第14章

上流意志が下流意志に敗け、殆ど滅せられたる如く思われる時に為すべき事

 時々上流意志が下流意志、及びその敵に対して最早力及ばずと思われる事がある。けだし、これらに反対するだけの強き意志が心中に覚えぬようになるのである。斯くの如き心持ちの時にも屹然[しっかり]して、戦う事をやめてはならぬ。いよいよ負けたと云う明らかな証拠のない間は、やはり勝利者の如く心得る権利があるのである。

 我らの上流意志がその行為を起こす為には、下流意志の必要はないのであるから、上流意志が承認せぬうちは、如何ほど下流意志の攻撃が激しくとも、これを強いて負けたと自白させられる理由はない。

 神は人の意志に自由と勇気とを付与し給うから、たとえ感覚、悪魔、世間等がこぞって軍[いくさ]を起こし、力を合せ、謀り事を共にして、意志と戦い、意志を押さえようとするも、意志は彼らを辱しめて、始終己れの思うままに、幾度でも何時まででも、己れの気に入る方法目的を取って、随意に行う事が出来るのである。

 仮に今、我らの敵が我らを攻撃し、我らを圧迫すること甚だしく、殆ど我らの意志が窒息して、最早何ら反対の行為を起こす勇気もないようになったとしても、決して心を落としてはならぬ。決して武器を棄ててはならぬ。むしろこの時に「否、我れ汝に敗北すまじ。我れは決して承認せざるべし」と云う言葉を放ち、以て防戦せねばならぬ。あたかも後ろから討って来る敵に追窮せられる者の如く、敵に刃の切っ先を向けることは出来ぬが、鍔でこれを打つと云うようにせねばならぬ。

 ちょうどこの勇猛な兵士が身を振り返して真っ向から敵を討とうとするように、我らもまた先ず退いて我が身の何者たるかを合点し、我れは詰まらないもの、何らの事も為し得ぬものであると自ら覚った上、なお次に「しかし神に信任すれば何事も出来る」と云う確信を以て、攻め来る情欲を打ち返しつつ、「主よ、来たりて我れを援け給え。イエズス、マリア、我れに勝利を得させ給え」と唱えねばならぬ。

 意志の弱きを助けん為には、敵が我らに隙間を与うる時、知識に依頼して、敵の前に弱れる意志を強めるような観念を種々起こすがよい。

 たとえ今、我らが迫害と苦痛との重みの下に甚だしく悩まされて、我らの意志は最早耐え忍ぶ力もなく、望みもないようになったと仮定すれば、その時に我らは、左に示す如き真理を玩味して、知識を修練しつつ意志を強めねばならぬ。

 即ち先ず第一、これらの悩みの起こったのは、我らが機会を与えたのではなかろうか、また我らのこれを受くるのは、当然ではなかろうか、と云う事を考えよ。そこで、もし果してそうであるならば、自ら招いた災いである故、堪忍してこれを凌ぐのは、義の正に然るべきものである。

 第二は、仮にこれらの悩みに於いて我らに何の咎むべきところがないとしても、それでも我らが他に犯した罪があって、それを神が未だ罰し給わず、我らもまた相当の償いを果さずにある事を考えよ。そこで仁慈なる神は、永遠の苦罰、少なくも限りある煉獄の苦罰を受くべき筈のものを、この世の軽い悩みに引き換えて下さったのであると考えて、唯にこれを喜んで受くるのみならず、これが為に神に感謝するの義務が起こる。

 第三、たとえ我らが贖罪の大いなる業を為し、咎むべきはただ軽く小さな過失のみであると思われても(斯く思う筈ではないけれども)、天国に入るには辛苦艱難の狭い門をくぐらねば入る事が出来ぬ、と考えよ。

 第四は、よし他の道を経て天国へ入る事が出来るとしても、愛の法によって、これを欲してはならぬ。神の聖子は茨と十字架との道を経て天門に入り給うたではないか。キリストの友、またその霊体の枝なる聖人達も、皆この道から入ったではないか。

 第五、我らがとりわけここに於いて、また何れの場合に於いても感嘆すべきは、神の聖意である。神は、我らに対する愛の深きにより、凡てその忠僕、勇兵の献ぐる徳行、及び克己の行為は、これを好ましき献げ物の如く嘉納して下さるのである。しかのみならず、我らの殊更記憶すべきは、我らの忍ぶ苦難が不義であって、我らの方からはこれを受くべき訳のものでなく、従ってこれを忍ぶは実に辛く苦しければ、それほど神の聖意に適うものであると確信せねばならぬ。如何にもその通りである。何故なれば、実際は最も不義にして、我らには最も辛き事柄に於いてまでも、我らは神の聖意を承認して、その聖意を愛し、神は如何ほど規律なき事柄でも、これを完全に整理して規定する事の出来るものと、認めるようになるからである。

 〔ここでの「不義」という言葉は、「不当」とか「理不尽」とかいう意味合いらしいです。つまり、「私達の受ける苦しみが理不尽なものであって、それ故に私達の苦しみが一層甚だしいものであればあるほど」云々、という感じ。〕

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