ファチマ問題
二人のシスター・ルチア
写真と事実
マリアン・T・ホーヴァット 博士
私は TIA(Tradition In Action)の編集者である Atila Guimaraes 氏から、以前私が別の記事で提起した疑問、つまりシスター・ルチアは一人ではなく二人いたのではないかという可能性についてもっと書かないか、と誘われました。以前の記事で私が取り上げた写真の中の一枚が誤報によるものだったということで、私は今、それでも尚その仮説は有効なままである、ということを擁護することの方に引き返しつつあります。
私は当初、二人のシスター・ルチアが存在していたかも知れないというこの疑問の提示が、今に至るまで野火のように燃え広がり続ける大きな論争にまで発展するとは思っていませんでした。このことは、この疑問からどのよう結論が出て来るのであれ、いかに多くのカトリック教徒がファチマの中心人物に関することには敏感であるか、という単純な事実を物語っています。人々にとってはファチマは終わった物語ではないのです。幾らかの教会当局者達がそのように思うようにと彼らを誘おうとも。それは今だに生きています。とても活発に生きています。ですから、もしここで私が単に一時的な記事を書いたのみで、誰であれこの問題を分析したいと望んでいる人を置いて立ち去るなら、それはとても奇妙な対応と言うべきでしょう。
この論争はテーブルの上に多くの新しい皿を運んで来ました。私が今まで見たことのなかった写真ばかりではなく、シスター・ルチアに関する忘れられていた過去のデータ、彼女の特徴についての観察、写真という存在を豊かなものにする心理学などを運んで来ました。私は今も、私の読者達から新たな追加情報を取り込み続けています。彼らのプライバシーを護り、彼らが自由にTIAに情報を送れるようにするために、彼らが得た情報の源については言及することなくそうしています。私はこの協力に関して、彼らに感謝しています。
しかしまた、あらゆる種類の異議も寄せられました。ある種の異議を思い出す時、私は若干の可笑しさを抑えることができません。私が最初の記事で、「写真の一番目のセットは二人の別の人物を示している」という意見を書いた時、ある人達は断固として抗議し、「あなたは間違っている。一番目のセットの二枚の写真は、まったく明らかに同じ人を撮ったものだ」と言いました。また、ある人の意見は狂暴で不快なものでした──「もしあんたの目にこれが二人の別々の人間に見えるんなら、きっとあんたは薬でもやっているんだろうよ!」
それから程なくして、それらの写真の内の一枚の情報元であった有名な雑誌社が、それにシスター・ルチアという説明文を付けてしまったが実際はそうではなかった、という謝罪広告を載せました。これによって、私の狂暴な反対者達はどうにも身動きが取れなくなりました。この混乱の中で、彼らの偏見が完全に明らかとなりました。人々はしばしば自分の目の前にある現実さえ見たくないのである、ということは、なんと真実でしょうか
しかしまた、私は真面目な異議も受け取っており、それがやって来るたびにここで答えています。ここでもまた、私は彼らが得た情報の源を明かしません。私はそれらの反対者の人々にも、その貢献に関して感謝しています。
私は、今まで集めて来た写真の中から、シスター・ルチアの6セットの写真を用意しました。そして、この比較セットの中に彼ら反対者たちの判断の妥当性を見ようとして、若いシスター・ルチアと年長のシスター・ルチアの両方を見比べ、顔の作りと精神状態の両面における類似性を見出そうとしました。しかし、彼女らはやはり別々の人物のように思えます。
写真のそれぞれのセットにおいて、まず初めに全体のものを表示し、そのあとに顔の各パーツ──眉、鼻、口、そして顎──を拡大したものを表示します。それは、あまり多くの精密さを要せずとも、私に可能な範囲で出来るだけ科学的な分析に近づけつつ、特徴の違いをよく分析し、読者に私の着眼点を分かってもらうためです。
最初に書いた記事と同様、便宜上、初期の頃の写真の人物をシスター・ルチア1、年を経てからの人物をシスター・ルチア2と呼ぶことにします。
1. 微笑するシスター・ルチア達
