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何故、典礼における伝統は
私達の信仰生活にとってそれほど重要なのか

1997年
アリス・フォン・ヒルデブラント
アダム・テイトの素晴らしい文章、「伝統主義者、カリスマ派、そして典礼」について、少々コメントさせて頂きたいと思います。特に一つのフレーズが私の心を打ちました。彼は「(ガミング [1] にいる時に)カトリック伝統の豊かさを発見した」と書いています。私は、これはきわめて重要な事だと思います。私達は、そのルーツから切り離され、その過去から切り離され、その「源」から切り離され、「疎外」された世界の中に生きています。私の学生達は、人々が自分が何処に属しているのかを知らず、「自分の名」を知らない状態の中で苦しんでいることに同情するようにと、私に教えてくれました。今から何十世紀も前に、「伝統は、もし反対者の息によって攻撃されることが決してなければ、素晴らしい力を持っている」と言ったのはプラトンでした。
一つ確かな事があります。それは、私達が住んでいる世界は、その祖先と繋がっているへその緒を自ら切ってしまった、ということです。この60年の間に起こった科学技術の変化は、自分の祖父母はラジオを知らなかった、あるいは当時ほとんどの家には電話などなかったということを、子供達が想像すらできないほどに驚異的なものでした。
しかし、私達のこの場におけるテーマは典礼ですけれども、私達はここでも、それと同様の現象に直面するのです。すなわち、現代の典礼行為の大部分が、伝統から激しく逸れました。私の一人の知人が(彼は棄教し、27年間ミサに出席しなかった人ですが)私の夫の葬儀に出席した時、ご自分の奥様に次のように感想を漏らしたそうです。「変化がこれほど激しいものだとは想像もできなかった。私が大学生だった頃とは全く懸け離れている。」
ああ、私の信仰はとても弱いものです。私はどれほどしばしば完全な霊的乾燥と共に教会の中に坐っていることでしょう。しかし、トリエント・ミサに与っている時は、この典礼はアヴィラの聖テレジアが経験したものと全く同じものである、聖フランシスコ・サレジオが経験したものと全く同じものである、聖ヴィンセント・デ・パウロが、アルスの聖なる主任司祭が、聖ドン・ボスコが、リジューの聖テレジアが、そしてマザー・カブリニが経験したものと全く同じものである、との思いが、私に翼を与えてくれます。彼らの信仰、彼らの愛が、私を運んでくれます。私はその時、自分の祈りを彼らの祈りに合わせ、彼らの燃える愛を天主に捧げます。私は想像します。もし彼らが、彼らの苦しむ兄弟達のところに短時間の訪問をするために地上に戻って来たとするなら、彼らは世界の外観が自分達にとって全く見知らぬものであることに気づくだろう、と。しかし、もし彼らがトリエント・ミサが捧げられているカトリック教会の中に来るなら、彼らは「わが家にいる」と感じることでしょう。そして、もし彼らがカリスマ的な儀式に参加するなら、私は、彼らは全く当惑してしまうだろうと言わざるを得ません。
私が最初にアメリカに来た時、何もかもが見慣れないものでした。私は望みが断たれたかのように途方に暮れ、自分が根無し草になってしまったように感じました。しかし、ニューヨークの聖パトリック・カテドラルに入ると直ぐに「Introibo ad altare Dei...(神の祭壇に上ろう)」と言う声が聞こえて来ました。私は「自分はわが家にいる」と感じました。そして、地上の真のわが家は過去においても未来においても常に聖なるカトリック教会であることを、また、その教会が何処にあろうとも、それがそれらの聖なる言葉を発するならば「故郷」であることを、私は理解しました。そのミサは、私が四歳の時以来本国で聞いて来たものと一語一句に至るまで完全に同一でした。私は自分のルーツをそこに見たのでした。
しかし、これで全てというわけではありません。現代人は「疎外されて」いるばかりでなく、おそろしく落ち着きのない状態にあります。この落ち着きのなさは、絶え間ない活動への不健康な熱望の中に、あるいは、変化を求める絶え間ない欲求の中に表われます。私は一人の若者を知っています。彼は非常に若い時に家を出、諸国を放浪し、やがて精根尽き果て、ほとんど精神崩壊の寸前に至って、ようやく教会への帰り道を見つけました。それ以来、彼は一所に留まり、忠実な愛によって天主に仕えています。
合衆国は行為者の国です。私達は、絶え間ない活動性の一種の蜂の巣の中で生きています。大部分の人にとって、人生の中の選択肢は、「活動か、楽しみか」というところです。信仰生活の柱、沈黙と観想のための場所は残されていません。伝統的ミサは典型的に観想的なものです。それは崇敬の動作の中で天主に完全に集中します。奉献の言葉は囁かれるだけです。しかしそれは、祭壇の上で起こっている途方もない神秘を表現するために相応しいものです。今日の大部分の人々は、活動的であることにいわば「フックで掛けられて」います。それで、讃美歌を歌ったり腕を動かしたり、手を打ったりギターを弾いたり、あるいは聖体を配布したり、とにかく何かしていなければ何かが失われたように感じるのです。教会の中で、人々を丸二時間ギターを弾いたり讃美歌を歌ったりさせることよりも、10分間沈黙させ観想させることの方が難しいのです。というのは、活動的であることは観想的であることよりも遥かに易しいからです。身体的なワークは非常にハードです。しかし、張り詰めた知的ワークと比べれば、それはまだ容易です(プラトンがこの事をハッキリと指摘しています)。しかしまた、張り詰めた知的ワークも、純粋な観想と比べれば、より「容易」なのです。純粋な観想とは、己れを全く虚しくすることです。天主の声を聞くことを可能にする深淵のような沈黙に向けて奮闘することです。何故なら天主は、己れの霊魂の中に完全な沈黙を作った人々にのみお語りになるものだからです。偉大なる霊的リーダー達は、まず最初に自分の霊魂の中に完全な沈黙を作ることをせずに天主の声を聞いたと主張する人のことを、常に疑っています。
トリエント・ミサは観想的なものです。そして、そうであるからこそ、それは多くの現代人にとっては取っ付きにくいものなのです。私はそう思います。しかし、そうではあっても、もし現代人が必死になって探しているものがあるとすれば、それは沈黙と観想なのです。
アダム・テイトが修復されたカルトジオ修道院の中に伝統の美を見出したことは、確かに偶然ではありません。中世においては、ヨーロッパ各地に、このような沈黙の礼拝のオアシスが点在していました。米国には、かなり最近になるまで、カルトジオ修道院がありませんでした。70年代の初めに、私の主人が代父になった子達の一人(カトリックに改宗したユダヤ人)が、ヴァーモント州アーリントンに、アメリカ初のカルトジオ修道院を創立しました。アングロサクソンの国々で猛威をふるっているプラグマチズムは、観想的修道院を理解するためには大きな障害です。ヴォルテール(教会の執念深い敵)のように、それは活動的修道院を、教育や病者の世話のような何かを「する」修道院を、支持します。今や、祈ることに日を費やすことは、どれほど多くの人々にとって時間の浪費のように思われていることでしょうか! しかしそれでも、永遠的には、世界がモラルの完全な混沌によって崩壊することを防いでくれているのは名もない修道士・修道女達の祈りと犠牲であるということを、私達は知ることになるでしょう。
管理人注
ガミング(Gaming): オーストリアの都市
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