2012.01.25

「すべての民の御母」 は悪霊である 3  弊害と予見

この「粗悪な詐欺」に大騒ぎする必要はないかも知れない。
しかし、「悪いもの」を確認することによって「善いもの」を確認する。
“教会の内部は大きく変えられなければなりません”
“非常に多くのことが変えられなければなりません”
“細かい点にいたるまでその改革を実行しなさい”
黙れ、悪霊!
 
以下、偉そうにすいません <(__)>
ポイント1
「変化」を盛んに励ます「婦人」の言葉が第二バチカン公会議までそう遠くない時期に言われたものであることに注意すべきである。
本当なら、話はこれで終わりである。これで、早、この「婦人」に関して如何なる疑問も残らない。
ポイント2
「確かに第二バチカン公会議後、変化に伴う数々の弊害があったが、しかしそれは彼女の意図したことではなかった、あくまで人間側のしくじりであった」などと言うならば、信じられないほどの「お人好し」であり、「的外れ」であり、「目の付け所」を間違っている。
これは婦人の「予見」に関する問題なのだ。
結論
「婦人」は「変化」を励ます一方だったのであり、彼女が「予見」したであろう「変化に伴う弊害」については「警告」も「注意喚起」もしなかった。
だから、この一点により確実に、彼女は「悪霊」なのである。
不思議なことに、この「婦人」が聖母と信じている人がいまだになくならない。
中には出版に携わっているようなかなり「知的」な部類の人達もいるようだ。
そうだ、私は今日のこの文章を、「すべての民の御母」普及の会いつくしみセンターエンデルレ書店 を相手に書こう。
(後者二つは良い本も出してくれており、貴重な存在だが、婦人のメッセージを伝える本も出しているからである。)
あなた方は、何故、そんなもの(婦人)を信じているのか。
あるいは、何故、それについて肯定的に伝える本を出しているのか。
もしや、例の「指針とその適用は別である」という考え方に引っかかっているのではないか。「弊害は確かに結果的にあるにはあったが、改革の指針あるいは指向それ自体には問題はなかった」というアレである。
それで、「婦人」を見る時にも、「彼女は確かに『変化』を促した。しかし、それに伴って生じた諸々の『弊害』には彼女は責任はない。彼女はそんなことを意図しなかっただろうから」と簡単に考えているのではないだろうか。
もしそうなら、「目の付け所」というものを間違っている。
何故なら、「婦人」の問題は一重に「弊害とその予見」の問題だからである。「彼女はそれを予見できなかったのか?」という問題だからである。
私達はその辺の「婦人」の実際的な振る舞いについて検討しなければならない。
どういうことか、もう少し説明しなければならない。
しかし、本当は、説明など必要ないものである。多くの人が、否、決して少なくない人が、「変化を盛んに励ます婦人の言葉が第二バチカン公会議までそう遠くない時期に言われたものであること」を見て、回れ右する。
しかし、あなた方はそうでない。あなた方に向けて「説明」というまどろっこしいことをしなければならない。
質問1
あなた方は、「改革の指針(指向)それ自体」のことは別にして、とにかくそれに関連して多くの「弊害」が生まれたことを認めるか?
(「結果的に」であろうと何だろうとである。)
あなた方がそれを認めていることを願う。
あなた方がそれを認めているとして、では、「弊害」とは何だったろうか?
司祭や修道者の大量還俗、召命の減少、典礼の乱用、怪しげな神学の台頭などではなかったか? そしてそれは正に「世界規模」のものであり、実に生半可なものではなかったのではないか?
(一番確認し易いのは、上の写真に見るような、典礼の「乱用」、あるいは少なくとも明らかな「不敬」であるところのものだろう。)
もう一度言うが、そういうのは「世界規模」のものだったのである。
そして、それらは天主の教会を非常に「傷つけた」だろう。
それらは、たとえ秘跡を無効にはしなかったとしても、「甚大な被害」であったことには変わりはないだろう。
しかし、この辺で問われるのが、あなた方の「感じ方」である。
カトリック教徒の中にも、「第二バチカン公会議後の改革の弊害? ええ、まぁ、確かに、あるにはありました。しかし、秘跡は有効です。結局、教会は大丈夫なんですよ」と言って済ます人がかなり多いような気がするが、あなた方もその一員だろうか?
私の感じ方に従って言わせてもらえば、「被害は甚大」であった。
しかし、あなた方はひょっとすると、「『甚大』という言葉は少し大袈裟では?」と思うのかも知れない。
けれど、少なくとも、被害は「少なくはなかった」ぐらいには認めて欲しい。そうでないと一歩も進めない。
それで、「婦人」のことを点検するに必要なのは、ほんのちょっとした「想像力」である。
質問2
