おまけ
彼は宗教を真面目に考える人ではない。
彼は宗教を「政治的に真面目に」考える人かも知れないが(それも疑問だが)、宗教を「宗教的に真面目に」考える人ではない。
そのメンタリティーは日本の正平協と近い。遠くない。
彼は正平協と握手することができ、正平協は彼と握手することができるだろう。
正平協が「共産主義がかったキリスト教」だとすれば、
ボノは「宗教(スピリチュアリティ)がかった共産主義者」である。
左はキューバのフィデル・カストロ
もしカトリック教徒が、正平協のことを「カトリック教会内のことだから」という理由で牽制し、否定し、できるなら排除したいと思っていながら、他方でボノのような人物を「教会外の人だから」という理由で抱きしめるか好意を向けるかするならば、それはおかしな光景である。それら二者は同じではないとしても、非常に近いのである。「本質的には同じものだ」と言いたいぐらいに。
彼は宗教を「文学的に真面目に」考える人かも知れないが(それも疑問だが)、宗教を「宗教的に真面目に」考える人ではない。
左は「悪魔の詩」を著した作家サルマーン・ルシュディー氏
次の写真は、ボノ自身が認証したものではないとしても(それについては私は掴んでいない)、彼のメンタリティー、その世界観を忠実に映している。彼は要するに “ゴッタ煮” であり、彼の「愛と平和」には天使も悪魔も含まれる。
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