真の比較をしてもらいたいと思います。比較の便宜のために、初期の頃の写真に映っている人物を「ルチア1」、そしてインサイド・ザ・バチカン誌に載った上の写真とそれ以降の写真に映っている人物を「ルチア2」と呼ぶことにさせて下さい。
比較される写真の最初のセットでは、顔は真面目です。更に下にあるセットでは、顔は微笑んでいます。
シスター・ルチア1
(40代の初期)
 
シスター・ルチア2
(40代から50代初期)
人の注意を引き付ける第一の点は、両者の年齢の違いです。上の左の写真のシスター・ルチア1の年齢は41歳を超えてはいません。上の右の写真のシスター・ルチア2の年齢は、41歳より若くありません。しかしそれにもかかわらず、左の人物の方が右の人物よりもずっと老けて見えます。僅か数年の間に、左のドロテア会修道女の苦しみを背負っているような憂いを帯びた顔が、右の若いカルメル会修道女の明るく元気そうな表情に変わり得るとは、考えにくいと思います。
しかし、相違点は年齢だけではありません。
  • 顔の作りをよく見ると、シスター・ルチア1の方は高い頬骨と凹型の顎を持った卵形の顔をしているのがわかります。シスター・ルチア2の方は顔の形も顎の形もかなり四角に近いことがわかります。
  • シスター・ルチア1の唇は厚く、肉づきもたっぷりとしています。シスター・ルチア2の唇は薄く、肉づきもあまりありません。
  • シスター・ルチア1が微笑む時(下の左の写真)、口の端はU字のように上に向かいます。シスター・ルチア2が微笑む時、口の端は逆さにしたU字のように下に向かいます。
  • シスター・ルチア1の鼻は、幅が広いです。シスター・ルチア2の鼻はより長く、幅がより狭く、上の右の写真でわかるように鼻の頭で丸みを帯びながら下に向かってカーブしています。
  • シスター・ルチア1は、いつも薄目を開けて物を見るような小さな目を持っています。目の全体のうち、ごく僅かの部分しか外に現われていません。シスター・ルチア2の目は大きく、白目の部分がとてもよく現われており、また前方に出た感じのものです。
  • シスター・ルチア1の眉は、端から端まで真っ直ぐに、とても重い感じで引かれています。そして額のところで両の眉の端がかなり接近しています。シスター・ルチア2は、もっと軽い感じの、外の端で先細りになったカーブを描いた眉を持っています。明らかに、鼻の上に眉毛のない広いスペースがあります。二人の人物の眉のこの明らかな違いは、シスター・ルチア2が掛けている大きな眼鏡によって僅かに分かりにくくなっています。
シスター・ルチア1が微笑む時
その口の形はU字になる [2]
 
シスター・ルチア2が微笑む時
その口の形は逆U字になる
以上が、私が見出し得た限りの、二人の間の身体的特徴の相違点です。
シスター・ルチア2が掛けている眼鏡も疑問を提起します。それは肉厚レンズのようであり、近視用であることを物語っています。しかしシスター・ルチア1は40代に至るまで一度も眼鏡を掛けた姿を見せたことがありません。近視の最も深刻なケースがこの年齢に達する前に発生することを考えることは価値のあることです。更に、シスター・ルチア1の地に足のついた農民である家族の写真を見ても、そこに眼鏡を掛けた人は一人もいないことに気づかされます。遺伝の問題があったようには思えません。
また、二人のルチアの姿勢と動作についても考えることができるでしょう。シスター・ルチア1は、身じまいを正して立ち、両の手の動きは慎ましいものです。彼女の姿勢と物腰は宗教的な女性にふさわしく、全く整えられたものでした。
若い頃のシスター・ルチア2はそれとは多くの点で違っています。彼女はまるでクラスルームで講義でも聴いているかのように頬杖をついています。彼女のいくぶん意識的な様子が人の目を引きます。彼女の手首は、彼女のベールの上と横から顔を覗かせている彼女の髪と同様、故意に出されています。これは革新主義的修道女のやり方に倣ったもので、シスター・ルチアの過度とも思える慎重さとは全く対照的なものです。
シスター・ルチア2の眼鏡は、1950年代の修道女が用いるものとしてはずいぶんとモダンなものです。これは確かに、彼女がファッションの持つアピール力というものに敏感な人であったことを現わしています。再びシスター・ルチア1とは無縁なものです。
以上が、私が読者の皆さん達に提示したい比較点です。私としての結論は単純なものです: 二人のシスター・ルチアの顔、特徴、動作、そして精神が違っています。それらを見る時、私達はあたかも二人の別々の人物を見ているかのような気がします。
これが真実であるならば、私達は今まで、聖母を本当に目撃した人として紹介されたとんでもない偽者によって騙されて来たのだ、ということになるでしょう。
この場合、幾つかの仮定的な問いが立ち上がります。本物のシスター・ルチアに何が起こったのか? 置き換えはいつ為されたのか? そして更に重要な問いとして、何故このような置き換えが必要だったのか?
もし私達が「Qui bono?(誰が利益を得るのか?)」という古典的な問いをするなら、答えは自ずから浮かび上がって来ます。秘密が公開されることになっていた1960年という年が到来する前にシスター・ルチア1を引退させ、シスター・ルチア2を導入すれば、世界に第三の秘密が語られなくて済みます。これは私達の時代の教会を支配している革新主義勢力を利するものであった以外の何かであり得たでしょうか。
管理人注
[1] Marian T. Horvat, Ph.D.: 次の文章を書いた人です。
(ページの少し下にあります)(小野田神父様に感謝します)
[2] ただ、この写真は横の縮尺が若干狭くなっているようです。おそらくそのために、顔が少し細過ぎるように見えるのだと思います。では、何故そんなことになるのでしょうか。本当のシスター・ルチアの口が笑った時に「U字」になることを強調するためでしょうか。そこまでのことをするでしょうか。
私には、これは、ファチマの大聖堂か他の関連施設かに展示されているもの(参照)をカメラで斜めから撮影したからこうなったのだ、という気がします。
次の写真がこの写真の元のものだと思います。これなら、顔の縮尺も不自然ではありません。
 
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