第28章

悪魔が既に罪の奴隷となった者と戦い、永くその奴隷たらしむる為に用うる策略

 一旦悪魔が人を罪の奴隷たらしめた以上専ら務むる所は、益々その目を暗まして、己が哀れな状態を認むるに至らしむべき思いを避けさす事である。

 悪魔は唯その人の思想を改めて、感化するに導くべき考えや勧めを避けしむるのみならず、その人をまた同じ罪、あるいは尚一層重大な罪に陥れるように、危険な機会を備えるのである。その時はその人の明盲目が愈々酷くなって、極点に達するように成る。そこでこの哀れな人は、終に罪の習慣の深淵へ沈み入ってしまい、最初の明盲沙汰が益々不吉な盲目を来たし、これがまた尚一層重大な罪を惹き起すのである。斯くの如くにして、罪人はその哀れな生を解脱すべからざる迷路に踏み入るから、神が特別に仁愛の深き恩寵の結果を以てこれを引き止めて下さらなければ、遂に死ぬまでそうである。

 斯かる状態になっては、ここを逃れ出ずる道が、この不幸なる罪人にとりては唯に一つある。即ちこれを暗黒の中に感ぜしめて、光明に呼び返す考えや勧めに応ずるに限るのである。その時は心を神に引き上げ、心の底より斯く神に叫ばねばならぬ、「嗚呼、我が主よ、請い願わくば、速やかに来たりて、我れを助け給え。我れをして永くこの罪の暗黒の中に在らしめ給う勿れ」と。罪人は斯くの如く祈り、もしくはこれに類する祈りを耐えず繰り返し、その哀れな境遇より間断なく神に叫ぶべきものである。

 もし出来るならば、早く聴罪師の許へ行き、その援助と意見とを仰ぎ、その指図と導きとによって敵を防ぎ得るようにせねばならぬ。もしまた聴罪師の許へ行く事が出来ぬならば、十字架に釘けられたるイエズスの肖像に向い、その足下に平伏して援助を求めねばならぬ。童貞マリアの肖像の前でも、同じようにして、祐助と愛憐とを願うがよい。

 我らが罪の上に勝利を得るのは、斯くの如く行うの速やかなるによると云う事を心得ねばならぬ。次の章に於てこれを説き明かそう。

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