前回書いた一連の記事は予想通りの反発を招き、且つ予想通りのイノセントさを目にするに至った。
参照
それは「対象について具体的に多く知る」ことが兎にも角にも「対象を知る」ということであると信ずるイノセントさである。彼は、所謂「ファン心理」というものにおいて、あるいはまた「親の欲目」というものにおいて、目が対象に「吸い込まれて」いるが故に対象をよく見ることができない、という現象がザラに起こるものであることを知らない。
しかし、それは人間においてよくあることである。理解はできる。
しかし、次の指摘を受けた時は、正直ガックリ来た。
少し前、バチカンが「ロックアルバム・ベスト10」を選んだというのである。
バチカンよ、子供のお守りをしている場合じゃなかろうが...
そのニュースが出たのは、見ると今年の2月だ。小耳に挟んだ記憶がうっすらとあるが、おそらく「しょうもないことをやってんな..」で終わったんだと思う。
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さて次は、上とは関係ないような、あるような。
さて、私の霊魂に大きな害を加えはじめたものは、次のようなことであったように思われます。私は、子どもらが、いつもあらゆる徳の、よい模範を見ているようにと、親が気をつけないところから生じる害悪について、時々考えることがあります。母は、先にも申しましたように、たいへん有徳な人でした。けれども私は、分別のつく年齢に達しますと、彼女のよいところにはわずかしか、あるいは、ほとんどならわず、むしろ悪いところにならい、これが私に最も大きな害を及ぼしたのでした。母は騎士物語を読むのが好きでしたが、この気晴らしを、私のように悪用したのではありませんでした。そのために義務を怠るようなことはなかったのですから。たぶん母は、その大きな心配ごとから、気をまぎらせようとして、こういう読書を求めたと同時に、それによって子どもたちにも何かすることを与えて、彼らを滅びに導いたかもしれぬ他の危険から守ろうと考えていたのかもしれません。いずれにせよ、父は、これをひどくきらっておりましたので、私どもは、父に気づかれないように、じょうずにしなければなりませんでした。私は、こういう読書の習慣をつけてしまいました。そして母のうちに認めたこの小さい欠陥が、私のよい望みを次第に冷却し、また、ほかのあらゆる点に関するあやまちへと私を導いたのでした。昼夜、長時間をこんなつまらぬことのために過ごし、しかも父の目を盗んでそうすることが、別に悪いことではないと私には思えたのでした。私はこれにひどく熱中し、何か新しい本を手にしなければ満足することができなくなってしまったようでした。
「イエズスの聖テレジア自叙伝」(中央出版社)p17-18
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ちなみに、バチカンが選んだその「トップ10」とは以下の通りである。
- Revolver (the Beatles)
- If I could Only Remember My Name (David Crosby)
- The Dark Side of the Moon (Pink Floyd)
- Rumours (Fleetwood Mac)
- The Nightfly (Donald Fagen)
- Thriller (Michael Jackson)
- Graceland (Paul Simon)
- Achtung Baby (U2)
- What's the story Morning Glory (Oasis)
- Supernatural (Carlos Santana)
私はロックのことはあまり詳しくない(二、三のミュージシャンによってその水にはそれなりに馴れてはいるけれど)。けれど、そんな私でも、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の PV にはゾンビがうようよ出て来るのは知っているし、カルロス・サンタナはブードゥー教と無縁でないことも知っている。
しかし、そんなことよりも何よりも、バチカンは世俗のこんなものを相手にすべきではないのである。上の聖テレジアに聞け。
ボノ
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