討議
インサイド・ザ・バチカン誌の写真はラベルの貼り間違いだった
あなた方は陰謀論マニアだ
我々は、インサイド・ザ・バチカン誌2006年3月号の記事で使われた写真に関する「ミステリー」が終局を迎えたことを喜ばしく思っている。インサイド・ザ・バチカン誌はミスを犯したが、カナダで既に入手可能となっている4月号の中でそれを謝罪した。
我々は、我々の読者のために、ある一人の反対論者が我々に送ってくれたその謝罪記事のコピーを下に表示する。謝罪文の箇所は黄色のマーカーで囲ってある。また、これを送ってくれた反対論者の意見とそれに対する我々の応答を更に下に表示する。
“私達は神の御心の内で会っています” [1]
2006年3月号の30ページにある「若い修道女であった頃の」シスター・ルチアとされている写真は、実際のところシスター・ルチアのものではありません。ロバート・フォックス神父の著書『シスター・ルチアの内なる生活』[2] の中にある、彼女がドロテア会修道女であった頃、つまり彼女がカルメル会修道女になる前の写真と、その後における彼女の写真の両方を見れば、記事で使われた写真がシスター・ルチアのものではないことは明らかです。おそらくこれは、記事の中でインタビューされている、シスター・ルチアにとって最後の修道院長であったマザー・セリーナのものではないでしょうか?
司祭アンブローズ・ヤング
ambrose@christian.net
編集者記: はい、インサイド・ザ・バチカン誌3月号の30ページにある写真は、確かに、記事の中でインタビューされているマザー・マリア・セリーナのものです。私達はこの混乱について謝罪します。
反論:あなた方は陰謀論マニアである
関係者各位:
問題の写真はシスター・ルチアのものではなく、実際は、その記事の中でインタビューされているマザー・マリア・セリーナのものであった。インサイド・ザ・バチカン誌は既にその最新号 - 2006年4月号 - 第6ページにある「読者からの手紙」のコーナーで、自分達が写真の同定においてミスを犯したことを認め、その人物が実際には誰であったのかを明らかにした。
この件において、インサイド・ザ・バチカン誌の編集者にいち早くEメールを打ち、あなた方は実際に写真にミスラベルをしたのであり、その写真の修道女はシスター・ルチアにとって最後の修道院長であったマザー・セリーナである、とのアドバイスをしたのがノヴス・オルド司祭のアンブローズ・ヤング神父であったという事実は、興味深いものである。もしあなた方が『シスター・ルチアの内なる生活』という本を手にするなら、その写真がマザー・セリーナのものであるということがはっきりするであろう。
何故、伝統主義的カトリック教徒は、どこにでも陰謀を見ようとするのか? 何故、全てのことには筋書きがあるのだ、と決めてかかるのか? 新聞や雑誌におけるエラーは、実際、毎日のように起こるものである。そう、マザー・セリーナの写真がシスター・ルチアのものではないということは、誰の目にも明らかである。であるなら、何故あなた方は、写真へのミスラベルであると見て取れるものを、その単純な事実を超えた、何かそれ以上のものであるとわざわざ考えようとするのか!
実際、雑誌の制作というものにどれほどの人数が関わっているかを考えれば、エラーというものは(時に非常に大きなエラーでさえ)起こり得るものだし、また事実しばしば起こっているということを、あなた方も直ぐに理解し始めるだろう。そこには、ライター、著作家、コラムニストなど、あらゆる人が、様々な非互換的な行程の中で、実際、書いたり、記事を提出したりしているのだ。彼らは記事を編集者や発行者に送るが、その編集者や発行者が専門的な知識を持っていることは、むしろ珍しいくらいのものなのだ。それ故、そこには提出された原稿を読み、著しいエラーを発見すべく、記事内容を事実と照合する者がいることが望ましい。それから、そこにはアート・ディレクターもいる。彼は基本的なレイアウトやテーマを決める。実際的なデザイナーもいる。彼は QuarkXPress を唸らせながら仕事をする。カメラマンは写真を提出する(できれば、きちんとラベルを付けて)。そして、実際に印刷する人達その他がいる。だから、ミスというものは本当に起こるものなのだ!
以上は弁解ではなく、ただそれが実際のところである、ということである。
以上のことを言うと同時に、私は個人的には、シスター・ルチアの後年を写したあれらの写真が本当のシスター・ルチアを撮ったものであるとは決して信じない者である。顔の特徴、背丈、態度などがまったく違っている。
Best Regards
S. M.
編集者の応答:
Mr. S. M.