「婦人」は、そのような「少なくない被害/弊害」について、事前に警告したか?
これが最重要の問いである。
彼女は、あのように盛んに「変化」を励ます一方で、彼女が予見したであろう「変化に伴う弊害」について注意喚起したか?
ただただ「変化」を励ますだけだったのではないか?
(エンデルレ書店からの本を読む限り、明らかにそのようである。)
(1) もしその通りなら、つまり「励ます一方」だったなら、あなた方は彼女が本当に「聖母」であるかどうかを大いに疑わなければならないだろう。
何故なら、そのように大きな、世界規模の、見る人によっては「甚大」とも映る「変化に伴う弊害」を、聖母が予見できなかった筈はないからである。
というのは、第一に、聖母は最も勝れた被造物であられる、そして天国の最も高いところにおられる*、だから、私達地上の人間は比較にならないくらい、物事を遠くまで見通し給う筈だからである。
* もちろん天主より高くはない。が、被造物としては最も高い位置におられる。
そして第二に、仮に(5000歩譲って)聖母御自身はそのような予見力を持っておられなかったとしても、彼女は天主様の最もお傍近くにおられるのだから、重要な事柄については必ず天主様から教えられる筈だからである。
この二つのかなり理にかなった(と自分で言うのも何だが)推測によって、「聖母」が第二バチカン公会議後の変化に伴う弊害を「予見していなかった」などということは「あり得ない」と断言してもいいくらいのものである。
それ故、仮に(6000歩譲って)聖母が本当に「変化」をお望みだったとしても、変化を励ますその同じ口で必ずや「警告」あるいは「注意喚起」を発しておられたことだろう、ということなのである。(あなた方はどう思うか。)
例えば、「非常に多くのことが変えられなければなりません。細かい点にいたるまで改革しなさい」といった非常に思い切った言い方による励ましの後に、「しかし、変化には弊害も伴うでしょう。そうならないように、あなた方はよくよく注意しなければなりません」というように。
しかし、あなた方は「婦人」がそのように言った例を知っているか?
私は、あなた方は知らないだろうと思う。(私も知らない。)
これにより、あなた方の目に、「婦人」が「聖母」などではないという可能性が俄然高まらなければならないだろう。(違うのか?)
(2) もしその通りでないとするなら……つまり、彼女が事実、確かに「変化に伴う弊害」についてどこかで注意喚起しているとするなら、話は少し違って来るかも知れない。
しかし、もしそのような言葉が存在したとして、何故、私達の目に触れていないのか?
翻訳のせいだろうか? つまり、日本語にまだ翻訳されていない記録の中に、そのような彼女の言葉があるのだろうか?
私は、そんなことはまずあり得ないだろうと思う。もしそんなものが存在していたなら、それは「重要事項」であるから、彼女の「メッセージ」を伝える主要な本の中に必ず記載された筈であり、結果、日本語にも翻訳されていただろう。
だから、そもそも彼女が「変化に伴う弊害」について少しも警告していない可能性が高いのである。
出版社と「可能性」
以上は確かに「推測」ではあるかも知れない。しかし、そうであっても、この辺の真実を確かめない限りは、カトリック出版社としては、この「婦人」に関する本を出すことを控えた方がいいだろうということにはならないか。
何故なら、以上の観察と推理によって、彼女がそのような警告を少しも発していない「可能性」が高いということは即ち、彼女が聖母ではない「可能性」が高いということだからである。
たとえ「可能性」の話としてであれ、これは無視できない問題である。
(それとも、またぞろカトリック信者は、「聖座が許していることだから」と、全てを呑み込むのか? しかし、私達は教会権威の下に在ると同時に、一人一人が天主様に対して直接の責任を負うものではないのか?)
以上、私は自分がうまく書けたかどうかを危惧する。
しかし、最初に言ったように、本来こんなものは「直観」で分かるべきものである。まどろっこしい「説明」など要しないものである。
私からもう一度彼女のことを紹介しよう。
(ナイーブなカトリック信者からは「人が善意で信じているものをそのように否定するのは『人の心を傷つける』ことだから良くないと思います」とか言われそうだが、その次元の話ではない。ここには「霊的危険」があるのである。)
彼女を紹介しよう。
彼女は、「変化」を励ますだけ励まして、「変化」から派生したあれほどの「弊害」については何ら警告を発しなかった「聖母」である。
すなわち、それは「聖母」などではなく、ただただ「悪霊」である。
以上。
次からはあくまで「おまけ」である。
(長過ぎるおまけではあるが。)
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