左の写真は、微笑するシスター・ルチア1のクローズアップです。この写真に日付は入っていませんが、彼女はドロテア会の修道服を身に付けており、歳は30代後半に見えます。最高でも41歳です。何故なら、彼女は1907年に生まれ、1948年にカルメル会に入ったからです。
シスター・ルチア2のクローズアップも微笑んでいます。これは1982年5月13日と日付が入っていますから、彼女が75歳の時のものです。ここには、私達は違う二人の人間を見ているのだということを私に教える、多くの特徴の違いがあります。
• シスター・ルチア1の太くて濃い眉の自然なラインは真っ直ぐです(写真1a)。眉は額の鼻の上の領域にまで達し、目の内側の端を通り越しています。
シスター・ルチア2の眉は、部分的に眼鏡のフレームで隠れていますが、真っ直ぐではなく、僅かにアーチを描きながら先細りになって行きます。アーチは目の真上のところから既に始まっています。両眉の間、鼻の上には、眉のない広いスペースがあります。
• ある読者は、「眉というものは人によって加齢と共に薄くなるものだ。このことによって、この二つの眉にあるはっきりした違いを説明できる」と異議を申し立てました。しかし、私は必ずしもそうであるとは思いません。たとえそのようなことがあり得るとしても、手術か他の人為的なものが加わらない限りは、ある人の眉の形が真っ直ぐからアーチ状に変化することはないのです。何故なら、眉の形状は額の骨格構造に従うものだからです。
• 視線の方向性に関しては、シスター・ルチア1の場合、若干の外斜視(開放性斜視)の傾向がありますが、正常範囲のものです。つまり、視線は僅かに外に逸れます。しかしシスター・ルチア2の場合、目は明らかに内斜視(収束性斜視)に苦しんでいます。つまり目は、鼻の方向に強く寄せられています。
• シスター・ルチア1が微笑む時、彼女の頬の上部(写真1b)は、二つの小さな丸いリンゴのように見えます。
シスター・ルチア2の頬は、眼鏡で部分的に隠れています。しかし、シスター・ルチア1のような膨らみがないことは確かなようです。
• シスター・ルチア1の場合、微笑んでいる時のものであれ真面目な顔をしている時のものであれ、彼女の鼻孔が開いているどのような写真も見つけることはできませんでした。それは生まれつき開いていません。しかしながらシスター・ルチア2の場合は、どの写真を見ても、彼女の鼻孔は開いています。それは生まれつき開いています。
• シスター・ルチア1のリンゴの頬の下には、はっきりと位置の定まったエクボしわがあります(写真1c)。William Thomas Walsh 氏は、彼のよく知られた本『ファチマの聖母』の中の彼女についての描写の中で、「彼女が微笑んだ時にできる、頬にしわを寄らせる小さなエクボ」と言っています。
しかしシスター・ルチア2の場合、頬は平板で、広く、笑った時にしわもエクボもできません。
• シスター・ルチアに関する記述の中で Walsh 氏はまた、彼女の前に突き出た上唇と、垂れた「厚い下唇」について語っています。上下の唇は違った厚みを持っています。
しかしシスター・ルチア2の場合、唇は平坦で、薄く、肉づきはなく、上下の厚みは同じです。
• 反対者達は「二人のルチアの歯の違いは、もし義歯が使われていたなら、それで説明できる」と主張しました。私は歯に関しては下のセット4で特別に扱います。ここでは私はただ、この二枚の写真において歯が唇に与えている影響について論じようと思います。
もしある人が、長い歯をカバーする大きな唇をもともと持っていて(若い頃のシスター・ルチアが明らかにそうでした)、そしてその後誰かがその人の長い歯を短い歯に置き換えたとしたら、その人の唇は今やとても短くなった歯をカバーするのに何の苦労もないことでしょう。それ故私達は、より短くなった歯をカバーするのに十分過ぎる余裕のある唇を持った年長のシスター・ルチアの写真を持っていなければならないことになります。しかし、事実は正反対です。シスター・ルチア2の唇は多くの場合、彼女のとても小さな歯をカバーしていません。
• シスター・ルチア1が微笑む時、彼女の口の端は上に向かいます。しかし、シスター・ルチア2が微笑む時、その口の端は下へ向かいます。
• 40歳までの写真の中に見ることができる若いルチアのもう一つの際立った特徴は、彼女の顎の真ん中で隆起している筋肉です。それはその下に窪みを作るほど著しいものです(写真1d。また、セット6も見て下さい)。しかし、このような筋肉は、シスター・ルチア2の写真には決して現われることがありません。
