第65章

虚栄の誘惑

 臨終の時、第三の誘惑は、虚栄と自負とである。如何なる口実の下にも、己れ及び己が事業にいささかたりとも誇ってはならぬ。我らの専ら心を安んずべきは、ただ神とその慈悲と、イエズス・キリストの生涯の事業と、その受難の功力とのみである。

 我等は自分の目に、益々自分を見下げねばならぬ。もし我等の行うた善を思い出すならば、その作者はただ神のみであると認めて、その助けを願うには、既に情慾に向って、如何ほど大いなる成功を得たにもせよ、決して己れの手柄によって、その助けを希望してはならぬ。何時も恐れ入って、神の保護のみ我が唯一の希望となるべきものなるにより、もし神がその御翼の影に、我等を引き寄せ給わぬならば、我等の手柄はあまり役に立たぬと、真実に自白せねばならぬ。

 この意見を忠実に守るならば、我等は敵に負けるようなことは決してない。また我等を無事に天国へ導くべき道を、認むるに相違ない。

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