インサイド・ザ・バチカン誌の最新号の謝罪文のコピー及びあなたの反論を送って下さいまして、ありがとうございました。
あなたは私達に良い貢献をして下さいました。
しかしながら私達は、あなたがインサイド・ザ・バチカン誌の内部で進行しているあらゆることをよくご存知であることを、いくぶん不思議に思っております。あなたがインサイダーでいらっしゃるなら話は別ですが、私達には、単なる一読者がこのように豊富な詳細を手にしており、雑誌社を擁護する発言をなし、そしてまた、話を他に逸らすための巧みな攻撃をかけるとは、少し理解し難いことのように思えます。
あなたは、私達が何故マザー・セリーナの写真でしかないものをあたかもシスター・ルチアのものであるかのように表示しているのか、とご質問になっておられます。しかし、その理由はそう単純なものではありません。
1.  何故なら、私達はインサイド・ザ・バチカン誌のことを堅い雑誌社であると考えているからです。まったく、堅い雑誌社というものは、通常、この種のミスが印刷の段階にまで進むことを阻止する有能なスタッフを編集者に持っているものです。それは、ファチマやシスター・ルチアのような大きなテーマを扱う時には特にです。
2.  雑誌の制作行程についてのこのように詳細な説明によってあなたが試みているこのようなミスを犯したインサイド・ザ・バチカン誌への擁護論は、ハイスクールの新聞には当てはまるでしょうが、インサイド・ザ・バチカン誌のような世界的な評価を受けている機関誌に当てはまるものではありません。確かに、彼らが私達に兄弟的な愛を求めるということであれば、私達も喜んでそれに応えます。しかしそれでもこのことは、今回のミスがその雑誌の信頼性に及ぼした結果それ自体を変えるものではありません。しかしまた、私達としても、次回はもっと慎重に事に当たることをお約束申し上げます...
3.  今回のことでは、彼らの雑誌社としての信頼性が失われたばかりではなく、彼らの誠実さの欠如もまた明らかとなりました。何故なら、ホーヴァット博士は彼らに誠意のこもったEメールを送り、その中でその写真に関する確認を求めたのでしたが、今日に至るまで、もう三週間になりますが、彼らから何の返事もないからです。
この雑誌社に対するあなたの擁護論に対して、以上のように申し上げます。
4.  さて、次に、私達に、あなたのそれとない皮肉に直面させて下さい。あなたはおっしゃいました ----- 私達は - そして全ての伝統主義的カトリック教徒は... - 陰謀論マニアである。何故なら、私達が問題の写真をあたかもシスター・ルチアのものであるかのように表示したからであり、そしてホーヴァット博士が、二人のシスター・ルチアがいた可能性を探るために、その写真をシスター・ルチアの他の写真と比較しているからだ ----- と。
5.  あなたのメソッドに関して: 格言は「最高の防御とは攻撃なり」と言っています。ですから、今回の写真に関するあなたのご指摘がもたらした利益とは別のところで、インサイド・ザ・バチカン誌のことから話を逸らして別途スケープゴート探しに入ることが、最高の防御となっているのです。
6.  あなたの一貫性に関して: あなたのEメールの最後の文において、あなたはご自分もまた私達と同様に二人のシスター・ルチアがいたであろうと信ずる、と認めておられます。ですから、私達は一致点を持っているわけです。あなたも私達と同様に、そこには今も続いている詐欺がある、ということを信じておられるわけです。
しかし、この詐欺の可能性について言及しながらもあなたは、私達 - ホーヴァット博士、TIA、そして全ての伝統主義者 - が「陰謀論マニア」である、というご自分の告発を根拠づけるために、ただホーヴァット博士の記事の中のたった一つの点だけをお使いになっておられるのです。しかし、ともかくあなたはあなたご自身、おそらくそこには詐欺があるであろう、とお認めになるのですから、では、あなたもまた「陰謀論マニア」のお一人なのでしょうか? そうでないなら、どうか、あなたがこの一般的な告発によって意図しておられることを、正確に説明して頂けませんか? あなたがこのことを説明して下さるまで、私は、この陰謀と陰謀論マニアの話題の中に入ることから、自分を免除しようと思います。
S.M.さん。あなたはこの話題に良い貢献をして下さいました。私は今、あなたのこの貢献によって、マリアン・ホーヴァット博士に、二人のシスター・ルチアの矛盾に関してもっと多くの写真を使ってもう一つの記事を書いてくれないか、と打診しているところです。どうか、これらの世間的な懸念によって彼女を煩わせることなく、彼女をその祈りの平和の中に置いて差し上げましょう。
あなたが次回の記事をお気に召すことを望みます。
Cordially,
A.S. Guimarães - Editor
管理人注
[1] “We meet in the heart of God”: これはおそらく、マザー・セリーナのインタビュー記事に付けられていた題ではないでしょうか。
[2] “The intimate life of sister Lucia”
しかし、この本の著者である「ロバート・フォックス」という司祭は、ファチマ・クルセイダーなどでは「ファチマ修正主義者」とよく名指しされている人である。
(注: 参照先のページが文字化けする時にはブラウザのテキストエンコーディングで Shift JIS を選択してください。)
もちろんこのことは、今回のインサイド・ザ・バチカン誌の写真の件とは無関係だろうけれども。
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