• シスター・ルチア1の顎はしっかりしたものですが、前方に突き出てはいません。それと対照的にシスター・ルチア2の顎は、前に突き出ています。後者は四角い顎骨(jaw)を持っていますが、シスター・ルチア1の写真においてはそのようには見えません。
2. 二人のシスター・ルチアの横顔
シスター・ルチア1の横顔の写真は、1946年5月22日、ファチマのご出現の礼拝堂で撮られました。
シスター・ルチア2の写真は、2000年5月13日、彼女がファチマにあるフランシスコのお墓のすぐそばに坐っている時に撮影されたものです。
彼女らの頭はほとんど同じ方向から撮られています。彼女らは真っ直ぐ前方を見ています。そして両者とも、黙想か祈りの中にある表情をしています。
• シスター・ルチア1の顔は陰になっていますが、それでも鼻の輪郭はとてもはっきりしています。それは Walsh の描写とぴったり符合します。彼は、「彼女の獅子鼻の頭は上に向いていた」と書いています。(脚注1を見て下さい
しかし、シスター・ルチア2の鼻の方は、先端で丸みを帯び、僅かに下に向いています。
これらの鼻の形状の違いは、上唇の上の部分と鼻の下の部分にそれぞれ補助線を引き、その二本の線が作る角度を見ることによって測定の対象となります。シスター・ルチア1の場合、これらの線が作る角度は鈍角です。しかしシスター・ルチア2の場合、それとは対照的に、それは鋭角です。
• 私達はまた、このシスター・ルチア2の横顔のクローズアップをよく観察する時、彼女の眉がどれほどアーチを描いているかに気づくことができます。それは上でした観察を裏書きするものです。
• シスター・ルチア1の顎は、彼女が若くて太り過ぎではないにも拘らず、二重顎の中に入るかのようにして首の方に急速に退いて行きます。
しかしながらシスター・ルチア2の顎は、彼女が年老いており太り過ぎであるにも拘らず、前方と外方向に向かって突き出ています。それがあまりに顕著なために、彼女の鼻より更に体から遠く延びて行こうとする一種のプラットホームを形作っているかのようです。読者の一人がいみじくも言ったように、それは「ランタン型」をしています。
3. シスター・ルチアの大きな笑顔
セット3の写真には、そのどちらも日付は入っていませんが、二人のシスター・ルチアが大きめに口を開いて笑っているところが映っています。これらの写真については最初の記事で既に分析したので、ここではその時の分析の中から重要点だけを繰り返すと共に、幾つかの新しい観察をすることにします。
• 写真3aをよく観察すると、シスター・ルチア1の濃くて真っ直ぐな眉が額の上で前方にせり出していることに気づきます。シスター・ルチア2のアーチ状の眉はもっと薄いもので、額が眉と出会う場所で額は平らです。
• 写真3bを見ればわかるように、シスター・ルチア1が笑う時、口の形はU字になり、その端は上に向かいます。シスター・ルチア2が笑う時、口は逆U字になり、その端は下に向かいます。
• 口を開けて笑うときでさえ、シスター・ルチア1の下唇は厚く、重く、そしてまだ多少の緩みがあります。シスター・ルチア2が笑う時、その下唇は薄く、そして張っています。
• ここでも再び、シスター・ルチア1のエクボとしわを見て取ることができます。しかしそれらは、シスター・ルチア2のなめらかな頬の上ではまったく行方不明です。
• シスター・ルチア2の鼻は、シスター・ルチア1の鼻が見せることのない鼻孔を見せています。
• シスター・ルチア2の鼻の丸い頭は下を向いています。しかしシスター・ルチア1の鼻の尖った頭は上を向いています。
• シスター・ルチア1の歯は明らかにシスター・ルチア2のものとは違っています。しかし多くの読者が「もし総入れ歯が使われていたなら、それによって説明がつく」と指摘したので、私は下のセット4でこのことを論じようと思います。
• シスター・ルチア1の顔の下部は(写真3c)、下に行くに従って細くなる月の形状を見せています。しっかりとした顎は首の中に退却して行きます。彼女の顔のベースは卵形です。しかし、シスター・ルチア2の顔の下部は、四角い形状を見せています。長い顎は横方向にも広がって行きます。
4. シスター・ルチアの歯
