2012.09.02

フランコ・ソットコルノラ氏が大阪梅田教会に登壇 1

類は友を呼ぶ
来月、あの(参照
フランコ・ソットコルノラ
氏が
 
Franco Sottocornola
 
大阪梅田教会に登壇
フランコ・ソットコルノラ神父
私は、エバるわけじゃないけれど、「そこ(大阪梅田教会)にはUnity思想が、悪しきエキュメニズムなどが盛られるだろう」と言ったのである。参照
そして、これは基本的に悲しみつつ言わなければならないけれども、彼はおそらく大阪梅田教会に最も相応しい客である。即ちこれは..
Masonic Ecumenism の代表的実践者、Masonic Monument に入る
..の図である。
それにしても、大阪教区典礼委員会の上の呼びかけの言葉は、御ミサというものがまるで第一に「人々の心を明るくするため」に存在しているかのようである。
そのことは大阪梅田教会での小田武彦神父の次の講話でも確認できる。
2011/10/30 大阪教区典礼研修会
「神様からの百万本のバラ」
〜教皇ベネディクト16世 使徒的勧告『愛の秘跡』からミサを学ぶ〜
・指導: 小田武彦 神父 (大阪教区司祭)
・日時: 2011年10月30日(日曜日)14時〜
・場所: サクラファミリア
・主催: 大阪教区典礼委員会
小田武彦神父
「主は、主のいけにえによって生まれた教会が、このたまものを受け、聖霊の導きのもとに秘跡の典礼の形を発展させることを期待するのです」(『愛の秘跡』p24)
これ、凄いこと書いてあるんです。イエス様は「私の記念としてこのようにおこないなさい」と十二人の弟子たちに最後の晩餐でパンを裂いて与えておおせになった。それはただ単に「これを続けなさいよ」というんではないんです。それによってイエス様が今私達と共に居て下さるようにすると同時に、聖霊の導きの中で、「この秘跡の典礼の形を発展させて下さい」と、お願いしておられるんです。司教様にお願いされてるんじゃないんです、教皇様にお願いされてるんじゃないんです、み〜んなにお願いされているんです。「手伝って」(と)
小田武彦神父
キリスト教会は2000年の歴史があります。この2000年の間、それぞれの時代に生きている人達がキリストの体を受けて、もっとそのキリストの愛を生きようと、いのちがけでチャレンジして来ました。そのチャレンジは今日(きょう)も私達に期待されてるんです。ここに集まって下さっている皆さんに「どうか、秘跡の典礼の形がもっとピンと来るものになるように、子供達にワクワクするものとして伝わるように、手伝ってちょうだい」って、呼びかけておられるんです。じーちゃんばーちゃんが有り難がってるだけじゃ駄目なんです。それが若者達に「そうやったんか。俺ひとりぼっちとちゃうんや。会社でうまいこといかへんかったって、御ミサに出たら、ウワ〜〜〜ッ、こ〜んな嬉しいことないわ」って、分かるような形に、一緒にやろうよって、声かけて頂きたいんです。
上の講話は昨年のものである。70年代や80年代のものではないのである。
なんと言うか... 懲りない人達である。
フランコ・ソットコルノラ氏が営んでいる仏教寺院との共同体検索も、
五つの小教区を廃統合して出来た大阪梅田教会も、
それから典礼上の実験も、先ず、Novelty(目新しさ)である。
(遙かにそれ以上のものでもあるけれども。)
カトリック教会は、本来なら、それに警戒的であった筈である。
けれど、第二バチカン公会議後の風潮において、警戒は緩められた。
そして Novelty は新しい冠を得た。
 
チャレンジ
 
挑 戦
」!
新規なことには何でもこの冠がかぶせられる。
あらゆる新規な(新奇な)実験も善意からの「挑戦」であると言われる。
時には甘い心持ちで「いのちがけの挑戦」などという言葉が添えられたりする。
それにしても、
大阪梅田教会のあのリングは取り外されることはないのですかね。
窓の台形の形を変えることは難しいでしょう。
建物正面の三角の形状を変えることも難しいでしょう。
大改修工事が必要ですから。
しかし、聖堂のあのリングを取り外し、磔刑像、あるいはせめて十字架と取り替えることは、訳もなく出来ることの筈しようと思えば。)
それすらしないのですか
それとも、来月乗り込んで来るソットコルノラ氏が、
あのリングの「正しい受け止め方」でも教えて下さるというわけでしょうか?
先ず、あのリングを取り外して下されば、少し見直させて頂くのですが。
他の「チャレンジ」は出来ても、あの異形の輪っか一つを取り外すことは出来ないというのですか?
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