読者から起こされたシスター・ルチア1の質の悪い歯(写真3)とそれとは露骨に違っているシスター・ルチア2の歯についての異議は、次のような二つの主張として要約することができます。
第一の主張: シスター・ルチア1は非常に長くて質の悪い歯を持っている。このことは、彼女を総入れ歯のための候補者にしたであろう。そして、総入れ歯は口の構造を変えることがあり得る。それ故、彼女の顔のすべての変化を、彼女自身の歯の全摘出と総入れ歯の導入とによって説明することができる。
第二の主張: シスター・ルチア2の写真を見ると、たとえ彼女の歯が小さなものであるとしても、それは総入れ歯のように見える。これによって第一の主張の結論が確認された。
第一の主張に関して言えば、私はその最初の前提には同意します。つまり、シスター・ルチア1は質の悪い歯を持っていて、それ故総入れ歯の候補であった、ということです。
しかし第二の前提である、総入れ歯は人の顔の構造を変え得るものである、には議論の余地があると思います。私は、口の全体的な再建手術を伴う総入れ歯を入れた人達の術前・術後の写真をたくさん見ましたが、彼らの微笑み方や顔そのものには著しい変化を確認できませんでした。また、私が今まで読んで来たものから言えば、安価でひどく作られた総入れ歯だけが、短い歯とあまりにも多いプラスチック部分を外に見せるということです。
しかしなから、名声の高いコインブラのカルメル会が、質の悪い歯を持ったシスター・ルチアを迎え入れ、そして彼女のようなカトリック界にとって極めて重要である人物の歯を治させるために役に立たない歯科医と契約を結ぶ、とは想像し難いことです。それよりも、そこには腕のいい歯科医がおり、質の良い総入れ歯もあって、その結果彼女の笑顔にも顔そのものにも著しい変化を作ることがなかった、ということの方が遥かにありそうなことです。
私は、この二つのグループに分けられた写真のコレクションの中に見られる全ての違いは総入れ歯によって説明がつく、という結論には全く同意できません。いったいどのようにして義歯は、鼻や、眉や、顎の骨格などの形状を変えることができるのでしょうか? この種の相違を説明できるのは、完全な形成手術だけのように思われます。
第二の主張である「シスター・ルチア2は総入れ歯を使っているように見える」に関して言えば、この前提は根拠が薄いと思います。シスター・ルチア2が総入れ歯を使っていたということは明白ではありません。以下に、彼女の歯が自前のものであったことを後押しする幾つかの常識的な観察を挙げます。
• 質が悪く醜い歯を、もう一つの質が悪く醜い歯のセットと取り替えようとする人などいません。本当に、どうして腕のいい歯科医が、しばしば笑っている人のために、外に露出する醜いプラスチックを使って総入れ歯を作るでしょうか? (写真4cと4dを見て下さい。)どうして彼は、公的な役割を担うように運命づけられたこのように著名な人物のために、このように短く見栄えの良くない歯のワンセットを選択することができるでしょうか? 専門的に言えば、彼がこのような歯のワンセットを選ぶことは、非常にありそうもないことです。つまり、この見栄えの良くない歯は、それが総入れ歯であることより遥かに、自前の歯であることを示唆しています。
• 加えて言えば、総入れ歯は人工物なので、決してその外観を変えることはありません。しかし時々シスター・ルチア2のプラスチックは、一人の読者が指摘したように、炎症を起こしたようで、一つの歯を覆ったりしています(写真4aの矢印部分を見て下さい)。時々彼女のプラスチックは、写真4bに見られるように、幾つかの歯を長く見せつつ後退したようです。
• ですから私達は、自分達がシスター・ルチア2の総入れ歯を見ている、というより、彼女の自前の歯を見ている、と思った方が順当なのです。
従って、第二の主張の前提も結論も不確定なものです。シスター・ルチア2が総入れ歯を使っていたかどうかということは、写真を観察する限りでは、議論の余地の残るものです。
そして、もしこれらがシスター・ルチア2の自前の歯であったならば、その時は、それらは明らかにシスター・ルチア1の自前の歯とは違っている、と言わなければなりません。その場合、私達は二人の違った人物を見ているのだ、ということの他に、どのような説明が可能なのでしょうか?
5. 真面目な様子の二人のシスター・ルチア
1950年以前のシスター・ルチアの写真の中に彼女の真面目な表情を見つけることは難しいことではありません。彼女が子供の時、その表情は真剣なものでした。そして歳を重ねるに従い、厳粛な雰囲気が深まって行きました。ほとんど全ての写真の中で、彼女は厳粛で、深刻であり、陰鬱な、思い悩んでいるような表情をしていました。写真5(1946年頃)で、シスター・ルチアは、リクエストに応えて、聖母が彼女にお現われになった時どんなご様子であったか、を再現してみせています。
シスター・ルチア2が真剣な顔をしている写真を見つけることは、それほど簡単なことではありません。彼女が笑っていない時でも、彼女の顔にはシスター・ルチア1のような暗い緊張や思い悩みの影はありませんでした。写真5はシスター・ルチア2の真面目な表情を映していますが、これは『ルチア自身の言葉によるファチマ(Fatima in Lucia's Own Words)』の2004年版の表紙で使われていた写真からのものです。
• 写真5aは、シスター・ルチア1が内心の心配を表わす時に顔の中央でほとんど出会ったようになる悩み深く重苦しい眉を強調して見せています。眉の上に一種の溝が現われ、眉の重々しさを強調しています。このようなものはシスター・ルチア2の上には何一つ見られません。
• ここでもまた注意深く見ると、シスター・ルチア1の僅かの開放性斜視が見て取れます。それとは対照的に、シスター・ルチア2の目は強度の収束性斜視であることが明らかです。
• 写真5bの中に、シスター・ルチア1の唇が固定され、波上のラインを描きながら堅く閉じられているのが見て取れます。まだ唇に余裕があるのが明らかです。しかしながらシスター・ルチア2の口の形状は、いつものように下方に向かいます。上唇は逆U字を描きます。彼女の薄く余裕のない唇は、通常、歯を覆いません。
• シスター・ルチア1の頬にある二本のしわは、口を過ぎてもなお下に伸び、二本のとても真っ直ぐなラインを描いています。しかしシスター・ルチア2の頬のしわは、アーチを描いています。
• シスター・ルチア1の下唇の下には、窪んで陰を作っている領域があります。その中で、顎の中央に筋肉の輪郭を見て取ることができます。しかしながらシスター・ルチア2の下唇の下には、顔の上のこのような凹凸は加齢と共に深まりこそすれ消えることはないと思われるに拘らず、窪んだ領域もなければ、顎の上のどのような隆起もありません。
• シスター・ルチア2は、かつてシスター・ルチア1が顕著に持っていた農民らしい土臭い容貌と肌を失い、それより遥かにきれいな肌の色を獲得したようです。このことは、彼女がシスター・ルチア1と異なった社会的背景から出て来た人であることを示しています。
• 幾人かの反対者達は、この肌の色の違いを認めた上で、「それは加齢によって説明できる。人の肌というものは加齢によって弛むと同時にきれいになるのだ」と主張しました。「従って、それが一人の同じ人物の上に、国籍と社会的階層についての異なった印象を与えるのだ」と。
おそらく、そのようなことも時には起こるのでしょう。しかしながら、ことシスター・ルチア1のケースにおいては、私達が写真の中で観察しているような急速な肌の色の変化が可能だったとは思われません。右にあるのは、有名な太陽の奇跡に関する写真の中に映っていたポルトガル人女性達のクローズアップです。彼女らはルチアのような農民であり、そしてルチアと同じ地方の出身であることが最も可能性の高い人達です。何故なら、彼女らは子供達が「起こるよ」と言うのを聞いて奇跡を目撃しにやって来たからです。彼女らは、その地方の農民の人達が歳を取った時通常どのようになるかについての良い見本のように思われます。彼女らの顔は粗野なままであり、農民的な特徴を維持しています。
また、この歳を取った女性達の右側の写真はルチアの母親であり、この時おそらく50代なのですが、ここには彼女が加齢と共に肌の色を変えたというどのような徴候も見られません。
6. 唇の上のスペース
シスター・ルチア1は子供の頃から、鼻の底部から上唇の先端まで、長いスペースを持っていました。
また、私達がその領域を注意して観察する時、中央に輪郭のはっきりした垂直の溝(人中)があるのがわかります。
しかしながらシスター・ルチア2の場合、鼻の底部から上唇の先端までは短く、またその場所に溝(人中)の存在を確認することができません。
7. 動作と精神
最後の二つのセットでは、様々なポーズを取っているシスター・ルチア1とシスター・ルチア2の写真をそれぞれ別個に6枚ずつ表示します。シスター・ルチア1の写真は大部分が1946年のものです。シスター・ルチア2の写真は2000年5月のファチマ訪問の時のものです。
初めの写真セット(上の6枚)においては、シスター・ルチアは厳粛で、平静で、控えめに見えます。彼女は常に非常に平静な様子で立っています。両の手は慎ましい動作の中に置かれています。彼女は写真に撮られることに慣れていない人のように見えます。そうされることに若干気が進まなげであり、居心地が良くないように見えます。この観察は Walsh 氏によって裏づけられます。彼は彼女の臆病さについても書いています。
彼女の姿勢と動作と表情から、彼女が聖母を見た人であること、またそのメッセージの重大さとそれにおいて自分が担わなければならない役割とを理解している人であることを容易に信ずることができます。彼女の表情はまた、「地獄を見た人」とも合致しています。彼女はそれを1917年7月13日に見たのです。
彼女はこの同じ霊魂の状態を、少なくともアウグスティン・フエンテス神父が彼女と面談した1957年12月26日の時点まで維持しています。フエンテス神父は当時、公的ファチマ書庫管理者であり、シスター・ルチアが心から信頼していた人でした。彼はその面談の時のシスター・ルチアが極めて真剣且つ「非常に悲しげ」であったことを確認しています。
彼は、シスター・ルチアがひどく大きな懸念を表明して、「誰一人... 善人も悪人も誰一人... 聖母のメッセージに注意を払いません」と言ったと報告しています。彼女はまた第三の秘密の公開についても非常に心配していました。そして再び強調しながら、「もし人類が聖母のメッセージに心を向けないままなら、世界のために大いなる懲罰が送られるでしょう。その時、国々は消えるでしょう。ロシアも回心することはありません」と言いました。彼女は警告して、「来ようとしているのは、悪魔と聖母の決定的な戦いです。その時、忠実な霊魂達は教会の権威者達によって捨てられるでしょう」とも言いました。
彼女は彼に言いました。「神父様。私達は、教皇様のいらっしゃるローマから償いをすることの勧めが世界に向けて発せられるのを待つべきではありません。また、自分達の教区の司教様方から償いをすることの勧めが来るのを待つべきでもありませんし、宗教的な団体からそのような勧めが来るのを待つべきでもありません」(強調は筆者 Marian T. Horvat による付加)。各人がロザリオと汚れなき聖母への信心によって自分の霊魂を救わなければならない。彼女はまた、唯一秘密を知ることを許された人達である教皇やファチマの司教達が「それによって影響されないためにそれを知ることを拒んだ」ことを心配していました。[面談全体のテキストを見るには、ここをクリック
これらの最も重大な懸念が、彼女の表情と通常の様子の中に見られました。
しかしながらシスター・ルチア2の写真セット(上の6枚)の中には、私達はそれとは別の精神状態を持った人物を見ます。彼女は常に笑っています。人前で寛ぎ、その姿勢と動作はリラックスしたものです。
彼女はシスター・ルチア1に生来のものであった臆病の傾向を失いました。彼女は恐れを知らなくなっただけではなく完全に寛ぐようになり、彼女の観想的生活の外の環境にも溶け込むようになりました。写真13と14では、友人が彼女に腕を回しています。この保護的な動作を、彼女は無条件的に受け入れています。
(写真11)ヨハネ・パルオ2世と差し向かいで、彼女は前方へ身を乗り出し、微笑み、陽気そうな顔をしています。彼女はもはや、未来、来るべき懲罰、奉献された霊魂達の腐敗などについて、あるいは他の以前持っていた懸念事項について、心配しているようではありません。彼女は楽観的で満足しているように見えます。
8. 異なる教義の受け入れ
ある読者が指摘したように、この問題の全体の中で最も大きな難問は、シスター・ルチアが1960年代まで一つの事を言い、そして後年になって自分の考えを変えたということです。どのような理由でこのようなことになったのでしょうか?
もし私達の神と聖母が彼女に現われ続けたのだとしたら、何故彼女は第二バチカン公会議について、そしてそこから生まれたノヴス・オルド・ミサや典礼における他の目新しさなどいわゆる改革について、そして聖職者達の還俗などについて、何一つ言わないのでしょうか? それどころか彼女は、それらの目新しさに完全に適応しているように見えます。たとえば右の写真に見るように、1991年5月13日(上)と2000年5月13日(下)に、彼女は立ったまま聖体拝領をしています。
もし彼女が、第三の秘密が1960年に公開されることの重要性についてそれほど真剣に心配していたのなら、何故次の40年間、沈黙していたのでしょうか? 彼女自身が以前言ったことを否定することになるのに、どのようにして彼女は、ラッツィンガー枢機卿とタルチジオ・ベルトーネ司教による「公的解釈」を付され2000年にバチカンによって公開されたとされている想定上の秘密を受け入れることができたのでしょうか? その「公的解釈」は、「ファチマが言及した出来事は今や過ぎ去ったことであり、『過去の一部』である」という明言を含んでいるのに。
これらの疑問と他の多くの疑問は、「1960年以降、公衆に向けて立てられていた偽のシスター・ルチアが存在した」ということによって説明されると思われます。私は両者の違いを、シスター・ルチア1とシスター・ルチア2の顔における違いとしてばかりでなく、彼女らの精神と態度における違いとしても指摘しました。私は正直のところ真実を露出させることを心配しますが、しかしカトリック教徒達が「自分達は馬鹿にされているのかどうか」を自ら判断するために、私の読者達に彼女らを送ります。
[脚注1] 1946年7月15日、William Thomas Walsh はシスター・ルチアと三時間に及ぶ面談を持った。彼の本、『ファチマの聖母』の中に、彼はこのドロテア会修道女に関する二つの描写を残している。
(ルチアの歯)は大きく、前に突き出ており、並びが悪かった。それは上唇を突き出させ、下唇を垂れ下がらせた。一方、彼女の獅子鼻の頭は以前より上を向いていた。彼女の黒ずんだ顔は、時々、彼女の性質がつむじ曲がりでないとしたら不機嫌、頑固、あるいは不敵なものではないか、との印象を人に与えた。しかし、見かけは当てにならなかった。何故なら、どのような感情を刺激される状況下に置かれても、彼女のライトブラウンの目は煌めきと輝きをなくすことがなかったからである。そして、彼女が笑う時その頬にしわを作った小さなエクボは、彼女の表情を全く魅力的なものにすることに貢献していた。
p. 11
彼女は最初、不快そうに見えた。また、おそらく実際にそうだったに違いない。何故なら、彼女はその種の面談を強烈に嫌っていたからだ。命令された時だけ、それを受け入れていた。彼女は両手を神経質に握り締めていた。彼女の淡い茶色の目は、どちらかというと用心深く、よそよそしかった。高くて臆病そうな声は、あまり自信がないように響いた。しかし、しばらくして、私はこのような最初の印象をほとんど忘れるに至った。彼女はもっと楽に構えるようになり始めた。彼女はすぐに笑った。笑った時、彼女のそれぞれの頬に小さなエクボができた。声は今や自然なものとなり、真心を感じさせるものになった。その顔には知性もあり、また魅力もあった。彼女を好きにならずにいること、また、彼女を信頼せずにいることは、不可能だった。
p. 218
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